第32話 王都銀行の信託係
アーデルハイト伯爵夫人の覚書に従い、私は王都銀行へ正式照会を送った。
返事は早かった。三日後、公証室へやってきたのは信託係のマリアンネ・フォークト。三十七歳、眼鏡越しの視線がよく動く女性だった。
「こちらで管理されていたはずの元本が、一部別口座へ仮移動されています」
挨拶の直後に本題へ入るところが、私は嫌いではなかった。
彼女が机に並べたのは振替控えの写しだ。行き先は北丘療養院の改修積立口座、そしてカスパルの義弟が経営する荷馬車商会の担保口座。いずれも名目は『受益者支援のための一時運用』になっている。
「信託係として承認は?」
「していません。照会もなく、提出書類も不足です」
マリアンネは淡々と答えた。
さらに彼女は一枚の照合票を取り出す。そこには、死亡扱いで支給停止となった受益者名が王都銀行側では生存扱いのまま残っていた。
「停止事由の届出自体が届いていません。つまり、こちらだけで『死んだことにした』可能性が高いです」
私は息を吐いた。
名簿を消し、給付を止め、金を横流しする。そのためには死亡証明の偽装が一番手っ取り早い。
「原本は取れますか」
「ええ。ただし急いだほうがいいでしょう。誰かが帳尻を合わせに動く前に」
有能な人の言葉は短い。
私はその場で証拠保全の受領書を作成し、マリアンネに署名を頼んだ。
「助かります」
「こちらもです。故人の善意を、雑な実務で汚されるのは見過ごせません」
そう言って彼女は眼鏡を上げた。
今回の相手は領内だけでは終わらない。けれど、だからこそ外からの正しい目が効く。




