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【7/1完結】とある札幌のバーの扉が色んな異世界に繋がってしまったようです。さて、今夜のお客様は?  作者: 萩原詩荻


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第零話 星の終わりと、酒場の扉

 ぷかぷか浮かぶ。


 上も下もない場所で、私は今日も、意味もなく浮かんでいる。


 周囲には、かつて星だったものの破片がたくさんあった。


 星の残骸。


 世界の成れの果て。


 ……この破片が星だったのはいつの話だったか。


 もう覚えてないほど、はるか昔のことだ。


 ――この世界は、魔法が発展しすぎた。


 魔法は、人の願いを叶えた。


 魔法は、不可能を少しずつ可能に変えた。


 人々は喜んだ。


 当然だ。


 冬に凍えなくなった。


 飢えが減った。


 病が減った。


 誰もが言った。


 魔法は世界を救う。


 魔法は人を幸せにする。


 魔法は神の領域へ届く。


 それが、いけなかったのだろう。


 人々は世界の果てを見た。


 果てを見たことで、人々は知ってしまった。


 この世界は、無限ではない。


 魔力も。


 魂も。


 空も。


 海も。


 星も。


 世界には限りがある。


 限りがあると知った瞬間、人々は、今あるものを数え始めた。


 数えると、比べる。


 比べると、足りないものが見える。


 足りないものが見えると、奪う理由が生まれる。


 ……人々は今あるものを奪い合った。


 馬鹿らしい。


 本当に、馬鹿らしい。


 千年後に枯れる泉を恐れて、今日の水を血で汚した。


 三千年後に足りなくなる魔力を恐れて、目の前の星を焼いた。


 一万年後の終わりに怯えて、明日の命を踏み潰した。


 竜の王が星核を砕く術式を使った。


 妖精女王が時間の森を燃やした。


 魔族の皇帝が全死者の怨念を束ねた。


 人間の連合王が神殿ごと神々を炉にくべた。


 世界は何度か終わった。


 それでもなお終わりきらずに、今のこの無様な形だけが残った。


 気がついた時、私はこの空とも呼べない場所に浮いていた。


 私は、たまたま生き残った。


 ノワールも、たまたま私の影の中にいた。


 偶然。


 本当に偶然。


 ノワールは、今も私の影の中で丸くなっている。


 丸くなる意味があるのかは怪しいが、本人がそういう姿勢でいたがるので、そういうことにしている。


 黒い毛並み。


 金色の目。


 昔と変わらない。


 いや、変わらないように私がしているだけかもしれない。


 使い魔は主の魔力に依存する。


 私が生きている限り、ノワールは生きる。


 私が壊れない限り、ノワールも壊れない。


 その事実が救いなのか、呪いなのかは、もう考えないことにした。


 私は、小さく息を吐く。


 身体の状態は、魔力でどうにでもなる。


 眠らなくてもいい。


 食べなくてもいい。


 飲まなくてもいい。


 傷ついても治せる。


 老いることもない。


 私は世界最強の魔女なのだから。


 そう、世界最強の魔女。


 昔はそう呼ばれたこともあった。


 今となっては、別に間違いでもない。


 世界に一人しかいないのだから、最強に決まっている。


 何年。


 何百年。


 何千年。


 どれだけ経ったのだろう。


 魔力の流れと星だったものの軌道を読めば、おおよその時間はわかる。


 でも、数えたところで何になる。


 死のうと思ったことはある。


 正確には、死ぬ方法を考えたことはある。


 自分自身の魂を分解する術式。


 存在を世界の記録から削る術式。


 時間の外へ落ちる術式。


 因果を焼き切る術式。


 けれど、実行はしなかった。


 怖かったからではない。


 未練があったからでもない。


 ただ、あほらしかった。


 生き残ったのが偶然なら、死ぬ理由も偶然でいいはずなのに、自分で自分を終わらせるのは妙に癪だった。


 この世界の無様な結末に、最後の最後だけ自分の手を貸すみたいで、嫌だった。


 だから、ただ生きていた。


 ずっとぷかぷかと浮いている。


 星の墓場で。


 時折、魔術の修行とも言えないような練習をした。


 空間を折る。


 時間を結ぶ。


 消えた神の座に指先だけ触れる。


 破片のひとつに花を咲かせようとして、花の名前を思い出せずにやめる。


 何もかも意味はなかった。


 世界最強の魔女が、滅びた世界で猫相手に魔術を見せている。


 観客は一匹。


 拍手はない。


 たまにあくびがある。


「あーあ」


 声が出た。


「誰かとお話したいな」


 言ってから、自分で驚いた。


 何で、そんなことを思ったのだろう。


 何で、今なのだろう。


 独り言自体、何百年ぶりに口にしたのかわからなかった。


