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【7/1完結】とある札幌のバーの扉が色んな異世界に繋がってしまったようです。さて、今夜のお客様は?  作者: 萩原詩荻


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第33話 久しぶり

「マスター、何かあったんですか?」


 年配の男性のお客様が、ゆっくりとグラスを置いた。


「何か、とは」


「ふむ。いつもより、扉の方を気にしてるように見えたものでね」


「……申し訳ございません」


「客商売してる人間は、客のこと見てるでしょう。客も案外、店の人のこと見てますよ」


「勉強になります」


「年寄りの小言です」


 男性は笑った。


「誰かを待ってるのかい?」


 待っている。


 そう言われると、少し違う気もする。


 約束をしたわけでもない。


 また来る、と言われたわけでもない。


 ただ、店を開けているだけだ。


 扉を閉ざさず、灯りをつけ、氷を用意し、グラスを磨いているだけだ。


 それでも。


「そうですね」


 少しだけ考えてから答えた。


「いつものお客様を、少し」


「そうですか」


 男性は、それ以上聞かなかった。


 この店には、そういうお客様も多い。


 踏み込みすぎない。


 少しだけ見て、少しだけ話して、少しだけ飲んで帰る。


 普通のバーとは、そういう場所でもある。


「そのお客様、来るといいですね」


「はい」


 私は、グラスを拭きながら頷いた。


「ありがとうございます」


 言ってから、少し不思議な気持ちになった。


 どうして私は、礼を言ったのだろう。


 お客様は、ただ何気ないことを言っただけだ。


 それなのに、少しだけ胸の奥が温かくなった。


 困ったものだ。


 最近の私は、どうにも感傷的になっている。



 カラン。


「いらっしゃいませ」


「おっすー、久しぶりー」


 本当に久しぶりの顔――イズミくんだった。


 彼は、笑いながらカウンターにスッと腰かける。


「何を飲まれますか?」


「いやあ、実はこの後も大学に戻らなきゃいけなくてさー。軽めにすっきりするやつちょーだい」


「かしこまりました」


 大学生というのは、講義やら課題やら友人関係やら恋愛やらで、何かと忙しい。


 特にイズミくんは、友人関係と恋愛方面が忙しそうな人である。


 私が言うことではないが。


「お久しぶりですね」


「ちょっと忙しくてねー」


 彼は扉がおかしくなる前からの客だが、最近は不思議と顔を見ていなかった。


 異世界の客が増えたからか。


 たまたまタイミングがずれたからか。


 それとも、何かを見計らって来たのか。


 その辺は、よくわからない。


「そういえば、最近の常連がものすごく濃くなってるって聞いたぜ?」


 うん、なんとなく大学生女子から聞いたんだな、とわかる。


「濃くなりました」


「マスターも言うなら相当だな」


 彼も普通の現実世界側のはずなのに、妙に適応が早かった。


 ……大学生という生き物はそういうものなのかもしれない。


 イズミくんはカクテルを受け取り、一口飲んだ。


「うん、うまい」


「ありがとうございます」


「で?」


「はい?」


「何かあった?」


「何か、とは」


「マスター、なんか寂しそうじゃん」


 その言葉は、あまりにも自然に出てきた。


「……そうですか?」


「そう見える」


「気のせいでは」


「気のせいかなあ」


 イズミくんは、カウンターに肘をつく。


「誰かを待ってる感じがする」


 私は、少しだけ言葉に詰まった。


 なんとなく自分でも認めたくなかったことを、イズミくんはあっさり言った。


 軽く見えて、人の空気の変化には妙に敏い。


 だから、たぶんモテるのだろう。


 本人は、その敏さをだいぶ雑に使っている気もするが。


「待ってはいませんよ」


 一応、そう答えた。


「へぇ」


「店を開けているだけです」


「その返し、今の俺にはちょっと負け惜しみに聞こえるなぁ」


「失礼ですね」


「でも、違うなら違うでいいけどさ」


「はい」


「マスター、前より人間っぽい顔するようになったよね」


「……私は人間ですが」


 少なくとも異世界に渡った覚えはない。


「いや、そういう意味じゃなくて」


 彼は言葉を探すように、グラスの中の氷を見た。


「前はさ、もっと、こう……いい意味で、店の人って感じだったんだよ」


「店の人」


