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六 祟り神

 別の日、ぼくらは稲無田天満宮の境内を歩いていた。いつもの何気ない散歩だが、学校で地域の伝統文化を調べるという課題が出されたこともあり、いつもよりは「彼女」の話す内容を記憶するつもりで来た。


 稲無田天満宮は街を南北に分ける国道沿いにある神社で、何やらかなりの歴史があるらしい。入口は国道沿いにあり、崖を挟んで本殿がある。本殿が境内の中で低い位置に置かれているのは珍しいことのようだ。江戸時代と現代とで街道のルートが変更されたことが関係しているとか。木が多く、梅園を併設し、手水舎や狛犬の像からは神社らしい情緒が感じられ、ぼくら以外にも散歩客は多い。


「ここに祀られているのがどんな神さまか、知ってる?」


 石段を下っているとき、きみは訊いてきた。全然知らない。ぼくは首を振った。


「そうか。じゃあ教えてあげる。一言で言って……祟り神だ」

「祟り神?」


 聞きなれない言葉だった。


「彼は優秀な役人だった。しかし政敵の謀略により、あらぬ罪で流刑に処された」

「流刑って何」

「辺境に送られる罰のことだよ。彼は遠い片田舎に送られた。そして彼の親族はこんな僻地に飛ばされた」

「僻地? ここはそんなに嫌なところだったのか」

「栄えた場所とは言えないじゃないか、今も。まあ当時の都は西にあって、こっちの方は未開の雑木林だったから事情は異なるけど。……彼の死後、都では彼の政敵の不審死や天変地異が相次いだ。人々はそれを彼の祟りだとして畏れた」

「今のところ、その彼ってのはちっとも神さまだって思えない」

「こんなのはよくある話だ。人々は祟りを畏れた。しかし、これ以上災いを運んでこないでくれ、と言おうとしてもその相手はもう死んでいる。だから人々は怒りを鎮めるため、彼を神として祀った」

「死後神として祀ることで、彼に対する償いとしたわけか」

「償い? 逆だよ。人々は再び彼を罰したんだ。神っていうのは人と同じ世界には生きていない。だから神にされるというのは、彼岸、人間社会の外側へ追いやられることだ。人々は自らの罪と一緒に彼を神の領域へと追放した。それが人間に害を為した者への究極的な意味での流刑だ」


 また「彼女」の言うことが分からなくなった。神とされることが人間とは違う扱いを受けることだっていうのは分かる。そんなのは当たり前だ。でもそれをどうして「追放」だなんて言うのか。神は人間とは違うけれど、それは人間を超越しているからで、悪いことじゃない。なんで神と祀られることを「罰」だなんて呼ぶのか。


「というわけで、そんな彼を祀るために多くの神社が建てられた。ここもそのひとつで、この地に流された彼の親族が建てたものだ」


 まあ、とりあえずこの神社が建てられた歴史的経緯は分かった。


 神社。さっきから頭をよぎる風景がある。なんだろう。林の中。陽の差し込む静かな空間……。そうだ。


(なき)(ばやし)の祠もその彼と関係があるのか」

「ああ、あれ? いや、全く。こんな立派な神社とは無関係の、土着の神を祀るちっぽけな祠だよ」

 


 後日、独りで泣林の祠を尋ねた。


 泣林は段丘崖に跨る広い自然公園だ。この辺りの名士の領地を起源とするらしく、ここでは雑木林が古代からの姿を留めている。初めて「彼女」と遇ったとき、ぼくはここで迷子になっていたのだ。


 そんな泣林の奥深くにその祭祀場はある。そこだけ木が生えていない円形の空間。小さな祠と古びた鳥居。この街に住んでいてもこの祠のことを知らない人はたぶん大勢いる。あるいは、見たことがあっても気に留めていない人がたくさん。


 ぼく自身、つい最近までこの場所の存在など忘れていた。それが急に気になり始めたのは「彼女」と稲無田天満宮を訪れて以来のこと。あれは立派で由緒ある神社だった。ここはどうなのだろう。「彼女」が珍しく話題にも取り上げようとしなかったちっぽけな祠。そんなものを昔の人々はどんな想いで建てたのだろう。


 改めて祠を正面から見つめると、観音開きの格子扉の奥に何か木像のようなものが置かれているのに気付いた。薄暗くてよく見えないが、女の人を模っているように見える。ここで祀られている神さまの像だろうか。


「お参りですか」


 急に後ろから声がして、振り返ると人の良さそうなお爺さんがいた。ぼくは「まあ」と曖昧な返事をして祠の正面から一歩退いた。


 お爺さんは背負っていたリュックを地面に置き、お参りの準備を始めた。プラスチックの使い捨てコップにラベルの貼られていないペットボトルから水を注いで供え、もともと備えてあった陶器の椀から古くなった米を捨て、新しい精米を盛り付けた。


「あなたがここを管理されているんですか」


 思わず尋ねたくなった。


「今はそうです。ただ、古くからこの辺りに住む者で回しているので、うちの家が先祖代々、というわけではありませんが」

「ここに祀られているのはどんな神さまなんですか」

「五穀豊穣と無病息災の神さまだと伝え聞いています。色々なものをお供えしますが、やはり基本はお米と、稲無田湧水で汲んだ水です」


 稲無田湧水の水を供えるということは、やはり「彼女」が言っていた通り、土着の神なのか。


「それにしても、あなたのような若い人がお参りに来てくれるなんて珍しい。ここの神さまのお祭があるのは知っていますか」

「いいえ。こんな林の中でお祭?」

「流石にここではできませんね。林をあちらに抜けた方にある小さな公園でささやかに屋台なんかを出しています。あまり知られていないようで、毎年来てくれる人は少なくて。七月の初めにやっているので気が向いたら見ていってください」

「はい、是非……」

「ではわたしはこのへんで」


 話し終えるとお爺さんは再びリュックを背負ってこの場を去ろうとした。


「すみません、最後にひとつお尋ねしていいですか。ここに祀られている神さまの名は」


 ぼくの質問に、お爺さんは困ったような顔をした。


「申し訳ない。あまり神さまのお名前を口には出したくないもので。多分調べればすぐに分かりますよ」


 そう言って今度こそ去っていった。

 釈然としない気持ちだ。名前を知っていながら教えてくれないなんて。……そういえば、名前というのは特別な言葉だから気軽に口に出すものではない、と前にも言われたことがある気がする。はて、いつのことだったか。


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