第14話 勇者来店(下)
「最初は、信じていた。人間のために戦うのだと。世界を救うのだと」
誰も茶化さない。
「でも、勝ちすぎた」
勇者さんが、小さく笑った。
笑ったのに、顔は泣いていた。
「魔族の砦をいくつも落とした。魔王軍の将を倒した。みんな、私たちを英雄と呼んだ。でも……王たちは怖がるようになった」
「怖がる、とは?」
侍さんが、思わずといったように聞いた。
「聖剣を持った人間を誰が止めるのか。私がどの王国につくのか。どの貴族と結婚するのか」
「あー……」
カルーアくんが顔をしかめた。
異世界転生者として、心当たりがあるのかもしれない。
勇者さんは、グラスを握りしめた。
「それでも、仲間たちのことだけは信じていたんだ。彼らと一緒なら魔王を倒して、世界を救えると」
「信じていた……ってことは」
海賊船長が低く言った。
「寝ている時に、三人がかりで殺されそうになった」
店内の空気が、凍った。
聖女様は、微笑んでいる。
だが、目が笑っていなかった。
「それは、なぜ?」
聖女様が尋ねる。
「一番大きな王国から命令されたらしい」
「うわぁ……」
カルーアくんが、はっきりと声に出して嫌悪感を顕わにした。
誰も責めなかった。
「私は仲間たちをなんとか退けて逃げ出した。でも、それで終わりじゃなかった」
勇者さんは、淡々と話そうとしていた。
だが、声が震えている。
「王国は、魔王軍と交渉した。国境の領土一部と引き換えに、勇者を引き渡すと」
「……馬鹿な」
魔王さんが同じ魔王としてドン引きしている。
「我なら受けぬ」
「なぜだ」
「勇者を差し出す王など信用できぬ」
魔王さんが吐き捨てるように言った。
「一度裏切った王は、次も裏切るに決まっている」
その言葉に、勇者さんが顔を上げた。
泣き腫らした目で、魔王さんを見る。
「……魔王が、それを言うのか」
「魔王だから言うのだ。裏切りを統治の基本にする者は、下衆だ」
「……」
少しだけ、勇者さんの目が揺れた。
「私は逃げた」
「それは正しい」
侍さんが静かに言った。
「武士にも、死すべき時と逃げるべき時がある。売られて死ぬ義理などない」
「……でも」
「でも?」
「逃げた先の村で、石を投げられた」
嫌な予感がした。
「子どもを助けた村だった。魔物の群れから守った村だった」
勇者さんは、ぽつりと言った。
「魔王を倒さなかった勇者だと。勇者のせいで税が上がった。勇者のせいで兵が徴発された」
勇者さんの手が震えていた。
「私が助けた子の母親が、私に石を投げた」
誰も、何も言わなかった。
言えなかった。
勇者さんは、うつむいたまま続ける。
「それで……もう、どこ行ってもダメで……」
「魔族に追われて……人間にも追われて……」
「仲間もいなくて……」
ぽろぽろと涙が落ちる。
静かだった。
バーなのに。
これほどいろんな世界のお客様がいる店なのに。
「……その王国」
魔王さんが低く言った。
「滅ぼしてよいか?」
「勇者ちゃんが扉開けて私と魔王くんが全力出せば更地に出来るわよ」
魔法使いさんがここまで怒った顔を私は初めて見た。
カルーアくんが真顔で頷く。
「俺が協力すれば、店への反動をゼロにする自信もあります」
うちの常連怖い。
勇者さんは、疲れたように笑った。
「ごめん。こんな話をして」
「謝る必要はありません」
聖女様が、きっぱりと言った。
「あなたは、よくここまで来ました」
「……来たというか、逃げて、森で寝て、川の水を飲んで、気づいたら扉があって」
「それでもです」
聖女様は、そっと勇者さんの手に触れた。
「よく、今日まで生きてくださいました」
その一言で、勇者さんの顔が崩れた。
「う、うぅ……」
彼女は、子どものように泣き出した。
聖女様は、その背中をゆっくりと撫でる。
「……私、ちゃんと頑張ったのに……」
「はい」
「なんで、誰も助けてくれないんだろ……」
聖女様が、そっと彼女の背に手を置いた。
「それは」
声が、とても静かだった。
「あなたが悪いからではありません」
勇者の肩が震える。
「あなたの周りの人が、ひどかっただけです」
「……っ」
「あなたが勇者であることと、あなたが粗末に扱われてよい理由にはなりません」
聖女様の声には、不思議と力があった。
「勇者さん」
「はい」
「あなたは、今、どこへ帰りたいですか」
勇者さんは答えなかった。
しばらく、グラスを見つめていた。
「わからない」
「では、どこへ帰りたくありませんか」
「……王都」
「はい」
「村」
「はい」
「仲間のところ」
「はい」
「……もう、どこにも帰りたくない」
聖女様は、そっと勇者さんの手を握った。
「でしたら、今夜は帰らなくていいと思います」
「でも」
「ここはバーです」
聖女様が静かに言う。
「泣いても、飲んでも、眠ってしまっても、誰かが一度くらいは面倒を見ます」
聖女様は、やはり聖女様だった。
勇者さんは、泣きながら少し笑った。
「……勇者よ、我の城に来るか」
魔王さんの言葉に店内が静かになった。
「……は?」
勇者さんが、ものすごく素直な声を出した。
「だから、我の城に来るかと聞いている」
