七.贄としての運命
「まさに、『至高』のそのもの……!」
舞の終――終わりを告げる拝礼の瞬間、大国主命は涙ながらに言葉を零した。
「……見事だ」
しばしの沈黙の後、大国主命は静かに息を吐いた。
「これほどの神楽を拝したのは、いつ以来であろうな」
「大国主様にご満足頂けましたこと、恐悦至極に存じます」
「まさに褒賞に足る、至福のひとときであった」
この上ないほどに、自身の神楽を高位神から褒めちぎられていると言うのに、珠梨はうっすらと作り笑いを浮かべるのみで、全然嬉しそうではない。
大国主命が珠梨の神楽に対し、適当なことを言っているわけでも、お別舌を言っているわけでもないことは分かっている。心の底から、感銘を受けているのだと。
だが、誰だって経験したことがあるだろう。嫌いな人物からどれだけ褒められても、興味が湧かないということが。
「これにて、褒賞の授与は終了させて頂きます」
その後はお茶出し準備のため、篁沙久は珠梨を残し、一旦退室した。
「最近、調子はどうだ?」
「変わりありません。お気遣い痛み入ります」
「あと1年。珠梨もついに、役目を果たす時がすぐそこまで来ているのだな」
大国主命が、浮足立つように言った。
「たった18年。神である我々からすれば、18年の月日など、人間で言えば2 〜3日の時間感覚と同じ。だが、其方の18年はどれだけ待っても、月日が流れることはなかった」
「……」
「長く待ち侘び、ようやく、あと一歩のところまで来た」
うっとりと、愛おしそうに、熱を帯びた視線で、珠梨を見つめる大国主命。
あからさまな態度を示してくる彼に、珠梨は心底うんざりそうにため息を吐いた。
「まるで、私が大国主様に奉納されることが決まったような口振りでございますね」
「ん?」
「長く時を待ったとて、私の行先を決めるのは天照大御神様の御心次第。取り込む先が違うように思いますが」
「珠梨、何か勘違いしているようだ。私はただ、赤子の頃より目を掛けてきた其方のことを心から心配しているだけ」
「『目を掛けてきた』のは、私が『贄』だからでございましょう?」
卑屈な珠梨の一言に、優しげな大国主命の笑みが引きつり、冷ややかな空気が漂い始める。
「そんなことはない。私は常に珠梨の身を案じておる。生活で困っていることはないか? 付きが軍神一人では何かと不便も多かろう。不足があれば私が望みを天照大御神様に口利きしてやることもできる」
「お気遣い痛み入ります。されど、私の望みはきっと、大国主様には叶えて頂くことは難しいかと」
「私は縁結びの神ぞ。どんな望みでも縁を結んで進ぜよう」
「では、私が『学校に行きたい』と言えば、その縁を結んでくださいますか?」
分かりやすく、大国主命は笑みを維持したまま、口を硬く噤んだ。
「今更人間の学校へ行って何になる」
「私は人間です。人間の子が、人間の学校に通うことを切望するのは、何もおかしなことではございません」
「珠梨は人間だが、他の人間とは比にならぬほどの稀有な存在。他の人間と同等の扱いなど、誰ができようか」
「それでも、望まずにはいられないのです。私が現世にいられるのはあと1年。自分の役目は分かっています。役目を果たすつもりもあります。その代わり、残りの現世での時間を自分のために使いたいのです」
俯き加減で、胸の内を吐露する珠梨。
「……“自分”のため?」
珠梨の望みに、まるで聞き慣れぬ言葉でも利いたかのように、大国主命は首を傾げた。それは、彼女の言葉の意味を理解することを拒んでいるとも捉えられるような固まり方だった。
「『自分』の、ため……『自分の』……フッ」
何度も珠梨が言った言葉を反復しながら、小さく漏れた笑いは、やがて抑えきれぬように広がって行った。
「なにが、おかしいのですか?」
「『自分のため』って……アッハハハ! ああ、なるほど。そう来たか。珠梨はやはり自分の立場が分かっていないというか、謙虚過ぎると言うべきか」
笑いのあまり、大国主は袖で涙を拭った。そんな彼を睨みつけながら、珠梨はその言葉の真意を質した。
「それは、どういう意味でございましょう」
「何度も言っているだろう。其方は他の人間と格が違う。我々神の心を満たすことができる類稀なる存在。其方には、其方にしか為せぬ役割があるのだ。徒人のように寿命を迎えるその日までの暇潰しなど必要ない」
怒りのあまり、榊を持つ珠梨の手が、わずかに震えた。
「……生憎、私は神々の奉納品になりたくて今世に生まれたわけではございません」
「ん?」
「どんなに神々の御心を満たす才に溢れていたとしても、それがどれだけ栄誉なことであろうとも、あたしは他人の幸せなんてどうでもいい」
「ふーん、そう……」
面白くなさそうに、適当に相槌を打つ大国主命。
しかしそれと同時に、抑圧した感情が漏れ出るかのように、この瞬間、空気が変わった。
優しげだった神の瞳から、明らかに何かが剥がれ落ちた。




