第3話 求婚してきたのは異国の皇帝!?
≪ルイーズ視点≫
や、やってしまった。どうしよう、もう取り返しがつかないよ。
いつか自分でもやらかしてしまうかと思っていたけど、ついにヴィクトルの顔を殴ってしまうとは。
しかも、綺麗な顔面ストレートを決めるだなんて。二発決めちゃったよ、どうしよう。
このパーティーが始まる前の書類仕事による疲労ですべてを投げ出したいと思っていた私に予想できただろうか、いや、できない。
「ひ、ば、化け物。」
「王子をあんなに容赦なく殴るなんて。何をしていたらできるんだろうな。」
当たり前のことかもしれないけど、周囲から刺さる視線がとても痛い。恐怖する者が多くを占めているけど、令嬢の何人かは眉をひそめているわね。
「暴力に走って下品ですこと。私たちには到底できない真似ですわね。」
「やはり、エキャルラットの者たちはみな野蛮なのね。」
彼女たちの視線の意味はよく分かる。上位貴族とはいえ、一介の貴族令嬢がどんな理由であれ王子を殴ったもの。不快なものを見るような視線を向けたくもなるわ。
でも、私は私のした選択を別に後悔していない。それどころかむしろ、考えうる中で一番ましだった結果だと思える。
あの時、ジョセフが――私の弟が理不尽な理由で、国外追放だなんて過分な処分を下されるのはどうしても耐えられなかった。
タイミングよく国王陛下がいらっしゃらなかったら、多分もっと過激な手段を用いてしまっていたのだろう。
そして、本当に国外追放あるいは極刑に処されてしまうだろう。
そう考えるだけで本当に寒気がする。私の人生を棒に振るのは構わないけど、家族の人生まで棒に振るのは嫌だ。
「お、お前父上がいくら許可したからと言って無礼だぞ!やはり、お前のような奴はこの国にはおけない。え、衛兵、この女をつまみ出せ。」
「し、しかし、ヴィクトル殿下……。」
衛兵が私に震えながら近づこうとするが、彼らの動きはのろまでキレがない。故に避けることなど、私にとって造作もないのだ。そもそも、ほとんどの衛兵たちは棒立ちのままだし。
「な、なぜ動かぬのだ。こののろまどもが……!」
「殿下、今ここにいる人間の中で一番偉いのはあなたではなくてよ。その人間が沈黙を保っているのだというのに、衛兵がろくに動けるわけないでしょ?」
その証拠にほら、小刻みに震えながらも頷く衛兵が何人もいるでしょう?
国王もため息を吐いて、ヴィクトルから視線を逸らしている。
国王陛下、あなたにガツンと言ってもらわないと困りますよ。
全く、ヴィクトルはどこまで自分の思い通りになると思っているんだ。
こういうわがままで人の都合を考えないところはあの母親と本当にそっくりだ。
昔はまだ気遣ってくれる時もあったんだけどな……。
でも、昔から書類は押し付けていたか。
「そうだ、ルイーズ嬢の言うとおりだな。そこにいる衛兵たちは国王である私の配下にあるものだ。それを一王子であるお前が勝手に利用していいわけではない。」
国王陛下は苦虫を嚙んだように表情を険しくしながら低く呟く。
その声色にはヴィクトルに対する失望がこもっていた。
「し、しかしあの野蛮な女は容赦なく私を殴ったのですよ。きっと、あいつの心は狂気に染まっているのです!」
ヴィクトルの悲痛な叫びに共感して、私を罵る声が耳に入ってくる。
少なくない、小さいけれどその耳障りの悪い声が心を蝕ませる。
王子の婚約者として大人しくしているのもダメ。本来の性分である苛烈な性格を出すのもダメ。
全てがダメなら私はどうするのが正解だったの?
