二 「彼女」
晴と会った後の帰り道、「彼女」に遇った。
道端で偶然。ぼくらはいつもそういう会い方をする。きちんと約束をしたことなどない。それでもこの数年間付き合いが続いている。不思議な関係だ。
「彼女」の恰好は、紺のスカート、白いワイシャツ、赤い紐タイ、と、学校の制服にも似ている。けれど、もちろんぼくと同じ学校じゃないし、この街にあるどの学校に通っているとも聞かない。そもそも学生なのかどうかも分からない。
そう、ぼくは「彼女」について何も知らない。どこに住んでいるのか。名前は何というのか。歳はいくつなのか。それでも、ぼくには「彼女」がごく近しい者のように思えるのだった。
初めに「やあ」と声を掛けてきたのは「彼女」の方だった。最後に会ったのは二ヶ月ほど前のことだったが、「久しぶり」とは言わない。ぼくらの付き合いは極めて緩やかな時間の中にあって、毎日会おうが数ヶ月おきに会おうが変わりはないのだ。
回り道をすることにした。「彼女」とはいつも歩きながら話す。どこか公園のベンチでゆっくり、とか、喫茶店でコーヒーでも飲みながら、とかいった経験はないし、ましてや、ぼくの部屋で、なんてあり得ない。歩く場所も偏っていて、町の北部、つまりぼくの家の周りの住宅街の方へはあまり行かず、中学校周辺の小川沿いや雑木林の中を散歩することが多い。そういう傾向がどうして生まれるのか、ぼくには分からない。ぼくはただ「彼女」の足の向かう方へついていっているだけなのだ。
「今年でいくつになるんだっけ」
今日の会話はそんな問から始まった。ぼくは、今度の七月で十五になる、と答えた。それを聞いた「彼女」は感慨深そうな顔をした。
「背も随分伸びたよねえ。初めて会ったときはあたしの方が大きかったのに」
「彼女」は自分の頭の上に手を載せて背比べの身振りをした。もはや「彼女」はぼくより頭ひとつ分小さく、身長差を意識するのがなんとなく気恥ずかしい。
「きみは変わらないな」
ぼくはそう言ったが、「彼女」は応えなかった。無視したのか、そこで会話を区切ったのかは分からない。ただ、その後しばらく続いた沈黙はぼくにとって不自然なもののように思われた。
「何だか暗いね。どうかした?」
変に明るい声で「彼女」は唐突に切り出した。思わず向き直ると困ったような笑顔が見えた。ぼくは何かほっとしたような気持ちになってため息をつき、そして言った。
「友だちが死んだ」
「彼女」は眉をひそめた。ぼくはそのまま羊子の死について簡潔に語った。
「それは……、嫌なことがあったんだね。お墓の場所が分からないっていうのは寂しいことだ」
「お墓?」
「死者のことは忘れなければならない。辛いけれど、きみらはこれからも生きてゆくのだから。それでもお墓があればお盆や命日に思い出せる。死者は供養されることによって想い出になり、歴史になり、土に還った後に、より温かなものとなる」
分かるような気もしたし、分からないような気もした。
「彼女」はたまに小難しいことを言う。ぼくはそれらを興味深く聴くのだけれど、無知だからかあまり理解できない。
それにしても、空気が重い。もともとぼくは暗い顔をしていたのだろう。加えて羊子の死を話題に出してしまったことで雰囲気は一層息苦しいものになった。
「友だちがいなくなってもちろんぼくも悲しい。だけど、あれからもう一ヶ月が経った。きみも言ったように、いつまでも羊子の死を引きずるわけにもいかない。ましてやきみにとっては知らない人間の話だ。ぼくと一緒に落ち込む必要はない」
「そう? じゃあ、いつものように話そうか」
「彼女」の笑顔はようやく自然なものになった。
出会ってから何年経つのだろう。五年? その間にぼくは随分と変わった。背が伸びて、声が低くなり、色々なことを考えるようになった。
そんな中、「彼女」の見え方も変わってきた。初めて会ったときの「彼女」は、年上で、ぼくの知らないことをたくさん知っていて、謎が多く、何を考えているのか分からない、そんな人だった。だけど今になって「彼女」は大分ぼくの目線まで降りてきた気がする。最近、「彼女」はぼくに気を遣うことがあるのだと知った。それも、かなり頻繁に。そしてそれは苦笑いや安堵の息遣いを通してなんとなく伝わってくる。つまり、「彼女」の考えていることがある程度分かるようになった。今のぼくには「彼女」が同年代の少女に見えるのだ。
それなのに何故、「彼女」は依然としてこうも謎に包まれているのだろう。
幼い頃から共にいた。緩やかな変化には気付けないほどずっと一緒にいた。それでも、さすがにもう違和感を抱かずにはいられないのだ。名前も知らない相手を知人と呼べるか。何者か分からない相手を友と呼べるか。では、「彼女」はぼくの何だ?
「十五ということは中学三年生か。受験学年だね」
思考を中断する。死なんて話をした後だから、その日常的な響きはむしろ新鮮だった。
「遠くの高校を受験するの?」
「まだ志望校とか決めていないから何とも」
「稲無田の高校に行くことは?」
「少なくとも、それはないだろうな」
「彼女」の顔はさっきから寂しげだ。この街に強い愛着があるのだろう、とは昔から感じていたが、まさかぼくに他の街の高校へ行かれるのが嫌だとでも言うのだろうか。
「成長すれば皆育った土地を離れていく。分かってはいるんだけど」
そう言って目を伏せる「彼女」。ぼくの推測は当たっていたらしい。
「とんでもなく遠くに行くわけじゃないし、夜には帰ってくるんだ。ここを離れるわけじゃないよ」
「あたしは、きみに朝起きてから寝るまでこの街にいてほしいんだ」
少し、どきっとした。
「どういう意味」
「そのまんまだよ。きみに出ていってほしくない」
どうして出ていってほしくないのか、ってところを訊きたかったのだけれど。
「交通が発達して人々は土地に縛られる必要がなくなった。嫌な時代だ」
恨みごとのように呟く「彼女」は随分と頼りなく見えた。




