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とある札幌のバーの扉が色んな異世界に繋がってしまったようです。さて、今夜のお客様は?  作者: 萩原詩荻


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第7話 チーズの製造工程ってちょっと魔術っぽいよね

「これは、何という食べ物なのだ?」


 そう尋ねてきたのは、狩人をしているという大柄な男性だった。


 山賊に見えたのは心の中にしまっておく。


「チーズです」


「ちーず」


 狩人さんが、皿の上をじっと見つめる。


 バーではよくあるおつまみである。


 少なくとも、私の感覚では。


「これが……ちーず」


 細身の女性も、興味深そうに覗き込む。


 彼女は耳が長いため、エルフかと思ったが、本人は森妖精と名乗っていた。


 そこへ、なんだなんだと他のお客様も集まってきた。


 白いローブを着た若い学者さん。


 狐族だという商人さん。


 全員、違う世界から来たらしい。


 まあ、よくあることだ。


「これは、肉ではないな」


「肉ではありません」


「魚でもない」


「魚でもありません」


「木の実でもない」


「木の実でもありません」


「石でもない」


「石ではありません」


「では、何だ?」


 チーズです。


「動物の乳から作られたものです」


 たぶん。


「おお……」


「ちちとはなんだ?」


「乳とは、白くて腐りやすい液体のことか?」


「世界によると思いますが、まあ多分」


 いや、どの世界でも白いのかまでは知らない。


「マスター」


「はい」


「これは、どうやって発明されたのだ?」


 正直、いつか聞かれるとは思っていた。


 だが、聞かれると困る。


 私はバーのマスターである。


 チーズは出せるが、作れるわけではない。


「ええと……」


 四人が私を見る。


 真剣な顔だった。


 やめてほしい。


 そんな目で見ないでほしい。


「専門家ではないので、正確ではありませんが」


「構わぬ」


「たしか、乳を動物の胃袋に入れて山越えした時に出来たのが起源と聞いたことがあります」


 なんか、昔そんなことをテレビか本で見た気がする。


「動物の胃袋」


 狩人さんが呟く。


「乳を」


 森妖精さんが続ける。


「胃袋に入れる」


 学者さんが紙に書きつける。


「すると、チーズになる」


 狐商人さんが頷いた。


 やめてください。


 その顔は、新しい文明を発見した顔です。


「待ってください。かなり雑な説明です」


「つまり、獣の胃袋に秘められた力で、乳が固形化するのですね?」


「……たぶん?」


「なるほど」


 狩人さんが深く頷いた。


 深く頷かないでほしい。


 私は今、かなり曖昧な知識で話している。


「理にかなっている」


「かなっていますか?」


「獣から得たものは、獣で整える。自然の循環だ」


「なるほど?」


 そういう考え方もあるのかもしれない。


 学者さんの目が輝いた。


「実に興味深い。これは保存食なのですか?」


「はい。種類によりますが、保存性を高める目的もあったと思います」


「乳を保存する……!」


 私は少し嫌な予感がした。


「つまり、液体である乳を、固体として長期保存する技術……!」


「そういう面もあります」


「革命では?」


「そこまでですか?」


「革命です」


 断言された。


 チーズが革命になった。


 森妖精さんが、真剣に手元のチーズを見つめる。


「この白い柔らかいものは、森の民にも合うかもしれないわ。木の実と合う」


「そうですね。ナッツやドライフルーツとも合います」


「果実とも合うの?」


「合います」


「蜂蜜は?」


「合います」


「酒は?」


「合います」


「何にでも合うの?」


「かなり合います」


 四人が静かになった。


「乳を固めしもの、木の実と合い、果実と合い、蜂蜜と合い、酒とも合う……」


 森妖精さんが呟く。


「万能では?」


「……そうかもしれません」


 チーズすごいな。


「マスター」


「はい」


「もっと詳しく教えてくれないか」


