第34話 ツナグ
「いらっしゃいませ?」
私がそう言うと、魔法使いさんはものすごい勢いでこちらを見た。
「そうじゃない!!」
そのまま、彼女は肩で息をしながらカウンターまで歩いてくる。
歩いて。
普通に。
床を踏んで。
店の入口から。
「何なの!?何で急に扉が開かなくなるの!?次元越えてきたわよ!!」
次元って越えていいものなのだろうか。
「落ち着いてください」
「落ち着いてる!」
「それはよかったです」
「よくない!すごい大変だったんだから!!」
よくないらしい。
だが、声が大きいということは元気はあるのだろう。
少なくとも、私が思っていたよりは。
少しだけ、胸の奥が軽くなる。
「このお店見つけるのも本当に大変だったのよ!!」
「申し訳ありません?」
「ようやくこの世界にたどり着いたと思ったら雪!道路!看板!人間多い!どこもかしこも酒場っぽい!」
「酒場は多いかもしれません」
「一回間違えたわよ!」
「間違えたんですか」
「扉を開けたら、知らないおじさんが焼き鳥焼いてた」
「それは居酒屋ですね」
「向こうもびっくりしてたわ」
「でしょうね」
世界最強の魔女が、異世界から自力で札幌に来て、居酒屋に誤入店したらしい。
情報量が多い。
「とにかく!」
魔法使いさんはカウンターに両手をついて、私の方へぐっと顔を寄せた。
「扉!弄るからね!」
「はい?」
「また繋ぐの!この店がただの札幌のバーになってるとか、そんなつまんないこと認めるわけないでしょ!!」
「営業中なんですが」
「じゃあ、マスターはお酒出して。そこの久しぶりのアンタは邪魔な椅子とかテーブルどかして」
私が魔法使いさんの勢いに押されているうちに、イズミくんがビシッと立って敬礼する。
「了解!すぐやります!現実世界の増援呼んでいいすか!?」
「いつもの二人ね?呼びなさい!“縁”は多い方がいい」
置いてけぼりなのは私だけで、イズミくんはサッサと動き出しながらスマホでどこかにかけている。
……しかたない、魔法使いさんに急いでカクテルを用意しよう。
「あー、もしもし。面白いの見れるからいつもの異世界の方のバー来い」
『え!?イズミセンパイ今そこにいるんです!?センパイ引っ張ってすぐ行きます!!』
うん、大学生女子だな。
というかもしかして、うちの店のこと“異世界の方のバー”って言ってるの?
そんなことを想いながら、急いで、でも丁寧に作った酒を魔法使いさんに出す。
目の前に置かれたグラスを、魔法使いさんは一息で半分空にした。
「……っ、はあ」
「少しは落ち着きましたか?」
「ちょっとだけ」
「それは何よりです」
「何よりじゃないのよ。急がないとどんどん繋ぐの難しくなる」
魔法使いさんは、そう言うとカウンターの前から店の中央へ歩いた。
そして、片手を上げる。
その足元に、光の線が一本走る。
次に、二本。
三本。
床の上に、細い光の線が広がっていく。
円。
文字。
記号。
見たことのない文様。
それが店の床いっぱいに浮かび上がった。
凄い光景だが、思わず聞いてしまう。
「床に跡は残りますか?」
「そこ心配する!?」
「賃貸ですので」
「残さないわよ!」
「ありがとうございます」
魔法使いさんは、心底呆れたような顔をした。
しかし、その顔もすぐに真剣なものへ変わる。
いつもの魔法使いさんなら、こういうことをするときも余裕の笑みを浮かべている。
だが今は違った。
顔が真剣だった。
真剣すぎて、逆に不安になる。
「私一人で全部戻すのは無理」
「魔法使いさんでもですか」
「私が本気出しても、一つか二つが限界。しかも安定しない」
「では、どうするんですか」
「だから、引っ張ってくるのよ」
「何を」
「常連」
言い切った。
非常に物騒な言い方だった。
「常連さんたちを引っ張ってくるんですか」
「そう。あの変なのたち、こういう時には役に立つでしょ」
「変なの」
ひどい言い草である。
魔法使いさんの足元から、細い光の線がいくつも伸びていく。それは床を這い、壁を登り、扉の輪郭へと集まっていった。
