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そして彼女は初恋を叶えた  作者: ほねのあるくらげ


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2 公爵令嬢アリシラ

(やっとシルヴェートが浮気してくれた!)


 人目もはばからずにピンク髪の男爵令嬢を侍らす婚約者を見て、公爵令嬢アリシラは心の中でガッツポーズをした。


 アリシラには前世の記憶がある。前世の記憶こそが現在のアリシラの自我の根幹にあると言っても過言ではないぐらいに、その記憶は彼女の中に強く根付いていた。


 前世のアリシラは、別の世界の人間だった。

 三十数年ほど生きて、社会に出て働き、そしてつまらない理由であっけなく死んだ女、それが前世のアリシラだ。


 前世の世界と今世の世界は何もかもが違ったが、物心ついた時には彼女はこの世界を“理解”していた──ここは前世の自分が読んでいた小説の世界であると。 


 主人公ヒロインは、婚約者である王太子にないがしろにされる公爵令嬢。

 愚かな王太子は、どこの馬の骨とも知れない男爵令嬢を見初める。婚約破棄を言い渡される美しき公爵令嬢は、毅然としてそれを受け入れた。


 そして彼女は真に愛する男性──初恋の相手である、現国王と結ばれる。


 国で最も力のある名門公爵家が、王家に輿入れする。

 その婚姻の意味と重要性を理解できなかった愚かな王太子は地位を剥奪されて、あばずれの男爵令嬢とともに辺境送り。

 王妃となった主人公は、優れた王に溺愛されて幸せに暮らす。そんな物語だ。 


 原作小説の通り、国王ヨアキムを一目見た幼い日のアリシラは彼に初めての恋をした。

 精悍な佇まい、美しい顔立ち、人を惹きつけるカリスマ、朗らかな笑み……何もかもが好ましかった。前世の自我をそのまま継承していたアリシラには、年上の男性しか恋愛対象としてみなせなかったというのも大きいだろう。


 アリシラはことあるごとに王宮に参じ、麗しの王をうっとりと見つめていた。 


 もちろん、教養やマナーの勉強をおろそかにしたことはない。いずれ王妃になるのに必要だからだ。

 学問についても同様だった。中身が大人のアリシラにとって、同世代の子供の発育に付き合うのは退屈すぎて苦痛ですらあった。

 だから前世の記憶を最大限に活用してつまらない座学を一足飛びに終わらせていくうちに、周囲の大人はアリシラを神童ともてはやすようになった。

 高等な学問はアリシラの頭を悩ませたが、幼稚な手習いをさせられるよりいくらかマシだった。


 公爵家の才女としてもてはやされるアリシラに、原作通り王太子との婚約の話が舞い込んでくる。一年前、十五歳の時だ。

 けれどこの婚約は、ヨアキムと結ばれるための踏み台でしかない。アリシラにとっては至極どうでもよかった。 


(舞踏会でシルヴェートがエルミナを見初めたってことは、もうすぐ婚約破棄を宣言されるはず。ああ、長かった!)


 シルヴェートとは曲がりなりにも一年ほど婚約していたが、情など湧きようもなかった。

 王太子シルヴェートはヨアキムの一人息子だが、彼と生き写しの外見ぐらいしか価値がない。どうせ他の女にうつつを抜かすような少年だ。シルヴェートのことなど、アリシラは最初から眼中になかった。


 一方のシルヴェートはアリシラの歓心を引くのに必死なようで、いちいちプレゼントを贈ったりデートに誘ったりしてくる。

 そんなことをされても、彼のことは子供としか思えない。あしらうのは面倒だったが、“王太子の婚約者”という肩書はヨアキムとの距離をいっそう縮めてくれたのでよしとした。


 ヨアキムはアリシラのことを、未来の義娘として可愛がってくれる。

 子供扱いされるのはもちろん不満だ。だが、仲を深めれば深めるほど、後々起こる結婚相手の交代に際して「息子が不義理を働いた少女に報いる」という正当な・・・理由付けができる。今はまだ外堀を埋める時期なのだ。義父を気取る将来の旦那様を、アリシラは内心微笑ましげに見ていた。


 けれどとうとうその日々も終わる。婚約者アリシラを放置して浮気相手エルミナにうつつを抜かす息子の態度に我慢の限界を迎えたヨアキムが、脳内お花畑のシルヴェートに制裁を下すのだ。