 狐商人さんが目を輝かせて迫ってくる。怖い。


「……私に聞かない方がいいと思います」


「なぜだ」


「専門家ではないので」


「だが、チーズを出したのはマスターだ」


「出しましたが、作ってはいません」


「そうなのか!?」


 四人が驚いた。


 なぜ驚くのか。


「この店では、すべてマスターが作っているのではないのか?」


「作るものもありますが、チーズは仕入れています」


「しいれ」


「買っています」


「買っているのか」


「はい」


「つまり、チーズ専門の職人がいるのだな?」


「います」


「なるほど」


「なんという執念だ」


 狐商人さんが感心したように言う。


「この世界の人々は、酒のためにそこまでするのだな」


「酒のためだけではありません」


「でも、今、酒と一緒に出てきました」


「それはそうですが」


「つまり酒のためですね」


「違うと言い切れないのが悔しいですね」


 実際、チーズと酒の相性は良い。


 否定しきれない。


「この黄色いのは?」


 森妖精さんがチェダーを指す。


「チェダーです」


「ちぇだー」


「はい」


「この白くて柔らかいのは?」


「カマンベールです」


「かまんべーる」


「はい」


「この硬いのは?」


「パルミジャーノです」


「ぱるみ……」


「パルミジャーノ」


「ぱるみじゃーの」


「はい」


「呪文ですか?」


「チーズの名前です」


「本当に?」


「本当に」


 学者さんが疑わしそうな顔をした。


 まあ、確かに異世界の方からすると呪文っぽいかもしれない。


「パルミジャーノ」


 森妖精さんが真顔で唱えた。


 何も起きなかった。


「魔法ではないな」


「チーズですね」


「カマンベール」


 狩人さんも唱えた。


 やはり何も起きなかった。


「魔法ではないな」


「チーズですね」


「チェダー!」


 学者さんが少し強めに言った。


 何も起きなかった。


「……魔法ではありませんね」


「チーズです」


 なぜ皆さん、少し残念そうなのか。


「我が山では、大角鹿の胃袋を水筒として使う」


 狩人さんが言った。


「そこに乳を入れ、山を越えれば、固まるということか」


「それっぽいですね」


 狐商人さんが頷いた。


「私も帰ったら試してみます」


 森妖精さんもワクワクを抑えきれないという顔で言う。


「これは森の宴が変わるぞ!!」


 そんな簡単に変えないでほしい。


「私も次の国家プロジェクトに“ちーず”を提案してみます」


 国家でやらないでほしい。


 いや、個人でやられるよりは安全でいいのか?


 盛り上がった四人がワイワイ言いながら、会計を済ませ、それぞれの世界へ帰っていく。


 最後に森妖精さんが帰り、とんでもなく大きな森林が見えていた扉が閉まる。


「……ふぅ」


 私はカウンターを拭きながら、深く息を吐いた。


「……今日は、妙に疲れましたね」


 そう呟いた瞬間。


 一番奥の席から、グラスを置く音がした。


「盛り上がってたわねぇ」


 魔法使いさんが、いつものように姿を現した。


 脚を組み、非常に楽しそうな顔をしている。


「途中で助けてくれてもよかったのでは?」


「面白かったから」


「でしょうね」


 魔法使いさんは、残っていたチーズを一つつまむ。


「それにしても、マスター」


「はい」


「ずいぶんあやふやな知識で世界を動かしたわね」


 魔法使いさんが妖艶に笑う。


「やっぱりまずかったでしょうか?」


「別に。食文化なんて、だいたい誰かの雑な挑戦から始まるものよ」


「食中毒が心配です」


「マスターらしいわね」


 魔法使いさんは、くすくすと笑った。


「ただ、一つだけ気になることがあるのよね」


「なんでしょう」


「みんなの世界に、牛っているの?」


 私は、動きを止めた。


 チーズの皿だけが、カウンターの上に残っている。


「……」


「……」


「大丈夫でしょうか」


「知らない」


「ですよね」


 私はただのバーのマスターだ。


 各世界の動物事情までは責任の範囲外である。

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