第24話 亡き伯爵夫人の覚書
療養院へ向かう前に、私は旧伯爵邸の書庫へ寄った。
アーデルハイト伯爵夫人ほどの人なら、信託証書以外にも運用の癖を残しているはずだと思ったからだ。
案内してくれたのは、伯爵夫人付きだった年配の家政係エンマだった。
「奥様は、正式文書に書けないことほど覚書へ残す方でしたよ」
その言葉どおり、祈祷書の箱から出てきたのは小さな革手帳だった。中には、几帳面な字で短い注意が並んでいる。
『扶助は借りではない。返済条項をつけるな』
『受益者名簿は月ごとに読み上げよ。顔の見える金にせよ』
『倉庫鍵の片方は修道院、もう片方は受益者代表に預けるべし』
私はそこで頁を止めた。現在の帳簿では、二本目の鍵は管理者保管扱いになっている。
「変えられています」
私が呟くと、エンマが悔しそうに口を結んだ。
「奥様が亡くなってからです。『実務を簡素化するため』と」
さらに手帳の末尾には、意外な一文があった。
『王都銀行の信託係は年一回必ず照会せよ。内輪だけで守らぬこと』
私はディートリヒを見る。
「外部照会まで組み込んでいたんですね」
「アーデルハイト伯爵夫人らしい」
彼の声には、懐かしさと敬意が混じっていた。
帰り際、エンマが私へ一枚の鍵札を渡した。古びた真鍮に、薄く『第二倉庫』と刻まれている。
「本来の控え札です。鍵そのものは失われましたが、奥様は形だけでも残せと言って」
失われた鍵。簡素化された運用。名簿の空白。
点だった違和感が、ようやく線を引き始める。
私は手帳を丁寧に包み直した。
「伯爵夫人の残した手順で、取り戻しましょう」




