第1話 公証印を奪われた日
王都公証局の審問室で、私は机の上に置かれた叔母の遺言書を見つめていた。
羊皮紙の右下には、たしかに私の公証印と署名がある。だが、そのどちらも私が押したものではない。印影の外周がわずかに歪み、署名の最後の払いが不自然に短い。何百通も見てきた自分の筆跡だからこそ、違和感は一目でわかった。
「ユリア・ブラント。あなたは故ヘレーネ・ブラントの遺言を不正に作成し、自らに有利な相続を導いた疑いがある」
淡々と読み上げる監査官の隣で、夫レオポルト・エアハルトが神妙な顔をしていた。三十四歳、公証局次席。整った顔立ちと穏やかな声で人を安心させる男だ。かつては私も、その顔に騙されていた。
そのすぐ後ろには、白いドレスをまとったセレスティーヌ・ローヴェが立っている。二十七歳。最近まで叔母の屋敷へ出入りしていた慈善団体の世話人で、今はレオポルトの愛人だと公証局中で噂されている女だった。
「叔母は亡くなる前、私ではなくセレスティーヌ様に屋敷を遺すつもりだったそうですわ」
可憐に目を伏せながら、彼女はそう言った。
「なのにユリア様が、以前の古い遺言書を使って財産を独占しようとなさったとか……。とても悲しいです」
「悲しいのは私のほうです」
私は書類を持ち上げた。
「この遺言書の二枚目は後から差し替えられています。綴じ糸の色が違う。それに、この印影は私の印章ではありません。縁にあるはずの欠けがない」
審問室がざわつく。だがレオポルトは静かに首を振った。
「君は追い詰められているんだ、ユリア。見苦しい真似はやめたほうがいい」
「見苦しいのは、偽物を本物だと言い張る人間でしょう」
私がそう返すと、彼の目が一瞬だけ冷えた。
そのわずかな変化で十分だった。やはり、彼は知っている。この遺言が偽造だと。
監査官は咳払いをし、机上の小箱を私の前に差し出した。
「調査が終わるまで、公証印を預かる」
金属の印章が箱へ落ちる乾いた音が、胸の奥をえぐった。十八歳で見習いになってから十二年、私は一度も署名の重みを裏切ったことがない。その証を、今ここで奪われる。
「職務停止も併せて命じる。王都公証局への立ち入りは禁止だ」
私は深く息を吸った。
泣くのは証拠を揃えてからでいい。偽物の遺言で人生を奪われる気はない。
そう心の中で言い切ってから、私は審問室を出た。