 声が出たことに、自分で少し驚いたくらいだ。


 喋る相手がいなかったから。


 ノワールとは、言葉がなくてもだいたい通じる。


 通じすぎて、言葉を使わなくなった。


 だから。


 今の言葉は、本当に。


 どこから出てきたのか、わからなかった。


 それでも。


 誰かと話したいと思うなら。


 まだ、私は完全な化け物ではないのかもしれない。


 そう思った。


 ――――そのときだった。


 チリン。


「?」


 聞こえた音に、理解ができなかった。


 小さな金属音。


 遠くでも近くでもない。


 この何もない世界に、本来あるはずのない音。


 そこに見えたものは、もっと理解ができなかった。


「……扉?」


 本当に、ごく普通の木の扉に見えた。


 巨大でもない。


 禍々しくもない。


 魔力に満ちてもいない。


 ただ、何もない空間に、扉だけがある。


 さっきまではなかった、と思う。


 たぶん。


 いや、さすがに、あれほど場違いなものがあったら気づく。


 変化。


 良い変化なのか、悪い変化なのかはわからない。


 罠かもしれない。


 この世界の残滓が最後に見せる冗談かもしれない。


 昔の誰かが仕込んだ遅延型の魔術かもしれない。


 でも。


「どっちでもいいか」


 本当に、そう思った。


 ここに留まっていても、何も変わらない。


 星の破片が流れるだけ。


 終わった世界が、さらに少しずつ終わっていくだけ。


 なら。


 扉くらい、開けてみてもいい。


 私は、ふわふわと扉に近づいた。


 私の胸の奥で、何かが嫌な音を立てた。


 期待。


 そんなものは、とうの昔に捨てたはずだった。


 期待は、裏切られた時に心を裂く。


 世界が壊れた時、私は知った。


 願うことには、代償がある。


 望むことには、痛みがある。


 だから、望まない方が楽だった。


 何も待たない方が安全だった。


 けれど。


 ドアノブに触れる。


 冷たい。


 捻る。


 押す。


 チリン。


 鈴が鳴る。


 扉が開く。


「いらっしゃいま……せ?」


 人の声だった。


 間違いなく、人の声だった。


 誰かが、そこにいた。


 私に向かって、声をかけた。


 言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。


 いらっしゃいませ。


 歓迎の言葉。


 客を迎える言葉。


 私は、客なのだろうか。


 ここは、店なのだろうか。


 そんなことより。


 人の声だ。


 人がいる。


 生きている誰かがいる。


 声がする。


 息がある。


 こちらを見ている。


 ちょっと泣きそうになった。


 本当に、ほんの少しだけ。


 胸の奥が、ぐしゃりと変な形になった。


 喉が詰まった。


 目の奥が熱くなった。


 だが、そんなことは、プライドが許さない。


 世界最強の魔女が、知らない場所に入っただけで泣きそうになるなど、あってはならない。


 私は、瞬きを一度だけした。


 余計なものを押し込める。


 大丈夫。


 声は出る。


 さっき出た。


 ちゃんと喋れる。


 喋れるはずだ。


 だが、何を言えばいいのか。


 何千年ぶりかの会話の第一声として、何が正解なのか。


「ここは?」


 声は出た。


 少し掠れていた。


 でも、出た。


 人間は、ほんの少し困ったような顔をしてから、丁寧に答えた。


「バーですが……」


 言葉の意味を探す。


 古い記憶のどこかに、それに近いものがあった。


 酒を飲む場所。


 人が集まる場所。


「バーって……えっと、酒場ってこと?」


「はい、そうです。何かお飲みになりますか?」


 その言葉が、ひどく平凡で。


 ひどく普通で。


 あまりにも、救いだった。


 世界を救う魔法でもない。


 死者を蘇らせる術でもない。


 過去を変える奇跡でもない。


 ただ、酒を飲むかと聞かれただけ。


 それだけ。


 それだけのことが、どうしようもなく眩しかった。


「……ええ」


 私は、浮かぶのを止め、歩いてカウンターへ近づいた。


 一歩。


 また一歩。


 床の感覚を確かめながら。


 椅子。


 そうか、座らなきゃ。


 たったそれだけのことが、妙に難しい。


 何千年も浮いていたから。


 座ることの意味を、少しだけ忘れていた。


 私は椅子に腰を下ろした。


 木が軋む。


 音がする。


 重さがある。


 人間は、私をじっと見すぎないようにしながら言った。


「好みはございますか?」


 好み。


 好みなんて、まだあるのだろうか。


 好きな味。


 飲みたいもの。


 食べたいもの。


 そういうものを、ずいぶん長く考えていなかった。


 だから、私は少し考えて。


「……甘くないもの」


