第2話 離縁状と偽造遺言
職務停止の辞令が届いたその日の午後、私は離縁状に署名した。
場所は夫婦の家ではなく、王都公証局から二本離れた私設公証所だった。私物も思い出も置かれていない、ただ書類だけが息をしている部屋。レオポルトは最後まで、私に感情の逃げ場を与えなかった。
「君の名に疑義がある以上、夫婦関係を続けるのは難しい」
「愛人を家に入れた時点で、もう難しかったと思うけれど」
私が言うと、レオポルトは眉一つ動かさない。
「セレスティーヌは叔母君の最期を看取った恩人だ。彼女には相応の補償が必要だ」
「その補償のために、偽造遺言を作ったの?」
返事はなかった。ただ彼は、机の上にもう一通の写しを滑らせてきた。
そこには、叔母ヘレーネが亡くなる三日前の日付で、屋敷と証券の大半をセレスティーヌへ譲る旨が記されている。しかも末尾には、私が立ち会ったことにされていた。
ありえない。あの日、私は辺境教区の契約監査で王都にいなかった。旅程簿にも宿帳にも記録が残っている。
「時間をかけてもいいのよ」
セレスティーヌが甘い声で言った。
「ユリア様が素直に認めてくだされば、屋敷の一室くらい残して差し上げても……」
「いりません」
私は離縁状へ署名した。
「けれど、その遺言は返してもらいます。叔母の名前を利用した罪は、必ず証明する」
書類を持って部屋を出たところで、五十五歳の主任公証人フリーダ・ケストナーが廊下の柱にもたれていた。若い頃から私を鍛えてくれた、厳しくて正確な人だ。
「あなた、まだ終わっていない顔をしているわね」
「もちろんです」
そう答えると、彼女は小さく口角を上げた。
「なら、これを持ちなさい」
渡されたのは、公証局の閲覧申請控えだった。叔母の遺言に紐づく追補証書だけを抜き出して請求した記録。申請者名はレオポルト・エアハルト。申請日は叔母が亡くなる前日。
「追補証書の原本は今、所在不明よ」
「十分です」
私が言うと、外で馬車の車輪が止まる音がした。
窓の向こうに見えたのは、銀の狼を紋章にした黒塗りの馬車だった。辺境ヴァイス伯家のものだ。扉が開き、背の高い男が降りてくる。
黒髪、灰色の瞳、長い外套。三十九歳の辺境伯ディートリヒ・ヴァイスは、そのまま真っ直ぐ私を見た。
「ユリア・ブラント殿だな。相続争いの件で、あなたに依頼したい仕事がある」
王都で全てを失ったはずの一日が、そこで静かに向きを変えた。




