表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/5

第1話 公証印を奪われた日

王都公証局の審問室で、私は机の上に置かれた叔母の遺言書を見つめていた。


 羊皮紙の右下には、たしかに私の公証印と署名がある。だが、そのどちらも私が押したものではない。印影の外周がわずかに歪み、署名の最後の払いが不自然に短い。何百通も見てきた自分の筆跡だからこそ、違和感は一目でわかった。


「ユリア・ブラント。あなたは故ヘレーネ・ブラントの遺言を不正に作成し、自らに有利な相続を導いた疑いがある」


 淡々と読み上げる監査官の隣で、夫レオポルト・エアハルトが神妙な顔をしていた。三十四歳、公証局次席。整った顔立ちと穏やかな声で人を安心させる男だ。かつては私も、その顔に騙されていた。


 そのすぐ後ろには、白いドレスをまとったセレスティーヌ・ローヴェが立っている。二十七歳。最近まで叔母の屋敷へ出入りしていた慈善団体の世話人で、今はレオポルトの愛人だと公証局中で噂されている女だった。


「叔母は亡くなる前、私ではなくセレスティーヌ様に屋敷を遺すつもりだったそうですわ」


 可憐に目を伏せながら、彼女はそう言った。


「なのにユリア様が、以前の古い遺言書を使って財産を独占しようとなさったとか……。とても悲しいです」


「悲しいのは私のほうです」


 私は書類を持ち上げた。


「この遺言書の二枚目は後から差し替えられています。綴じ糸の色が違う。それに、この印影は私の印章ではありません。縁にあるはずの欠けがない」


 審問室がざわつく。だがレオポルトは静かに首を振った。


「君は追い詰められているんだ、ユリア。見苦しい真似はやめたほうがいい」


「見苦しいのは、偽物を本物だと言い張る人間でしょう」


 私がそう返すと、彼の目が一瞬だけ冷えた。


 そのわずかな変化で十分だった。やはり、彼は知っている。この遺言が偽造だと。


 監査官は咳払いをし、机上の小箱を私の前に差し出した。


「調査が終わるまで、公証印を預かる」


 金属の印章が箱へ落ちる乾いた音が、胸の奥をえぐった。十八歳で見習いになってから十二年、私は一度も署名の重みを裏切ったことがない。その証を、今ここで奪われる。


「職務停止も併せて命じる。王都公証局への立ち入りは禁止だ」


 私は深く息を吸った。


 泣くのは証拠を揃えてからでいい。偽物の遺言で人生を奪われる気はない。


 そう心の中で言い切ってから、私は審問室を出た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