 そう言った。


「かしこまりました」


 人間は頷いた。


 当たり前のように。


 それ以上何も聞かなかった。


 ただ、グラスを用意し、酒を注ぐ。


 その手つきが、あまりにも普通だった。


「どうぞ」


 グラスが置かれる。


 小さな氷が、からん、と音を立てた。


 一口飲む。


 苦い。


 少し酸っぱい。


 香りが強い。


 喉が、熱くなる。


 身体の中に、液体が落ちていく感覚。


 私は、目を閉じた。


 たぶん、ものすごく高価なものではない。


 世界を変えるようなものでもない。


 でも。


 私は、何千年ぶりかに、誰かが出してくれたものを飲んだ。


「……悪くないわ」


 そう言うのが精一杯だった。


「ありがとうございます」


 礼を言われた。


 私が酒を飲んだだけで。


 ただ、酒を飲んで、悪くないと言っただけで。


 ありがとうございます、と言われた。


 おかしな場所だ。


 あり得ない場所だ。


 世界の外にあるのか。


 世界と世界の隙間にあるのか。


 誰が作ったのか。


 なぜ私のところへ繋がったのか。


 調べるべきことはいくらでもあった。


 扉。


 空間。


 言語。


 酒。


 この人間。


 帰れるのか。


 また来られるのか。


 考えるべきことは多かった。


 けれど、その夜の私は、何も調べなかった。


 ただ、グラスを眺めた。


 酒を飲んだ。


 人間は、マスターと呼ばれる存在らしい。


 マスター。


 カウンターの向こうで、普通の夜を守る人。


 私の壊れた世界とは何の関係もない人。


 だから、よかった。


 帰る時、扉の前で一度振り返った。


「ねえ」


「はい」


「また来てもいいの?」


 言ってから、「しまった」と思った。


 まるで、来たいみたいではないか。


 ただ、マスターは当たり前のように返した。


「もちろんです」


 もちろん。


 その言葉が、胸の奥に残った。


 扉は、私が開けると元の世界に繋がった。


 そのまま私は、砕けた星の破片の間に戻った。


 相変わらず、何もない。


 相変わらず、誰もいない。


 相変わらず、世界は滅んでいる。


 けれど。


 酒の味が舌に残っていた。


 氷の音が耳に残っていた。


 人の声が、胸に残っていた。


 振り向けば、扉があった。


 気のせいじゃなかった。


 幻じゃなかった。


 私は、何千年ぶりかに、次の夜を待った。


 次の日。


 押した。


 開かなかった。


 発狂するかと思ったが、しばらく後に押したら開いた。


 平静を装って、マスターに聞くと、どうやら、営業時間というものがあるらしかった。


 その日は帰った後、時間を計るための魔術を作った。


 その次の日も行った。


 次の日も。


 次の日も。


 私は少しずつ、酒の名前を覚えた。


 グラスの形を覚えた。


 椅子の座り心地を覚えた。


 カウンターの木目を覚えた。


 マスターが困った時に少しだけ眉を下げることを覚えた。


 店内の灯りが、夜の終わり頃に少し暗く見えることを覚えた。


 氷の音を覚えた。


 扉のベルの音を覚えた。


 いつの間にか、私は一番奥の席に座るようになった。


 そこは、少し暗くて、店全体がよく見えた。


 誰が来るか見える。


 誰が笑うか見える。


 誰が困るか見える。


 マスターが、どんな顔で酒を出すか見える。


 その席が、少し気に入った。


 途中から透明になることにした。


 姿を消していると、誰かの会話を邪魔せずに聞ける。


 便利だった。


 とても便利だった。


 その後も、いろいろな客が来た。


 転生者。


 牧場主。


 剣士。


 名探偵。


 海賊。


 聖女。


 魔王。


 勇者。


 吸血鬼。


 アンドロイド警察官。


 王子。


 夢魔。


 ほかにもいっぱい。


 わけのわからない客ばかりだった。


 私はそれを見るのが好きになった。


 研究ではない。


 観察でもない。


 たぶん、もっと単純なものだ。


 誰かが変なことを言っているのを見ながら、酒を飲む。


 それが、好きになった。


 だから、私は通った。


 毎日。


 開店から。


 閉店まで。


 住んではいない。


 そこは譲らない。


 家は別にある。


 たとえその家が、星の残骸がぷかぷか浮かぶだけの何もない空間だったとしても。


 住んでいるわけではない。


 通っているだけ。


 ただのバーだ。


 小さな、変な、札幌のバー。


 けれど。


 扉を開けると、誰かがいる。


 マスターが、いらっしゃいませと言う。


 それだけで、私はたぶん。


 何千年ぶりかに、少しだけ息をしていた。

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