5話
「小玉君! ちょっといい?」
翌朝。鏑木君と長塚君の三人でゲームをしていると、唐突に赤根さんがやってきた。教室の片隅にいた俺たちは、急な出来事に狼狽えてしまう。
声をかけられた俺は、鏑木君と長塚君の視線を浴びて気まずい思いをしながらも返事をした。
「ああ、うん。何?」
「小玉君が書いた小説読ませてもらったんだけど、それについて少し話が——」
言い終わるより先に、俺は赤根さんの手を引いて教室を出た。一体何事かと言わんばかりのクラスメイトたちからの視線が痛い。
そうして赤根さんを廊下へと連れ出し、軽く文句を言ってやった。
「ちょっと赤根さん! あんな人前で俺の小説の話をしないでよ!」
「あぁ、ごめんごめん」
赤根さんは頭をかきながら、はははーと笑って見せた。
昨日の体育の後、帰りのホームルーム前に赤根さんと連絡先の交換をした。
そしてその直後、彼女から「明日、絶対に感想を言うね」と言われ、その後は何事もなく普通に別れたのだった。
「……で、どうだった?」
俺は恐る恐る赤根さんに訊ねてみた。すると彼女は、顎に手をやって唸りながらこれに応答する。
「うーん……。正直、文章はまだ拙い感じがあったかな。形容詞がやたら多くて、ちょっと読みづらかったかも」
「あぁ、やっぱりそうだよね……」
直接そう言われて、俺の精神は思いのほか分かりやすく落ち込んだ。いまさら落胆することなんてないと思っていたのだけれど、面と向かって人に言われると、やっぱりそれなりにダメージは受けるものだ。
しかしそんな沈んだ気持ちは、次の赤根さんの言葉ですぐさま打ち消された。
「でもね、ストーリー自体はかなり面白かったわ! 私好みの話だったし!」
「……えっ」
赤根さんは目を輝かせながら絶賛の声を上げていた。その表情と口調からは、社交辞令やお世辞なんて全く感じない。おそらく、心の底からの本音で言ってくれているのだと思う。
「ほ、本当に……?」
「本当よ! それでなんだけどさ、少し提案があるんだけど……」
と今度は急に改まった顔になった赤根さん。
えっ、ちょっと待てなんか怖い。提案って何だよ急に……。
「え……な、何ですか?」
大して話したこともないクラスメイトから唐突に提案があると言われて、自然と身構えて敬語になってしまった。心臓にぬるい風がまとわりつくような、なんとも言えぬ心許なさを感じた。
そんな俺の心情もつゆ知らずに、赤根さんは一泊置いてから、気持ちを振り絞るように言葉を発した。
「小玉翔太郎君。もし良かったら、私と一緒に漫画を描かない?」
「……はい?」
この瞬間、俺の脳内に宇宙が広がった。彼女から発せられた言葉に、俺は理解が追いつかないでいた。
俺の聞き間違いじゃなければだけど、一緒に漫画を描かないかって言われた……? いや、どゆこと……?
「ごめん、言っている意味がわからないんだけど……」
すると、赤根さんはあからさまなため息をついた。まるで嫌味のように。
「はぁ……、物分かりの悪い男はモテないわよ?」
余計なお世話だ。
いやというか、これって俺が悪いのか?
