第15話 冷徹辺境伯は私の紅茶だけ甘やかす
王都へ戻る前の夜、私は珍しく早く仕事を切り上げた。
緊張が抜けたせいか、書庫の机でぼんやりしていると、ディートリヒがティーセットを持って現れる。
「今度は夜食ではなく紅茶だ」
「辺境伯って、案外よく運びますね」
「慣れた」
その返事に、私は思わず笑った。
差し出されたカップには、私の好む濃さの茶に、ほんの少しだけ蜂蜜が入っていた。他の人の前では砂糖も入れないくせに、私の分だけ甘い。
「覚えやすかっただけではなかったのですね」
「否定はしない」
書庫の窓の外では、遅い春の雨が降っていた。静かな音の中で、私はずっと聞きたかったことを口にする。
「どうして私を指名したのですか」
ディートリヒはカップを置いた。
「二年前、王都で叔父の契約修正を担当したのがあなただった」
私は目を見開く。
「あの時、あなたは貴族相手でも誤記を見逃さなかった。叔父は腹を立てていたが、私は信頼できると思った」
「そんな昔のことを」
「ずっと覚えていた」
言葉の数は少ない。でも、その少なさの中に嘘がない。
私は紅茶を一口飲んだ。蜂蜜の甘さが静かに広がる。
「事件が終わったら、私は王都へ戻って公証印を取り返します」
「取り返せ」
「辺境には残らないかもしれませんよ」
その言葉に、彼は少しだけ視線を伏せた。
「知っている」
たったそれだけだったのに、胸の奥が痛む。
契約だから。そう割り切るには、もう少しだけ遅すぎた。




