最終話 当店は本日も営業中です
「さて、まずは」
魔王さんが立ち上がる。
その声だけで、店内が少し整った。
さすが魔王である。
「扉の再接続に尽力した者に、礼を述べるべきであろう」
魔王さんの視線が、魔法使いさんへ向く。
自然と、全員の視線も魔法使いさんへ集まった。
魔法使いさんは、あからさまに嫌そうな顔をする。
「何よ」
「魔法使いよ」
「だから何よ」
「よくやった」
短い言葉だった。
だが、それだけで十分だった。
魔法使いさんは、少しだけ視線を逸らした。
「別に、あんたたちのためだけじゃないわよ」
「はいはい、照れ隠しねー」
夢魔さんが笑いながら茶々を入れる。
強い。
「違う」
「そういうことにしておいてあげる」
「アンタ、あとで覚えてなさい」
「怖いわぁ」
夢魔さんはまったく怖がっていない。
その隙に、聖女様が魔法使いさんの前に立った。
「魔法使いさん」
「何」
「ありがとうございます」
「……別に」
「それでも、ありがとうございます」
聖女様の言葉に、店内が少しだけ静かになる。
魔法使いさんは口を尖らせたまま、そっぽを向いた。
「お礼なら、酒でいいわ」
「では、そうしましょう」
聖女様がにこにこと頷く。
それを合図に、海賊船長さんが再び声を上げた。
「マスター!全員分、何か出してくれ!」
「全員分ですか」
「全員分だ!」
全員分。
店内を見る。
とても多い。
とても多いが。
この数日、私は何度も在庫を確認した。
誰が来てもいいように。
何が注文されてもいいように。
グラスを磨き、氷を用意し、酒をそろえ、おつまみを確認した。
その意味が、今ようやく戻ってきた気がした。
「かしこまりました」
◇
「マスター!こっち、おかわり!」
「こちらもお願いします!」
「マスター殿、日本酒をもう一献」
「ブラッディメアリーを」
「甘いものをもう一杯くださる?」
「マスター、ラムだ!」
騒がしい。
ものすごく騒がしい。
私はカウンターの中で、いつもより少しだけ忙しくグラスを並べていく。
一角では勇者さんが魔王さんと隣り合って座っていた。
距離が近い気がするのは私の見間違いかもしれない。
だが、骸骨宰相さんの優しげな視線を見る限り、たぶん見間違いではない。
「勇者ちゃん、魔王くんと近くない?」
魔法使いさんが、当然のように刺した。
「近くない!」
「近いわよ」
「席の都合!」
勇者さんの顔が赤い。
魔王さんは、真面目な顔でグラスを持っているが、耳が微妙に赤い。
全員が微笑ましく見ているし、イズミくんと大学生男子は「尊い」「わかる」とか言いながら目頭を押さえている。
気持ちはわかる。
別の方を見ると、夢魔さんは、占い師さんと大学生女子に囲まれていた。
「夢魔さんの恋愛運、占えるんですか!?」
「占えますよ」
「私の恋愛運は複雑よ?」
夢魔さんが笑う。
「複雑なほど、星は面白がります」
「いいこと言うわね」
「夢魔さんって本気で恋したりするんですか!?」
「するわよ」
「きゃー!」
「でも、落とすのと、落ちるのは違うの」
「名言!」
大学生女子が大興奮である。
聖女様はその横で静かに微笑みながら飲んでいた。
「聖女様、止めなくていいんですか」
「楽しそうですので」
「そうですね」
「それに、恋のお話は世界を越えますから」
「そういうものですか」
「はい」
聖女様はグラスを傾ける。
「ですが、飲み比べは世界を越えても節度が必要です」
「聖女様が言いますか」
「私は節度を守ってます」
力強い返事だった。
他にも店内のあちこちで、会話が生まれている。
世界も種族も立場も関係ない。
チラッと横を見るとクロがカウンターの端にぶら下がり、副船長さんと謎の距離感で向かい合っている。
副船長さんが一声鳴く。
クロが翼を広げる。
たぶん何か会話している。
私にはわからない。
わからないが、平和そうなのでよしとする。
いつもの光景だった。
おかしな、変な、賑やかすぎる、いつもの光景。
「……悪くないわ」
小さな声がして、奥の席に目を向けると魔法使いさんが静かに飲んでいた。
誰に向けた言葉なのかはわからない。
けれど、私は聞こえた。
「ありがとうございます」
「聞こえてたの?」
「はい」
「耳いいわね」
「バーのマスターですので」
「便利な言い訳」
「よく言われます」
魔法使いさんは、少しだけ笑った。
その笑顔は、とても疲れていたけれど、とても満足そうだった。
「マスター!」
大学生女子が、突然カウンターの前に立つ。
「はい」
「乾杯しましょう!」
