エピローグ
宴会が少し落ち着いた頃。
「魔法使いさん」
「ん?」
魔法使いさんは、少し眠そうな顔でこちらを見上げた。
疲れている。
それは間違いない。
だが、どこか満足そうでもあった。
「ご自分の世界に、どうやって帰るんです?」
私は、ずっと聞けずにいたことを聞いた。
以前、学者さんたちが“『その人が来た世界に戻す』方式の可能性がある”と言っていたことを思い出しながら聞く。
店内のいくつかの会話が、ぴたりと止まった。
聞こえていたらしい。
魔法使いさんは、軽くグラスを揺らした。
「帰れないわよ」
あっさり言った。
あまりにもあっさりと。
「少なくとも数百年は」
店内に、静寂が落ちた。
数百年。
軽く言う数字ではない。
「私、もうこの世界の人間として紐づいちゃったし」
「この世界の人間」
「それに、今ほとんど魔力空っぽだし」
「空っぽ」
「すっからかんよ。しばらく大きい魔法は無理。透明化も面倒。世界移動なんて論外」
魔法使いさんが肩をすくめる。
「だから、帰れない」
「……どうするんですか」
私が聞くと、魔法使いさんは、こちらを見た。
ほんの少しだけ、いたずらっぽく。
いつもの顔で。
「マスターの家、泊めて?」
「…………」
私は無言になった。
無言にならざるを得なかった。
店内も、無言になった。
その中で、ノワールだけが「にゃあ」と鳴いた。
魔法使いさんは、私の反応を見て楽しそうに笑う。
ああ。
そういうことか。
「…………最初からそのつもりでしたね?」
「バレた?」
バレた、ではない。
この人は。
この世界の札幌を探し回り、扉を繋ぎ直し、常連を全員呼び戻し、宴会まで終えて。
そのうえで、最後にこれを言うつもりだったらしい。
世界最強の魔女は、やることが大きい。
そして、図々しい。
「……はぁ」
深いため息が出た。
出てしまった。
バーのマスターにも、ため息をつく権利くらいはある。
魔法使いさんが、少しだけ首を傾げる。
「ダメ?」
その声が、ほんの少しだけ柔らかかった。
いつものようにからかっているようで。
いつものように図々しいようで。
その奥に、少しだけ不安があるように聞こえた。
気のせいかもしれない。
けれど。
毎日、開店から閉店まで、奥の席に座っていた人がいる。
その人が今、帰れないと言っている。
私は、もう一度息を吐いた。
「…………ここで一緒に働くという条件なら」
言った瞬間、魔法使いさんの表情がぱっと明るくなった。
「やった」
軽い。
非常に軽い。
数百年帰れない人の反応ではない。
「やった、ではありません」
「働くわよ。得意よ」
「接客を?」
「お酒飲みながら?」
「勤務中は駄目です」
「厳しい」
「当然です」
「あ、住んでるところは猫可?」
「はい。ノワールも一緒で大丈夫です」
「にゃあ」
ノワールが、今度は少し満足げに鳴いた。
すでに不安である。
私は頭を抱えたくなった。
その瞬間。
「わわわわわわわ!」
大学生女子が再起動して目をキラキラさせながら叫んだ。
「大人の同棲話ですっ!」
店内のあちこちで、いろいろな反応が起きた。
大学生男子がむせる。
イズミくんが明らかにニヤニヤしてる。
カルーアくんが「うわ」と声を漏らしている。
勇者さんが赤くなって魔王さんを見るが、魔王さんは目を逸らしている。
王子様が「同棲とはつまり婚姻前の」と言いかけ、夢魔さんに口元を押さえられている。
吸血鬼さんは完全に面白がっている。
「同棲ではありません」
一応の反論を試みる。
「住むんですよね!?」
「一時的にです」
「数百年って言ってました!」
「数百年は一時的に含めてよいのかしら」
魔法使いさんが首を傾げる。
「含めません」
私が言う。
「長命種なら含むのではないか」
吸血鬼さんが言う。
「不死者基準を持ち込まないでください」
「私から見れば、数百年は長めの滞在だ」
「長めで済むんですね」
大学生男子が呆れた顔をした。
なぜか大学生女子は顔を真っ赤にして、両手をぶんぶん振っている。
「てことは!マスターの家に魔法使いさんが住んで、毎日一緒に出勤して、毎日一緒に帰るんですよね!?」
「言い方に誘導を感じますね」
「同棲です!」
「違います」
否定しておきたい。
「だって!マスターの家に泊まって!一緒に働いて!それはもう!大人の!大人のやつでは!?」
「大人のやつとは」
そんなやり取りをしていると、魔法使いさんがあっさり言った。
「いいじゃん、女の子同士なんだし」
店内の時間が、止まった。
今度こそ、完全に止まった。
大学生女子の口が開いたまま固まった。
一秒。
二秒。
三秒。
「……」
私は、目を閉じた。
そして、ゆっくり開いた。
なるほど。
この人は、ずっと気づいていたらしい。
そういえば、夢魔さんもやけに意味深な言い方をしていた。
聖女様は当然のように微笑んでいる。
ホームズさん、魔王さん、侍さん、吸血鬼さん、イズミくんあたりが驚いていなさそうだ。
むしろ、気づいてなかったの?という顔をしている。
アンドロイド警察官さんが不思議そうに言う。
「警部補、追加情報を確認。マスターの性別認識に、何故か参加者間で齟齬が発生しています」
「報告しなくていい」
――そこで、気づいていなかった人たちが再起動して絶叫した。
「えええええええええええええええ!?」
叫び声が店内を揺らした。
ドアベルが勝手に鳴った。
カラン。
たぶん振動である。
「嘘!?え!?ずっと!?ずっと女性!?マスター、女性!?え、待って、私、今まで勝手に男性だと思ってました!」
「特に聞かれませんでしたので」
「そういう問題!?」
どうやら、今夜はまだまだ長そうだ。
非常に大変だ。
しかし。
静かすぎる夜よりは、ずっといい。
「マスター」
魔法使いさんが、少しだけ真面目な声で言った。
「はい」
「ありがと」
その声は、みんなが騒ぐ中ではとても小さかった。
けれど、確かに聞こえた。
世界最強の魔女が、ほんの少しだけ目を伏せている。
からかいでもなく。
ごまかしでもなく。
私は、少しだけ頷く。
「どういたしまして」
それ以上は言わなかった。
言わなくていいと思った。
魔法使いさんが、ノワールを抱き上げる。
黒猫は、少し眠そうにしている。
「ノワール」
「にゃ」
「家、できたわよ」
その声が、ほんの少しだけやわらかかった。




