第37話 辺境伯夫人は席を譲らない
不正が表に出ると、今度は別の顔をした圧力が来た。
王都から派遣された臨時監査官が、領主館の会議室で言ったのだ。
「辺境伯夫人がここまで前面に出るのは、政治的に好ましくありません。監査は王都側へ引き渡しては」
要するに、ここで私を席からどかしたいのだろう。
私は公証人としての辞令と、今回の監査任命書を机に並べた。
「この件は領内信託の履行確認であり、受益者本人の申述に基づく公証実務です。私は辺境伯夫人である前に、公証人です」
監査官はなおも言う。
「しかし中立性が」
「なら、あなたは受益者二十六名の前で同じことを言えますか」
私が返すと、部屋が静まった。
そこでディートリヒが口を開く。
「私の妻を席から外す理由があるなら、成果で示せ。彼女は名簿を戻し、資産流出を止め、受益者確認まで終えている」
庇うというより、事実だけを並べる声音だった。
けれど、そういう言葉のほうがよほど強い。
私は背筋を伸ばした。
「席は譲りません。必要なのは飾りの夫人ではなく、最後まで帳簿を閉じる者です」
監査官は結局、引き継ぎ補助だけを申し出て退いた。
会議室を出たあと、私はやっと息を吐く。
「怖くなかったか」
ディートリヒに問われ、私は正直に答えた。
「少しは。でも、譲ったらまた誰かの名前が消えますから」
それだけは、もう見たくなかった。