 そして「望むだけの補填をしよう」とアリシラに謝罪する彼に、アリシラは彼との結婚をねだる。

 偉大な太陽王と王国始まって以来の才女の結婚は祝福とともに受け入れられて、二人は末永く幸せに暮らすのだ。


 これまで原作通りに進んできた。だからこれからも原作通りの未来が訪れると、アリシラは信じて疑っていない。  


「アリシラ嬢」


 物陰に隠れて婚約者の不貞をうかがうアリシラに声をかけてきたのはヨアキムだった。 


「シルヴェートは……またエルミナ嬢と一緒にいるのか」


 アリシラの視線に気づいたヨアキムは小さくため息をつく。 


「すまないな。注意はしているんだが、あいつはちっとも聞かなくて」

「わたくしなら平気です。こうして陛下が気にかけてくださるだけで十分ですわ」


 今日アリシラが王宮に来たのは、シルヴェートの様子を見るためだった。

 原作知識のおかげで最初からシルヴェートが浮気することだって知っていたのだから、裏切られたことへの悲しさや怒りなどいだきようもない。 


「しかしこの状態が続くのはな……。心苦しいが、アリシラ嬢とシルヴェートの婚約は一度白紙に戻したほうがいいのかもしれん」


 憂い顔のヨアキムに見惚れていたアリシラは、その言葉でやっと我に返った。 


(シルヴェートの婚約破棄宣言を待つまでもなく、ヨアキム陛下があの二人を断罪してくれるってこと?)


 アリシラの視線に気づいたヨアキムは、申し訳なさげに眉を下げる。 


「もちろんこれまで王家のために尽くしてくれたアリシラ嬢には、望むだけの補填をしよう。公爵家には金を支払うし、次の縁談の口添えも……」

「でしたら陛下、お願いしたいことがございます!」


 アリシラは上目遣いでヨアキムを見上げる。 


「わたくしは王族に嫁ぐために、これまでふさわしい努力を重ねてまいりました。ですがシルヴェート殿下にわたくしの心は伝わらなかった」


 その切なげな眼差しに、ヨアキムは目を離せなくなる。

 義理の娘になるはずだった、年若くて美しい少女。悩ましげに柳眉を寄せるアリシラに縋りつかれ、ヨアキムはとっさにそれを拒むことができなかった。 


「お願いです、陛下。わたくしを哀れと思うなら、どうか陛下のお慈悲をいただけませんか」

「何を……」

「わたくしほど次期王妃にふさわしい者はいないと、いつもおっしゃっていたでしょう?」


 それはヨアキムから幾度となくかけられていた言葉だった。不出来なシルヴェートをよろしく、と。


 アリシラの知る限り、ヨアキムはシルヴェートのことをいつも案じていた。大したとりえのない息子の将来を憂い、優秀な婚約者がいることの幸運を説いて聞かせていたのだ。ヨアキムのそんな親心でさえ、シルヴェートは無下にしたわけだが。

 アリシラには、そんな愚かな実息子よりも自分のほうがヨアキムに愛されていて、大切にされているという確信があった。


 だからアリシラは、続く言葉を躊躇なく口にできる。 


「あのような素性の不確かな娘に入れ込むだなんて、シルヴェート殿下には失望いたしました。わたくしの両親も、きっと彼を支援しようとは思わないでしょう。あの方は、王太子の……未来の国王の器ではございません」

「……」


 アリシラが何を言いたいのか、ヨアキムも理解したようだ。 


「本当にいいのか、アリシラ嬢。本当に……私の妃になりたいと?」

「はい。本当のことを申し上げますと、ずっと昔から陛下のことをお慕いしていたのです。義理とはいえ父娘おやこになるのだからとこの想いは生涯胸に秘めておくつもりでしたが、シルヴェート殿下の裏切りで目が覚めました」

「そうか……」


 ヨアキムはこわごわとアリシラを抱きしめる。 


「貴方の気持ちはよくわかった。貴方が得られるはずだった妃の宝冠を、息子のせいで奪ってしまうのは確かに忍びない。公爵家には私から話を通そう。王家の不始末は、王家の名において償うのが筋というものだ」

(やったー! ようやくヨアキム様と結ばれた!)


 浮かれるアリシラは気づいていない。


 血を分けた実の息子よりも美しい少女を選ぶことの違和感に。


 少し前まで息子の婚約者だった少女を、平然と妻にできる男の醜悪さに。


 そして、自分の行いの愚かさに。 


 だって彼女にとっては、これこそが美しい真実の愛の物語で、自分達は幸せになるべき主役なのだから。


 自分に都合よく事実を捻じ曲げるアリシラの目は曇っていた。真実を映す日はまだ来ない。

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