「ふっ、そんな泣きそうな顔をして同情を誘おうとしても無駄だ。おとなしく俺に従っていればよかったものを。」
握る拳に悔しさのあまり力が入る。心なしか視界も少しうるんできたような。
あぁ、ダメよ、ルイーズ。こんな敵だらけのところで弱みを出しちゃ。
ここには父も母も弟もいない。
味方はいないのよ。
「レディ、そんなにも強く手を握っていたら怪我をしてしまいますよ。握るのならこちらのハンカチを握ってください」
俯いていた私が顔をあげると、そこには冬が似合う男が目の前に立っていた。
雪のように眩い白銀の髪に、冬の青空で染め上げられた瞳。透き通るような白い肌を持つ男。
一見冷酷そうに見える彼からは想像ができない低く穏やかなテノールの声がする。
「リュミエール国王、貴様の息子も随分と堕ちたものだな。レディには優しくするように教育はしなかったのか?」
私を気遣うように話していた時とは違い、殺気すらも感じられるような重厚感のある声で男は国王にくぎを刺す。
ヴィクトルを一瞥して鼻で笑うのも追加して。
彼が放った言葉はギャラリーにも影響を与え、私を罵る声が止む。
この男、どこかで見たことがあるような……。
どこで見たんだっけ?
「な、なぜ初対面で俺が笑われねばならぬのだ。そもそも貴様、我が国の貴族ではないな?どこの者なのかを答えよ。」
ヴィクトルってば、本当にどこまで阿呆なのだろう。
明らかにその口調で聞いて言い訳がない。
その証拠に男は愉快とばかりに笑っていたのが、表情がごっそり抜け落ちたような仮面のような顔をしている。
美人の真顔は怖いとはよく言うが、本当に恐ろしいな。
あ、この表情で思いだした。
でも、もし私の思う人物だったらこの状況は相当まずくはないか。
「ほう、俺が即位する時は随分と暴れまわったものだが、まさか俺のことを知らぬとは……。愚かさもここまで来ると笑えてくるな。」
「だ、誰がおろかだと!」
あぁ、やっぱりそうだ。
この男、『冷血皇帝』と言われる隣国の皇帝、イヴァン・キリーロヴィッチ・ヴォルコフだ。
皇帝に即位する時に、父親の時の配下だった貴族を皆殺しにしたという話が合ったりなかったり。
それが真実かどうかは不明だが、どちらにせよ冷酷無比な性格だから気を付けろって、父が言っていたのを思い出す。
あの時は話半分にしか聞いていなかったけど、まさかこんなところで思いだすとは。
一国の王子が、皇帝のしかも隣国の頂点に君臨する男を知らないのはかなりまずいんじゃないか?
魔法で調整されているから会場は暑くも寒くもないはずなのに、鳥肌が立つ。
「まぁ、良い。貴様に俺は微塵も興味がないからな。それよりも、ルイーズと言ったか。」
「は、はい。ルイーズ・エキャルラットと申します。」
男はつまらぬものを見たようにヴィクトルから視線を逸らすと、改めて私に視線を向ける。
国王やヴィクトルを見ていたような冷酷な目ではなく、それよりも何倍も優しい視線を。
そういえば、さっきから彼のハンカチを握っているわよね、私。
しかも、手には血がついていたから必然的にハンカチにも血がついてしまった。
あ、私本当に終わったのかな。
お母さま、お父さま、そしてジョセフ。先立つ私の不幸をお許しください。
冷や汗がだらだらと流れて止まらない。ドレスの裾を持つ手も微かに震えてしまう。
それでも、平常心を何とか保たないと。
「そこの王子、お前はこのエキャルラット嬢と婚約破棄をしたんだな?」
「そ、その通りだ。そんな野蛮な女二度と見たくもない。」
ヴィクトルがはっきりとそう言ったのを見て男はにやりと口角をあげる。
彼は私に振り返り、跪く。割れ物を扱うように丁寧に私の手を彼の上に乗せたかと思うと、そこに口づけをする。
「ルイーズ・エキャルラット嬢、私と共に我が国フリーギドゥム帝国に来てもらえるか?」
男は確かにそう言った。私のすべてが愛おしいとでも言わんばかりの笑みを浮かべて。




