第13話 勇者来店(上)
バーのカウンター席に異世界転生者と聖女と魔王と侍と魔法使いが並んでいる。
こう見ると、世界の命運を決める会議にすら見える。
――実際にしていることは、チーズ盛り合わせを前にして、どの酒が一番合うかを真剣に検証しているだけである。
「ふむ。この硬いチーズは酒の香りを強くするな」
「パルミジャーノですね」
「ぱるみじゃーの」
魔王さんが真剣な顔で復唱した。
魔王の口からパルミジャーノという単語が出る日が来るとは思わなかった。
「魔王さん、前より発音うまくなってますね」
カルーアくんがカルーアミルクを飲みながら言う。
「練習した」
「練習したんですか」
「魔王たるもの、未知の食材名を恐れてはならぬ」
その努力は、たぶん魔界統治にはあまり関係ない。
「拙者は、みもれっとちーずと日本酒の組み合わせが好みでござる」
「侍さん、意外と何でも食べますよね」
「うむ。この世界の食事と酒は積極的にちゃれんじする所存」
侍さんは、今日もきっちり姿勢正しく飲んでいる。
この人の姿勢が崩れたのを見たのは、聖女様に負けた時だけだ。
「私は、この白い柔らかいものが好きです」
その聖女様は、カマンベールを小さく切って口に運んだ。
今日も清楚だ。
「魔法使いさんは何をしているんですか」
「見てわからない?」
魔法使いさんは、チーズを一切れ持ち上げ、グラス越しに透かしていた。
「わかりません」
「チーズに魔術的可能性があるかを見てるの」
「あるんですか?」
「今のところ、酒に合う可能性しか見つかってないわ」
今日も平和だった。
とても平和だった。
ただ、この店の平和は、あまり長続きしない。
カラン。
ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
扉が開いた瞬間、冷たい風が少しだけ店の中へ流れ込んできた。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
腰には剣。背にはマント。
顔立ちは非常に整っているのだが――見た瞬間にわかるレベルで疲れている。
そんな彼女の目が、カウンター席の魔王さんを捉えた瞬間、ものすごい勢いで見開かれた。
「――魔王ッ!!」
あ。
これは、まずい。
「ここで会ったが百年目ぇぇぇぇぇぇ!!」
判断が早い。
ものすごく早かった。
腰の剣に手をかけると同時に、床を蹴り、一直線に魔王さんへ斬りかかった。
のだが。
「おっと」
カルーアくんが、椅子に座ったまま片手を上げた。
「えっ」
その瞬間、光が走り、侍さんが腰を上げて、魔法使いさんが指を鳴らした。
気付いた時には、女性の剣は鞘に収まり、女性自身も身動きが取れなくなっていた。
三人がかりで、非常に安全かつ鮮やかに制圧されていた。
全員、手慣れすぎである。
まあ、海賊船長に限らず時々あることなのだから仕方ないのだが。
……仕方ないのだろうか。
「申し訳ありませんが、当店は抜刀禁止です」
女性が、息を荒くしながらこちらを見る。
「な、なぜ酒場に魔王がいる!?」
「お客様ですので」
「魔王が!?」
「はい」
「魔王を客として扱うのか!?」
「はい」
「正気か!?」
正気を疑われた。
少し傷つく。
「剣士よ」
魔王さんが、静かに口を開いた。
「我は、お主の世界の魔王ではないぞ」
女性は、数秒ほどその言葉を処理していた。
それから、すうっと顔色が変わる。
「……え?」
「我は、別世界の魔王だ」
「別……世界……?」
「うむ」
「……」
女性は、止められたまま、ほんの少しだけ周囲を見回した。
あまりにも多ジャンルにわたる常連の皆々様。
たぶん今、彼女の頭の中では、世界の常識が全部吹き飛んでいる。
「……すまない、思わず」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
「反省しているならいいわよ」
魔法使いさんが指を振る。
拘束がふっと解ける。
女性はその場で少しよろけたが、剣には手を伸ばさなかった。
偉い。
「よろしければ、おかけください」
私がそう言うと、女性は一瞬だけためらった。
だが、やがて観念したようにカウンターの端へ座る。
「何かお作りします」
「……強い酒を」
「かしこまりました」
私は、ホットミルクに少量の酒と蜂蜜を落としたものをを作る。
強い酒を求める人は多いが、本当に必要なのはたいていアルコールだけではない。
「どうぞ」
「……ありがとう」
女性はグラスを両手で持った。
それから、一口飲む。
その瞬間。
ぽろ、と涙が落ちた。
「あ」
本人が一番驚いたような顔をした。
だが、次の瞬間には、もう止まらなかった。
「ぅ……っ、あ……」
女性は、グラスを持ったまま、ぼろぼろと泣き始めた。
店内が静かになる。
海賊船長さんでさえ、ラムを持つ手を止めている。
聖女様が、静かに女性の方へ体を向けた。
「大丈夫ですよ」
聖女様の声は、とても柔らかかった。
床で常連を飲み潰した人と同一人物とは思えない。
いや、それはそれ。
これはこれである。
「今は、誰もあなたを追い立てません」
「……っ、ぅ……」
「もしよろしければ、少しお話しされますか?」
女性は、涙を拭った。
何度も拭った。
だが、うまく止められないらしい。
「……わ、私は……勇者、で……」
「そうなのですね」
「聖剣を抜いて、魔王を、倒すために……旅をしていて……」
「はい」
「……裏切られたんだ」
店内が静かになった。
すでに静かだったが、どこか空気が凍ったような静けさになった。
(つづく)




