3 王太子シルヴェート
「シルヴェート。お前とアリシラ嬢の婚約は解消する。そして新たに二つの婚約の成立を宣言しよう」
謁見の間で王は重々しく口を開いた。シルヴェートはエルミナと目くばせをする。
「一つ目は、お前とエルミナ姫の婚約だ」
あの舞踏会の日以降、エルミナは“シルヴェートの友人”としてこの国に滞在している。
エルミナは祖国の父王にシルヴェートとの結婚を願ったし、シルヴェートも婚約者をさしおいてエルミナを贔屓した。二人の仲は、今や宮廷の誰もが知り及ぶところだ。
「……そしてもう一つは、私とアリシラ嬢の婚約である」
家臣達からどよめきの声が上がった。
ヨアキムはもったいぶった声音で、事の発端はシルヴェートの浮気であること、国一番の才女であり次期王妃としての教育も受けていたアリシラを傷物にするわけにはいかないこと、それらの責任を取って彼女を自分の妃として王家に迎え入れることを説明した。
(太陽王も堕ちたものだな。本当に、自分の子供と同い年の女の子を妻にするとは)
アレと同じ血が流れていると思うと虫唾が走る。シルヴェートは軽蔑のにじむ眼差しを王に向けた。視線に気づいたのかヨアキムは眉根を寄せたが、息子を咎めるまではしなかった。
「続けて、シルヴェートには北部の新開拓地の提督の任を与える。国のために励むように」
「謹んで拝命いたします」
「エルミナ姫は隣国の貴き姫君である。シルヴェートとエルミナ姫の婚姻をもって、両国のさらなる友好と繁栄を願おう」
王は隣国の王の署名が入った書簡を見せる。すると、ヨアキムの傍に佇んでいたアリシラが意外そうな顔をした。
他国の貴族令嬢であるということぐらいは知っているだろうが、さすがに王族の娘であることまでは知らなかったのだろう。公的には王女として扱われることのない身の上なのだから、それも無理のないことだ。
何もかもが願った通りになったと、シルヴェートとエルミナはひそかに笑みを交わした。
*
「これで貴方はあの元婚約者様と離れられて、わたしも祖国に帰らなくて済みましたね」
「エルミナ姫のおかげですよ」
その日のうちにシルヴェートとエルミナは、北部にできた新しい開拓地に向かっていた。ついてくるのは必要最低限の護衛と使用人だけだ。
「ですが、本当に良かったのですか? 結果的に私と結婚することになってしまいましたが」
「どうせ国にいても、政略の駒にされるだけですから。だったら他国の王子様に嫁いだほうがお得じゃないですか」
あけすけに笑うエルミナに、思わずシルヴェートも相好を崩す。
「きっと苦労をさせてしまいますよ。私は無能な王子ですから」
「望むところです。……ああ、でも、一つだけいいですか」
エルミナは一転して不機嫌そうな顔を見せた。
「自分を卑下するの、禁止です。わたしの前で卑屈になれると思わないでください」
「……ごめんなさい。つい癖で」
「謝らなくていいですよ。貴方だけが悪いわけではないでしょう。これから治していけばいいんです」
エルミナはそっとシルヴェートの手に自らの手を重ねた。
「わたしが傍にいる以上、貴方のことはもう二度とヨアキム王の二番煎じだなんて呼ばせません。貴方は貴方、ヨアキム王はヨアキム王ですから」
「……ありがとうございます」
そんなことを言ってくれたのはエルミナが初めてだ。なんとなく落ち着かない。けれど居心地が悪いわけではなかった。
「わたし達、今はまだただの友達かもしれませんが、これから夫婦になるでしょう? 夫婦として一生添い遂げるんですから、苦労ぐらい喜んで分かち合いますとも。全然へっちゃらです」
「それは心強いな」
シルヴェートはそっと手を持ち上げ、エルミナの手の甲に口づけを落とす。たちまちエルミナの顔が真っ赤になった。
「貴方は亡命の共犯者に私を選んでくれた。勇気のない私に、変わるための大きなきっかけを与えてくれた。貴方には感謝してもしきれない」
エルミナと出会わなければ、シルヴェートはあのままアリシラと結婚していただろう。そしてヨアキムの影として、倦んだまま生きていくはずだった。