「いや、私は勇者で」
「別世界の勇者だ」
「あなたは魔王で」
「別世界の魔王だ」
「でも魔王城は」
「寝床はある。風呂もある。医者もいる」
魔王さんは真剣だった。
「我が魔王城には、傷ついた兵の休養棟がある。そこなら誰もお主を責めぬ」
「でも」
「我の世界の勇者とは敵対している。だが、お主は我の世界の勇者ではない」
「……」
「それに」
魔王さんは、少しだけ視線を逸らした。
「お主がここで寝落ちした場合、マスターが困る」
「理由がそれなのか」
勇者さんが、泣き顔のまま突っ込んだ。
よかった。
突っ込めるくらいには戻ってきた。
「いや、理由は他にもある」
魔王さんは、少し言葉を選んだ。
「お主を、このまま一人で帰すのは寝覚めが悪い」
その声は、魔王らしく低く、しかし不思議と優しかった。
「王も、仲間も、村も、お主を守らなかったのだろう」
「……」
「ならば、今夜くらい、別世界の魔王が守っても罰は当たるまい」
勇者さんは、ぽかんと魔王さんを見た。
それから、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
「なんで」
「うむ」
「なんで魔王の方が優しいんだよぉ……」
「我に聞かれても困る」
それはそう。
「魔王さん」
聖女様が言った。
「なんだ」
「その方を連れていくなら、お願いがあります」
「言え」
「温かい食事を」
「用意する」
「柔らかい寝床を」
「用意する」
「可能であれば、猫か犬のような小さな生き物を」
「……なぜだ?」
「人は、弱っている時、柔らかい命に救われることがあります」
「なるほど」
魔王さんは真剣に頷いた。
「クロを貸す」
「クロは偉い子ですから大丈夫そうですね」
聖女様は真面目に言った。
店内の空気が少しだけ和らいだ。
勇者さんは、小さく笑った。
笑えたことで、張り詰めた糸が限界を迎えたのだろう。
突然、カウンターに突っ伏すようにして、そのまま眠ってしまった。
「……寝ましたね」
「寝ましたね」
聖女様は、勇者さんの額にそっと手を当てた。
柔らかな光が、ふわりと彼女を包む。
「悪夢を少し遠ざける祝福です」
「少しなのですね」
「完全に消すのは、本人の歩みまで奪ってしまいますから」
「なるほど」
聖女様は、やはり聖女様だった。
酒豪だけど。
店内に、静かな沈黙が落ちる。
魔王さんは、しばらく勇者さんを見ていた。
それから、ゆっくり立ち上がって勇者さんを背負う。
「本当に連れていかれますか」
「我が言い出したことだ」
勇者をおんぶする魔王。
絵面がすごい。
侍さんは静かに頭を下げた。
「魔王殿」
「なんだ」
「勇者殿を頼む」
「うむ」
聖女様も一歩前に出る。
「魔王さん」
「なんだ」
「もし何かあれば、この店へ」
「承知している」
「それと、私も必要であれば行きます」
魔王さんは少しだけ驚いたように聖女様を見た。
「聖女が魔王城へ来るのか」
「はい」
「いろいろ大丈夫なのか」
「神も、別世界まではご覧になっていませんので」
「便利な信仰だな」
「はい」
聖女様はにこりと笑った。
魔王さんも、少しだけ笑った。
「マスター、会計を」
「本日のお代は結構です」
魔王さんがこちらを見る。
「よいのか」
「はい」
「だが」
「その代わり、次回は勇者さんの分も払ってください」
魔王さんは、少しだけ目を丸くして小さく笑った。
「商売人だな」
「バーのマスターですので」
「では、次回は二人分払おう」
「お待ちしております」
扉が開く。
向こうには、巨大な魔王城が見えた。
魔王さんは、背中の勇者さんを背負い直した。
「では、また来る」
「はい。お気をつけて」
扉が閉まる。
店内に、静けさが戻った。
「……いやぁ、今の女勇者、うちの船に乗せてもよかったな」
海賊船長が、わざと空気を戻すように軽く言う。
「海賊が言うと保護か拉致かわかりませんね」
「保護だよ!」
「ならよかったです」
魔法使いさんも気分を変えるように軽い雰囲気で言う。
「でもさ、マスター」
「はい」
「あの勇者ちゃん。次に目が覚めた時、見知らぬ魔王城のベッドからスタートでしょ?」
「そうですね」
「しかも介抱してくれたのが、めちゃくちゃまともなイケメン魔王」
「はい」
「恋が始まるやつよ」
「そうなんですか」
「そういうものよね、聖女さん?」
魔法使いさんの問いに聖女様は、にこりと微笑んだ。
「良き出会いに、神の祝福がありますように」
「止める気ないわね?」
「ありません」
魔法使いさんは、くすくす笑った。
カルーアくんも笑いながら言った。
「……ありそうですね」
侍さんも柔らかく頷く。
「ありそうでござる」
海賊船長さんが笑う。
「賭けるか!」
聖女様まで、少しだけ笑った。
「みなさま、同じ方に賭けるのでは」
魔法使いさんは、くるくるとグラスを回して、少しだけ悪戯っぽく笑う。
「でもまあ、魔王くんは保護者感あるから、勇者ちゃんの初手はだいぶ不利ね」
たぶん、次にあの勇者さんが来店するときには、気まずい顔をしているのだろう。
それはそれで、少し見てみたい気もした。