木の扉が、ほんのりと青白く光る。
魔法使いさんは扉へ向けて手を伸ばし、何か見えない糸を引っ張るような仕草をした。
「こっちじゃない……これでもない……ああもう、世界座標がぐちゃぐちゃ。誰よこんな雑な切れ方したの」
「誰なんですか?」
「知らないわよ!知ってたら今頃その相手の家燃やしてる!」
物騒である。
だが、その怒りはどこか少し嬉しそうでもあった。
ようやく文句を言う相手ができたからかもしれない。
問題は、これ傍から見たら通報案件じゃないだろうか、ということだ。
「……イズミくん」
「はい」
「見なかったことにできますか」
「ちょっと無理かなあ」
「ですよね」
そうこうしているうちに、魔法使いさんが、小さく呟く。
「……あった」
彼女の指先が、扉へ向けてぴたりと止まる。
次の瞬間。
カラン。
扉のベルが、小さく鳴った。
誰も触っていないのに。
そして――景色が変わる。
蛍光灯に照らされた雑居ビルの廊下が、ぐにゃりと歪み、その向こうに見えたのは、石造りの回廊だった。
なんとなく物語のお城っぽい。
魔法使いさんが、そのまま叫ぶ。
「カルーアくーん!!」
回廊の向こうで、誰かがびくっと跳ねた気がした。
「え!?」
聞き慣れた声。
「ちょ、ちょっと待ってください!今魔法使いさんの声しましたよね!?」
「したわよ!!早く来なさい!!」
「行きます!!」
数秒後、ばたばたと慌てた足音が近づいてきて、扉の向こうからカルーアくんが飛び込んできた。
「マスター!」
「いらっしゃいませ」
「うわあぁ……店だ……本当に……」
カルーアくんは、少しだけ泣きそうな顔で店内を見回した。
「いらっしゃいませ」
「『いらっしゃいませ』じゃないですよ!俺、どうにかならないかとずっと魔術式とにらめっこしてたんですよ!?」
うん、いいツッコミの切れ味。
さすがカルーアくんだ。
カルーアくんはそこで、魔法使いさんを見た。
「あ、でも……」
「何よ」
「もしかして、自力で札幌まで来たんですか?」
「来たわよ」
「すご……」
「褒めるのは後!手伝って!」
「もちろん!」
カルーアくんが即答する。
さすが異世界チート転生者、判断が早い。
それが少しだけ嬉しかったのか、魔法使いさんは小さく鼻を鳴らした。
「何してるかだいたいわかるでしょ、あなたは空間の歪みを固定して」
「了解です」
「マスター」
「はい」
「たぶん、またちょっとうるさくなるわよ」
「たぶんじゃなく、確定ですね」
「ええ」
魔法使いさんは、悪びれもせずに頷いた。
その間にもカルーアくんが床へしゃがみ込み、何やら複雑な光の線を指先で描き始める。
「うわ……これ、ほんとに無理やり繋げてるんですね」
「そうよ」
「雑ですね」
「うるさい」
「褒めてます」
「どこが」
「力技の精度が高いところ」
「そう」
二人とも少し嬉しそうだった。
たぶん、なんかすごい会話をしてるんだと思う。
次の瞬間には、二人とも真剣な顔を扉へ向ける。
「次!侍くんの世界!」
「了解です!!」
こうなると、私とイズミくんは本当に見てるだけだ。
ギィィィン、と金属を擦るような、でも耳ではなく頭の奥に響く音がした。
扉の向こうの景色が、また変わる。
月光。
枯れ野。
遠くに山。
その中に、侍さんが立っていた。
足元には、巨大な百足のようなものが二つに分かれて転がっている。
できれば詳しく見たくない。
「おお」
侍さんが、目を見開く。
「マスター殿!」
「いらっしゃいませ」
侍さんは血を払うように刀を振って納め、何事もなかったように扉へ歩いてきた。
「久方ぶりでござる」
「お久しぶりです」
「店の扉が見つからず、難儀しておった」
「皆様そうだったようで」
「なるほど」
侍さんは床の魔法陣を見て、すぐに状況を察したように頷いた。
「して、拙者は何を斬ればよい?」
早い。
この人も早い。
「話が早くて助かるわ。次元斬って」
「お安い御用」
説明が短い。
というかお安い御用なのです?