けれど今は違う。宮廷から離れた今、アリシラとヨアキムのいびつな関係の当て馬にされることはもうないのだ。
黙って受け入れていれば、得られる成功もあったかもしれない。しかしそれは、傀儡の王として即位して、一生ヨアキムと比較されながら生きていく人生を歩むことを意味している。
そんな未来と決別できて、かつてないほど清々しい気分だった。
*
「シルヴェート様! 本当にこの大猪達、もらっていいんですかい!?」
「ああ、村のみんなで分けてくれ。命をいただくのだから、決して無駄が出ないようにね」
「これでもうコイツに畑を荒らされずにすみます。本当にありがとうございます、シルヴェート様!」
「礼には及ばないよ。君達の役に立ったのならよかった」
森に狩猟に出たシルヴェートが仕留めてきた大猪をはじめとする数々の獲物は、ごちそうとして村中に振る舞われる。骨や毛皮も有効活用されることだろう。
「シルヴェート様ー! 畑でたくさん野菜が採れたんです! シルヴェート様にも召し上がっていただきたくて、お屋敷に届けてきましたから、ぜひ奥方様と召し上がってください!」
「ありがたくいただくよ。豊作なのは喜ばしいね。次の収穫も楽しみだ」
シルヴェートが開拓地の提督として赴任してから一年が経った。
シルヴェートもエルミナも、村の暮らしにすっかりなじんでいる。シルヴェートは毎日村人達と一緒に畑を耕して森を拓き、害獣や野盗の被害があればそれに対処して被害を最小限に抑え、そして村人達のあらゆる健闘を称えてねぎらっていた。エルミナも村の女達と仲が良く、毎日楽しそうだ。
開拓村での暮らしは、シルヴェートの肌に合っていた。
まず第一に、誰もシルヴェートを王子だという色眼鏡で見ない。それは贔屓されないということだったが、裏を返せば偉大なる王の息子であることを気にしなくてもいいのだ。
厳しい開拓村では能力だけがすべてで、成果を上げればふさわしい賞賛が返ってくる。それはシルヴェートにとっては初めての経験だった。
そして第二に、どんな時も支えてくれる妻エルミナの存在。後ろ向きで悲観的なシルヴェートを厳しく叱咤し、優しく包み込んでくれるエルミナ。シルヴェートはいつしか本当に彼女を愛していた。彼女こそが何よりも大切な存在であると、胸を張って言える。
宮廷にいた時よりも、シルヴェートは生き生きとしていて、毎日が充実していた──だからこそ、この日々は終わらせなければならない。
「シルヴェート! 王宮から使者の方がいらしたわ!」
今日の村の巡回と労働を終えて提督の館に戻ってきたシルヴェートを、エルミナが不安そうに出迎える。
「わかった。すぐに行くよ。エルミナ、貴方も同席してくれないか」
「ええ」
動きやすい作業着姿だったシルヴェートは、来客を迎えるのにふさわしい装いに着替えた。
村の女達に交じってよく働くエルミナも、いつも着ているこざっぱりとしたワンピースを脱いで提督夫人らしいドレスを纏う。
「シルヴェート王太子殿下、エルミナ王太子妃殿下……!」
宮廷からの使者は床に頭をこすりつける勢いで跪いた。
「どうか、どうか王宮に戻ってきていただけませんか!」
「え……?」
「ふむ。理由を聞いても?」
使者の突然の頼みにエルミナは困惑した様子だ。一方、シルヴェートは鷹揚に尋ねた。そこにいるのは、卑屈で影の薄い王子ではない。慕ってくれる民と愛しい妃を持ち、自信をつけて成長した王太子だった。
「ヨアキム陛下が……政務をおろそかにして、離宮にこもりきりになってしまわれたのです……」
使者の悲痛な訴え。それは、シルヴェートの予想通りのものだった。
(思ったよりも早かったな。一度タガが外れればそんなものか)
だって、そうなるように仕向けたのがシルヴェートなのだから。
「アリシラ王妃は何を?」
「妃殿下は、陛下のお変わりようにいたくご立腹のようで……」
使者はわかりやすく目を泳がせる。口ごもったまま、彼は懐から宰相をはじめとする大臣達の署名が入った嘆願書を取り出した。
そこには、遊楽に耽るヨアキムに代わり、シルヴェートに王の名代として政務を取り仕切ってほしい、とある。
