第4話 契約花嫁と相続争い
ヴァイス辺境伯領の本邸は、灰色の石でできた静かな館だった。
王都の屋敷のような華やかさはないが、廊下も執務室も整然としていて、無駄な贅沢が一つもない。持ち主の性格がそのまま建物になったような場所だった。
到着したその日の夕刻、私は領内の主要家臣たちの前で紹介された。
「ユリア・ヴァイス殿だ」
契約書に従い、私はすでに名目上の妻になっている。ざわめきは起きたが、ディートリヒが一歩前へ出るだけで皆の口は閉じた。
その場には、問題の女マルグリット・ゼーリヒもいた。三十五歳。艶やかな赤毛と喪服めいた黒衣装が印象的な女で、故ハルトムート子爵の遺した館へ当然のように居座っている。
「急ごしらえの奥方ですのね」
薄く笑いながら、彼女は私を上から下まで眺めた。
「王都で問題を起こした公証人を、領主様がわざわざ拾ってくださるなんて」
「拾われたつもりはありません。雇われたのです」
私が言い返すと、彼女の目が細くなる。
その夜、私は子爵の正式登録済み遺言と、追補遺言を並べて読んだ。正式版では、鉱山権の大半は領主家の信託監督下に置きつつ、子爵が長く面倒を見ていた者へ段階的に継承する、とされている。だが追補版では、その全てがマルグリットへ譲られていた。
おかしいのは内容だけではなかった。
「綴じ穴の位置がずれている」
私が呟くと、向かいで資料を読んでいたディートリヒが顔を上げた。
「差し替えか」
「ええ。しかも一枚目だけ古い紙を使っている。二枚目以降は紙肌が新しすぎる」
私はページの端を指でなぞった。
「正式版と追補版、両方とも原本があるはずなのに、これは原本らしく見せた工作物です」
ディートリヒはしばらく無言で私を見たあと、短く言った。
「やはりあなたを呼んで正解だった」
冷たい声なのに、その一言は不思議と温かかった。
私は自分の席に置かれた新しい封蝋箱を見た。まだ公証印は戻らない。けれどここには、もう一度証拠を積み上げる机がある。
それだけで、戦う理由には十分だった。