マスターとして、店内での抜刀は止めたい。
止めたいが、今は扉を直しているらしい。
「……床と壁とグラスを壊さない範囲でお願いします」
「善処するでござる」
「善処では困るんですが」
「承知」
言った瞬間には、もう斬っていた、んだと思う。
侍さんがすっと腰を落とした瞬間、銀の線が走ったように見えた。
扉の向こうの空間が、静かに三枚ほど増えたように見える。
「今、次元切れたの!?」
イズミくんが叫ぶが、私も次元を斬る人を初めて見た。
いや、この店にいると初めてが多すぎる。
増えた空間の裂け目の先に、さらにいくつかの世界がちらちらと見えた。
城。
海。
教会。
夜の屋敷。
星の見える砂漠。
「いいじゃない。さすが」
「褒められると照れるでござるな」
侍さんは刀を納めながら、珍しく少しだけ嬉しそうだった。
「よし、ここから一気に行くわよ!!」
魔法使いさんが両手を広げる。
カルーアくんが、床に描いた光の線へさらに別の何かを描いている。
侍さんが、また一閃。
店の扉が、もう扉の役目を忘れたみたいに何枚もの景色を映し始める。
魔法使いさんも、カルーアくんも侍さんも真剣な顔なのに少し口元が笑っている。
次に繋がったのは、白い石造りの教会だった。
柔らかな光。
祭壇。
並べられたたくさんの長椅子。
その中央で、聖女様が静かにこちらを見ていた。
「まあ、開いたのですね」
「いらっしゃいませ」
あの、礼拝中か何かだったのでは?
「はい。ただいま参りました」
そのまま、静かに聖女様が入店してくる。
それだけで空気が少し浄化され、整った気がするから不思議だ。
「魔法使いさん」
「何?」
「お疲れでしょう」
「見ればわかる?」
「はい」
「見ないで」
「見ます」
聖女様はにこにこと近づいた。
魔法使いさんが一歩引く。
「祝福はいらないわよ」
「まだ何も言っておりません」
「顔が言ってる」
「では、少しだけ」
「少しだけなら」
聖女様が手をかざす。
柔らかな光が、魔法使いさんの肩へ落ちた。
「……ありがと」
「“友人として”ささやかな祈りです」
「……あとで飲み比べしましょか」
「あら、うふふ。楽しみです」
いや、今日は飲み比べはやめてほしい。
そう思ったが、口には出さなかった。
出してもたぶん止まらない。
「聖女様、わからないと思うけど、扉の固定手伝って」
魔法使いさんが短く言う。
「承知しました」
聖女様は何も聞かず、両手を組んだ。
白い光が扉を包む。
同時に、扉がさらに大きく震える。
カランカランカランカラン!
ドアベルが、鳴りっぱなしになった。
ずいぶん派手な扉になってきた。
普通のバーの扉ではない。
「これで、誰かの願いだけに引っ張られすぎることはないでしょう」
聖女様が言った。
「扉は、来たい方を迎えるものですから」
「いいこと言うわね」
「飲み比べには拙者もりべんじするでござる」
「俺も対毒耐性のスキル習得してきたので今度こそ!!」
うちの在庫は終わるかもしれない。
でも、みんな笑ってる。
これだ。
この騒がしさだ。
この、何が起きているのかわからないのに、誰かが笑っている感じ。
うちの店は、ここしばらくずっと静かすぎた。
(つづく)