「うん。お客が何言っても、まあそういうもんです、みたいな。一定距離で見てる感じ」


「バーのマスターですから」


「今はもう少し近い」


 思いがけないことを言われた。


「近いですか」


「うん」


 イズミくんは頷く。


「この数日、なんかあった?」


 なんでもない調子で言っているように見えて、たぶん彼は、少しだけ気を遣っている。


 ……こういうところが、昔から変に人たらしだ。


「突然、異世界のお客様が来なくなりました」


「噂の濃くなったメンバー全員?」


「はい」


「なるほど。それでか」


「それで、とは?」


「そりゃ寂しいわ」


 イズミくんは、当たり前のように言った。


 私は正直、少し迷っていた。


 異世界のお客様が来ないことを寂しいと思うのは、現実世界のお客様への不義理ではないか。


 普通ではないものが戻ってこないことを、普通に寂しがっていいのか。


 ……魔法使いさんが奥の席にいないことを寂しいと思っていいのか。


 でも、イズミくんは、あっさり言った。


 そりゃ寂しいわ、と。


 そうなると。


 ふむ。


 それはたぶん。


 寂しい。


 その言葉は、少し扱いに困る。


 心配はしている。


 落ち着かない。


 静かすぎる。


 物足りない。


 だが、それらをまとめるなら、きっと。


「……そうですね。寂しいのかもしれません」


「でしょ」


 イズミくんは、得意げに笑った。


「俺、表情読むの得意だから」


 久しぶりに来た常連にまで見抜かれるとは。


 私は、どうやら本当にわかりやすくなっているらしい。


 それでも。


 認めたことで。


 少しだけ、店内の空気が軽くなった気がした。


「何か軽くつまみますか?」


「じゃあ、チーズ」


「かしこまりました」


 チーズはチーズである。


 呪文ではない。


「どうぞ」


「ありがと」


 イズミくんはチーズを一切れつまんで、少し笑った。


「うま」


「ありがとうございます」


「ふと思ったけど、異世界にチーズってあんの?」


「ない世界の方々が興味津々でした」


「やっぱり」


「チーズの説明をするのが、大変でした」


「俺、いたら手伝えたのに」


「助かります」


「異世界チーズ講座はちょっとやりたい」


「やりたいんですか」


「楽しそうじゃん」


 やはり、適応力が高い。


 チーズを食べながら、ふと思い出したように別の話題を振ってくる。


「ねえ、もし急にまた異世界勢が来たら、マスターは何て言うの?」


「普通に『いらっしゃいませ』だと思いますが」


「普通だなぁ」


「バーですので」


「『心配しました』とか」


「言いません」


「『寂しかったです』とか」


「それはもっと言いません」


「へぇー」


 イズミくんが、にやにやしている。


「何ですか」


「いや、言わないんだなぁって」


「言いませんよ」


「へぇー」


 その顔は、完全に面白がっている顔だった。


 おそらく、魔法使いさんと気が合うだろう。


「マスターって、そういうの言わないタイプだよね」


「必要ありませんから」


「必要あるかないかじゃなくてさ」


 イズミくんは、そこでグラスを少しだけ持ち上げて、意味ありげにこちらを見る。


「聞きたい人もいるんじゃない?」


「……」


「まあ、俺は別に言われなくていいけど」


「そうですか」


「うん。俺は来たい時に来るし」


「それはありがたいですね」


「でも、あの透明だった人とか、言われたらちょっと喜ぶタイプなんじゃない?」


「イズミくん」


「はい」


「楽しそうですね?」


「すごい楽しい」


 正直でよろしい。


 ――そのときだった。


 バンッ!!


 扉が、勢いよく開いた。


 木の扉が壁にぶつかって、店内に大きな音が響く。


 私は反射的に顔を上げた。


 イズミくんも、グラスを持ったまま振り返る。


「――見つけた!」


 そこに立っていたのは、魔法使いさんだった。


 髪は少し乱れている。


 いつもの余裕のある笑みはない。


 代わりに、ものすごく不機嫌そうで、ものすごく疲れていて、そして、どこか安心したような顔をしていた。


 だが。


 彼女の背後、開け放たれた扉の向こうに見えていたのは――。


 蛍光灯の光。


 少し古い床。


 隣の店の看板。


 階段へ続く、冷たい空気。


 見慣れた。


 札幌の雑居ビルの廊下だった。


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