「もう何度かしていませんか」
「いいじゃないですか! 今ここにいる全員で、ちゃんと!」
そう言われると、店内の視線が少しずつこちらへ集まった。
「マスター、乾杯の音頭をお願いします」
大学生女子が言った。
「私ですか」
「もちろんです!」
「店主だからな」
魔王さんが頷く。
「港の主みたいなもんだ!」
海賊船長さんも言う。
「扉の向こうで待つ者に、言葉は必要でござる」
侍さんが真面目に言う。
「言葉は、星の位置を定めます」
占い師さんが言う。
「こういう時に言わないと、あとで言いそびれるわよ」
夢魔さんが笑う。
全員の視線がこちらに集まる。
こういうものは、あまり得意ではない。
だが。
この店の人たちが、全員こちらを見ている。
人ではない方も多いが、今はそのあたりは気にしないことにする。
何を言うべきだろう。
考えたが、立派な言葉は出てこなかった。
まあ、でも、それでもいいだろう。
「本日は、ご来店ありがとうございます」
店内が、少し静かになる。
「この数日、店はとても静かでした」
自分で言って、少しだけ息を整える。
「元々、そういう夜も多い店でしたから静かなことは悪いことではありません」
カウンターの木目を見る。
磨いたグラスを見る。
「ですが、今夜、皆様が戻ってこられて、よくわかりました」
誰も口を挟まない。
「この店は、騒がしいくらいが、ちょうどいいようです」
大学生女子が、すでに泣きそうな顔で口を押さえている。
早い。
「ここは、ただのバーです」
店内に少し笑いが起きる。
なぜだ。
「それでも、どなたかがこのお店を求めて、扉を開けられるならば」
扉を見る。
いろんな世界に繋がる扉。
もう、ただの扉だとは言い切れない扉。
「お店に来てくださった方には、いつも通り、飲み物をお出しします」
それができることだ。
私にできる、たぶん唯一のことだ。
「疲れている方には、休んでいただいて。話したい方のお話は、聞いて。話したくない方は、そっとしておきます」
グラスの中の水が、店内の灯りを映している。
聖女様が微笑む。
魔王さんが静かに頷く。
吸血鬼さんがグラスを持ち上げる。
侍さんが姿勢を正す。
海賊船長さんが、大きく笑う寸前の顔をしている。
「ですので」
私は、グラスを少し掲げた。
「また、いつでもお越しください」
それ以上、気の利いた言葉は出てこなかった。
だが、大学生女子が泣きそうな顔で叫ぶ。
「乾杯です!!」
魔王さんがグラスを掲げる。
「扉の再開と、この店に」
聖女様が続ける。
「皆様の無事と、再会に」
王子様が叫ぶ。
「政治的意味のない酒に!」
カルーアくんが笑う。
「また来られたことに!」
侍さんが静かに言う。
「縁に」
吸血鬼さんが、低く言う。
「夜に」
夢魔さんが笑う。
「楽しい夢に」
占い師さんが星図を掲げる。
「瞬く星に」
海賊船長さんが叫ぶ。
「帰る港に!」
魔法使いさんが、少しだけ遅れてグラスを上げる。
「退屈しない夜に」
それぞれのグラスが掲げられる。
いろんな世界の、いろんな夜が、ひとつの店の中で重なっていた。
「乾杯!」
その声は、誰のものだったのかわからない。
全員のものだったのかもしれない。
グラスの音が、店の中でいくつも重なった。
高い音。低い音。小さな音。澄んだ音。勢いのある音。少し遅れて鳴る音。
それらが全部混ざって、今夜のこの店の音になった。
うるさい。
賑やかだ。
濃すぎる。
ここは、札幌の片隅にある小さなバー。
扉の向こうが少し変でも、今夜のお客様がやたら濃くても、やることは変わらない。
泣いている人も。
怒っている人も。
疲れている人も。
笑っている人も。
世界を救った人も。
世界に置いていかれた人も。
ただ甘い酒が飲みたい人も。
ポイントカードを貯めたい人も。
誰かと話したい人も。
誰とも話したくない人も。
扉を開けて訪れたならば。
私は、言うだけだ。
いらっしゃいませ、と。
今夜も、札幌の片隅にあるこの店は、いろんな世界とつながっている。
私はグラスを拭きながら、少しだけ息を吐く。
扉はまだ、完全に直ったわけではない。
誰が切ったのかもわからない。
なぜ切られたのかもわからない。
問題は山ほどある。
きっと、この先も何か起きる。
だが。
今は。
「マスター」
「はい」
大学生女子が、涙目のまま笑って言った。
「うるさいですね!」
「そうですね」
「このバーは最高ですね!」
「……そうですね」
自画自賛かもしれないが、そう思ってもいいと思う。




