第二章 計画
もうすでに数年という月日が経っていた。
## 第二章 計画
八年という時間は、人を変えるには十分すぎる長さだった。
石川明音は、以前のようによく笑う人間ではなくなっていた。
陸がいなくなった日から、彼女の時間は止まったままだった。
部屋の隅には、まだ小さな服が残っている。
使われることのなかった玩具。
途中まで書かれた育児日記。
そして、最後のページ。
「十一日目」
そこから先の記録はない。
双三郎は、そのページを何度も開いた。
何度も同じ数字を見る。
何度も同じ結論にたどり着く。
――足りない。
何かが足りない。
医学の知識では。
既存の技術では。
あの日の陸を救うことはできなかった。
ならば、別の方法を探すしかない。
研究者である自分には、それしかできなかった。
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深夜。
双三郎の研究室には、一本の電話番号が表示されていた。
涼介の番号。
何度も入力しては消した。
話せば終わる。
理解されなければ、自分は犯罪者になる。
録音されれば、警察に通報される可能性もある。
それでも。
双三郎は電話をかけた。
「……もしもし」
涼介の声が聞こえた。
以前より少し低くなっていた。
「涼介君か」
「はい。お義父さん……どうしましたか」
数秒の沈黙。
双三郎は覚悟を決めた。
「陸のことだ」
電話の向こうで、息を飲む音がした。
「……陸?」
その名前を口にしただけで、二人の間に八年間の時間が流れ込んだ。
「私は研究を続けていた」
「何の研究ですか」
「生命情報の再構築だ」
涼介は黙った。
「お義父さん、それは……」
「不可能だと思うか?」
「……」
「私も最初はそう思った」
双三郎は机の上を見る。
そこには大量の研究資料。
失敗した実験記録。
そして陸の育児日記。
「だが、可能性はある」
「何をするつもりですか」
双三郎は答えなかった。
言葉にすれば、その瞬間に戻れなくなる気がした。
しかし、もう戻る場所などなかった。
「陸によく似た子供を探す」
涼介の呼吸が止まる。
「……何を」
「その子に、陸として生きてもらう」
沈黙。
長い沈黙だった。
普通なら拒絶する。
怒る。
電話を切る。
そうなるはずだった。
しかし。
「……明音は」
涼介が小さく言った。
「今でも毎年、陸の誕生日にケーキを買っています」
双三郎は目を閉じた。
「忘れられないんです」
涼介の声が震える。
「俺も……忘れられない」
その一言で分かった。
彼もまた、八年前から時間が止まっていた。
「協力してくれるか」
しばらくして。
涼介は答えた。
「……はい」
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電話を切った後。
双三郎は机に向かった。
紙にタイトルを書く。
「陸を取り戻す計画」
その文字を見つめる。
以前なら、これは狂気だと思っただろう。
だが今の彼には違った。
これは研究だ。
失われた命への挑戦だ。
そう、自分に言い聞かせた。
計画を書き始める。
第一段階。
条件に合う人物を探す。
第二段階。
生活環境を整える。
第三段階。
記憶と人格の形成。
第四段階。
明音と涼介へ引き渡す。
最後の項目を書いた時。
双三郎の手が止まった。
「本当に、これで陸と言えるのか」
一瞬だけ迷った。
しかし、その迷いはすぐ消えた。
彼は紙に線を引いた。
迷いを消すように。
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数週間後。
双三郎は不動産会社を訪れていた。
目的は山小屋。
人目につかず、研究できる場所。
「地下室がある物件を探しています」
担当者の男は少し驚いた顔をした。
「地下室ですか?」
「研究に使いたい」
嘘ではなかった。
ただ、全てを話していないだけだ。
担当者は資料をめくった。
「一つだけあります」
写真を見る。
山奥にある古い小屋。
しかし設備は整っている。
「地下室があります。ただ……」
「ただ?」
「少し訳ありです」
双三郎は顔を上げた。
「詳しく」
「昔の所有者が作った地下室なのですが、正式な間取り図が残っていません」
双三郎の目が変わった。
それは欠点ではなかった。
むしろ。
「買います」
担当者は驚いた。
「まだ説明が」
「必要ありません」
双三郎は契約書を見る。
そこには住所が書かれていた。
山奥。
人の少ない場所。
誰にも邪魔されない場所。
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その夜。
誰もいない部屋で、一人の人物が電話をしていた。
「計画は順調です」
相手は答えない。
ただ、静かな声だけが返ってくる。
「次の段階へ進め」
電話が切れる。
暗闇の中で、その人物は笑った。
「ようやく始まる」
その声は。
双三郎のものではなかった。