「私には陛下から任じられた提督としての使命がある。志半ばで投げ出すわけにはいかない」
「何もなかった土地をみごとに栄えさせた殿下の手腕は、宮廷でもよく知られております。殿下が赴任して以来、この土地は国内の開拓地の中でもっとも発展を遂げておりますでしょう?」
「それは私だけの力ではないよ。私を信じてくれた民と、私を導いてくれた愛しいエルミナのおかげだ」
揉み手する使者の言葉を、シルヴェートは手で制した。宮廷にいたころは、誰もシルヴェートに対しておべっかを言うことなどなかったのに。
「とはいえ、このままでは国全体が荒れかねない」
シルヴェートはゆっくりと立ち上がった。
「エルミナ。……もしこの国の王妃になってほしいと言ったら、貴方はどうする?」
エルミナに手を差し伸べる。その手は力強く握られた。
「どうもしないわ。貴方についていくだけよ。夫婦なのだから、当然でしょう?」
*
開拓地のことは信頼できる副官に任せ、シルヴェートとエルミナは一年ぶりに王宮に戻ってきた。
宮廷人達が慌ただしくシルヴェートを出迎える。彼らは、シルヴェートをただ承認印を押すだけのお飾りの王にするつもりなのかもしれない。それならそれで構わなかった。どんな形であれ、シルヴェートが必要とされているという事実に変わりはないのだから。
宮廷人達を代表し、老宰相が恭しく一礼する。
「よくぞお戻りになりました、王太子殿下」
「挨拶は不要だ。端的に状況を説明してくれ」
宰相は重苦しく口を開いた。事実を告げるのは、彼にとってひどく忌々しいことのようだ。
「……国王陛下は毎日のように、離宮に年若い娼婦達を招いております。そのことで王妃殿下はたいそうお怒りになられておいでで……」
生々しい事情は、さすがに直接口にするのは憚られたらしい。シルヴェートが仕向けたこととはいえ、実の父親の夜の事情など聞きたくないのでちょうどよかった。
この老爺はヨアキムを強く信奉していた。彼にとって、ヨアキムの堕落は受け入れがたいことだったかもしれない。
(いいや。そんな宰相だからこそ、あの人に見切りをつけるのは一番早かったかもしれないな。憧れる偶像が理想の姿と激しく乖離していくのは、受け入れがたいものがあるだろう)
宰相の家は、アリシラの家と派閥が違う。アリシラとの結婚こそヨアキムを変えたきっかけと言えなくもないから、宰相の内心の怒りは彼女とその生家の公爵家に向けられていてもおかしくなかった。
「お二人とも公務に身が入らないご様子で、そのせいで様々なことが滞っており……」
「わかった。王の承認が必要な書類はすべて私の執務室に回してくれ。早馬で伝えた通り、陛下の秘書官達は書類を重要度別に仕分けてくれているかな?」
「すべて仰せの通りにしております」
「助かるよ、ありがとう」
シルヴェートはまっすぐ自分の執務室に向かう。シルヴェートの帰還を早馬が知らせてくれていたおかげか、執務室はいつでも使えるように整理されていた。
父に仕えていた秘書官達が、王太子を迎え入れる。これだけいても王の仕事を誰も穴埋めできないことに呆れると同時に、少しだけ安心する。国王というのは唯一無二の存在で、王族の権威を王族以外の者が代わりに振るうことはできないのだと。
(とはいえ、父上は何から何まで自分一人の手でやりすぎだ。優秀なのは素晴らしいが、それでは他人を信じていないのと同じじゃないか)
多分、アリシラも同じ状況だろう。王妃の公務は社交が中心だが、頭のいいアリシラなら政治に口を出していてもおかしくなかった。
大臣や官僚をやりこめて仕事を奪った挙句、感情的になって結局投げ出す……。そのざまでは側近達の不満が噴出するのも無理はない。
「滞っているのは書類仕事だけではないね? 可能な限り私が対応するから、スケジュールを調整するように」
「はっ!」
「アリシラ王妃の公務はわたしが代わります。ですがいまだ未熟な身ですから、サポートできる女官をつけてくださいますか?」
「ただちに手配いたします!」
てきぱきと指示を出す二人に、宰相はやっと安堵の表情を見せた。




