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僕は咄嗟に赤黒く汚れたナイフをそちらに向ける。
しかし様子がおかしい、先ず目が血走っていない。普通の白目にブラウンの瞳が浮いている。その上こちらに怯えたような表情をしている。
「……ミツル、この人はゾンビじゃないわ」
よく見れば確かに普通の30くらいのおじさんだった。警備員のような制服を着込んでいる。ゾンビばっかり見ていたため、感覚が麻痺していたらしい。
「ほんとだ。生きてる人だ」
「俺もつい構えちまったよ」
はははは、あはははは、と二人で笑い合った。
「な、何なんだよお前らは!」
悲鳴にも似たその声は、3日ほど前ならたじろいだだろうが、今になっては何も感じさせない。おそらくここの警備員であろうおじさんは、意味がわからないという顔でこちらを見ている。
僕はナイフを持ったまま、床に座り込む警備員に近づく。
「よ、寄るなっ、止まれ!」
「止まりませんよ」
ずんずんと距離を縮めると、警備員は座ったまま後ずさる。進んでは、距離が遠のく。しかしそんなに広くない部屋では、すぐに壁に背中がついてしまった。僕はそこで見せつけるように赤黒く汚れたナイフを持った手を胸のあたりまで持ってくる。
「ひっ」
いい感じに怯えてくれている。
「随分汚れちゃったな。沢山使ったからな~」
ゾンビを退かしただけだけどね。
「壮太もそのマチェット随分汚れちゃったね」
「ん? ああ、まぁ結構使ったからな」
横目でチラリと警備員を見ると、顔面蒼白という言葉がよく似合う顔で、細かく歯を震わせている。
このくらいでいいだろう。
僕はナイフを素早く腰に仕舞った
「へ?」
そのまましゃがんで、顔の高さを警備員に合わせる。そしてできる限り柔和な笑みを浮かべる。
「僕はあなた達を助けに来たんですよ」
「たすけ……え?」
「助けに来たんです」
「……………」
どうやら思考が追いついてないみたいだ。
あ、復活した。
「ま、マジですか?」
「はい、本当です。あなたは助かりました」
優しく笑いかける。何も心配はいらない、とでも言うように。なんの根拠もなく。
「よ、よかった……ありがとうございますっ、ありがとうございます!」
「いえいえ、お礼なんて要りません。当然のことをしたまでです」
自分で言っていて、すこしばかり吐き気がしてくる。しかし仕方がない、これが一番効果が高い。下げて上げる、基本的なことだが、だからこそ効果は絶大だ。逆も然り。
まるで自分が聖人であるかのように話すのも、効果が高い。決して効率は良くないかもしれないが。効率だけを考えるならばナイフで、力で脅せばいい。
「あなたはコントロールルームの管理者ですか」
「は、はい。そんなもんです」
「生きていてくれて、ありがとうございました」
この人にはこれからきちんと働いてもらわなければならない。死んでもらっては困る。死人を冒涜することにも、人を殺すことも躊躇するが、人を利用することには躊躇しない。僕のために、美紅のために、壮太のために、そしてこの人自身のために。
「は、はい、ありがとうございます!」
場違いな言葉が虚しく響いた。
***
安心して気が抜けたのか、警備員は寝てしまった。一度僕は部屋に戻る必要がある。
「ちょうどいいから、食べ物と飲み物も取ってくるよ」
「ああ、カロリーメイトでいいぞ」
「私も」
「はいはい」
次の瞬間には見慣れた自宅に戻っていた。靴を脱ぎ、フローリングの床をペタペタと歩く。どうせだからリュックサックに武装を3人分程とペットボトル飲料、携帯食を入るだけ詰め込んだ。
ジンジャーエールを飲もうと冷蔵庫を開ける。
なかった。
「…………」
絶対ショッピングセンターを攻略しよう。
リュックサックを引っつかみ、飛んだ。
「早かったわね」
「うん、適当に詰め込んできたから食べていいよ」
「サンキュー」
3人で各々好きなものを引っ張り出し、食べ始める。
「さてじゃあ、これからは作戦通りでいいかな」
「ええ、警備員さんが生きていてくれたのは運が良かったわね」
「ああ、じゃなかったらだいぶ面倒だった」
「あとは……がんばるだけだね」
腹ごなしが終わり、1時間ほど休憩。警備員も眠りから覚めて、美紅と話している。
「……じゃあ日暮さんはこのショッピングセンターの電気系統全部担当してるんですか、お若いのに凄いですね!」
「いえいえ、あくまで大元だけですから細かいところまでは手が回らなくて……」
「それでも凄いです。じゃあ日暮さんが居れば心強いですね!」
「いや~、それほどでも……」
美紅のおかげでこの人のできることは大体わかった。頃合を見計らって、食料を差し出す。
「よければ、これどうぞ」
「おおっ! いいんすか、ありがとうございますっ」
「いえいえ、困ったときはお互い様です」
「じゃあ遠慮なく……くぅ~っ、こんなに美味いカロリーメイトは初めてっす。本当にありがとうございます!」
名前は日暮圭太、年齢はまだ25歳らしい。敬語はいらないと言ったのだが、頑なに敬語でしゃべり続けている。
さて、そろそろ作戦を始めたい。
「体調は大丈夫ですか?」
「はい、おかげさまでバッチシっす」
「それは良かったです。体調が治ったところで、日暮さん。一つお願いがあります」
「そうっすか、もう何でも――」
日暮さんは言いかけて言葉を止める。そして恐る恐るというふうに僕の方を見た。僕はニッコリと笑っている。
「お願い……っすか?」
「はい、『お願い』です」
「えっと具体的には何を……?」
「簡単です。この部屋にいて、僕の指示に従ってシャッターを下ろすだけです。ゾンビと戦う必要もありませんし、外に出る必要もありません」
その言葉を聞いて安心したようだ。弱気な顔に笑顔が戻る。
美紅にできるできると言った手前、断ることもできないだろう。という保険の為に美紅に頑張ってもらったのだが、この調子だとあまり必要もなかったかもしれない。
「それなら多分大丈夫っす」
「ありがとうございます」
「じゃあこれを渡しておきます」
僕はリュックサックから先程詰め込んだトランシーバーを取り出し手渡す。
「これは……」
「はい、そこから逐一指示を出すので常に気を配っておいてください」
「……わかったっす」
これで準備は整った。作戦開始だ。