「いや、ごめん。本当に言っていることがわからないんだけど」
「だーかーらー、私と一緒に漫画家を目指さないかって言ってんの。二人で合作してさ!」
赤根さんは俺に詰め寄りながら話を続ける。……すごい圧だ。
「あなたの小説読ませてもらったけど、ストーリーはかなり面白かったわ。これはお世辞でもなんでもなく、率直に思った感想よ。まあ、文章表現は小学生かよってくらい下手くそだったけど」
「ああそう……」
「でもでも、ストーリーは本当に最高だった! そこでさ、私とタッグを組んで欲しいの。小玉君がお話を考えて、私が作画!」
「いや、そんな急に言われても、……無理だよ」
自分で言うのもなんだが、当然の拒否だと思う。何というか、あまりにも唐突すぎるお誘いだ。断って当然だろう。
「……というかさ、何で合作? 俺の書いた話が気に入ってくれたのはわかったけど、それでもわざわざ合作するほどかな?」
俺は別に、漫画制作のことには詳しくない。けれど、漫画は一人でも描けるということは知っている。
いくら俺の書いたストーリーが気に入ったとはいえ、赤根さん的にわざわざ共同で描く必要はあるのだろうか? 関係の薄いクラスメイトを誘ってまで、ストーリーを一任して書かせる意図がわからない。
「……そこ、訊いちゃう?」
「そりゃあ訊くでしょ」
赤根さんは何やら言いずらそうな顔を浮かべていた。トイレでも我慢しているのかと思うぐらいに体を揺らしながらもじもじしている。
「……実は私、作画には自信あるんだけどさ、お話を考えるのは……ちょっとあれなのよね」
なるほど……。だいぶ濁した言い方だが、要するにストーリー作りが苦手ということか。それも、自信のあるものは堂々と宣言する赤根さんが苦手と言うくらいだし、相当なのだろう。
「漫画賞に応募したらみんなもらえる評価シートがあるんだけどね。私いつも作画の評価は鼻水垂らすほど高いのに、ストーリーの評価は吐くほど低いのよ。……いや、実際鼻水も垂らしてないし吐いてもいないんだけどさ」
程度を表す例えが汚ねぇな……。
まあそれはさておき、赤根さんは続ける。
「たぶん私、ストーリーがダメすぎて毎回賞に落ちてるんだと思う。でも、私の作画とあなたの脚本力があれば、漫画家になるのも夢じゃないと思うんだ!」
なんて極端な発想なんだ。そんな単純な話ではないと思うのだけれど。
まあとにかく、だいたいの事情はわかった。……しかし。
「……でも俺は、今まで一度も賞で評価されたことがない。俺の作品を肯定してくれるのはありがたいけど、やっぱり無理だって。赤根さんが面白いと思ったとしても、俺の書いたものなんて世の中的にはただのゴミ作品だよ。現に賞で落選してるし……」
「私の目を疑ってるの? 私は今までかれこれ千を越えるほどの創作物を観たり読んだりして、物語のなんたるかを学んできてるのよ。そんな私が認めたんだから、もっと自信持ちなさいよ!」
……いや、それで自信を持てと言われても困るわ。いくら千以上の作品を見てきたとはいえ、所詮は素人だし。
そんなかなり失礼なことを考えてる間にも、赤根さんは一歩も引かずにぐいぐいと誘ってきた。
「私と一緒に目指しましょうよ、漫画家!」
「小説家を諦めたばかりなのに、今度は漫画家を目指すだなんて——」
「何が問題なわけ? 別にいいじゃん。小説家になるの諦めたんなら、私と一緒に漫画を描きましょうよ! あなたとなら、良い作品が作れる気がするの!」
あなたとなら、良い作品が作れる気がするの! ……か。そこまで言われると、正直悪い気はしない。
……いや、ダメだダメだ! 危うく彼女のペースに乗せられるところだった。
さすがに無謀がすぎるだろう。冷静に考えて、そもそも漫画家なんて俺には無理だ。
そう思い直り、俺も負けじと断り続ける。
「ごめん、やっぱり無理。悪いけど他の人と組んで——」
「あなたには物語を作る才能があるの!」
「……しつこいなぁ、だから無理だってば! 漫画家になるなんて、今まで考えたこともなかったし!」
「関係ない! 私は、あなたと一緒に物語を作りたいと思ったの! だからどうか、私と一緒に漫画を描いてください!」
「えっ!? ちょ、ちょっとやめてよ!」
頭を下げながら、手を前に出してきた赤根さん。側から見れば、ただの逆プロポーズだ。
けれど幸いなことに、周囲に人は見られなかった。もし他の人がこの場に居合わせていたら、変な誤解をされたに違いない。
「えー……」
頭を下げ続ける赤根さんを見ながら、俺はしばし黙考する。
……正直いうと、やはり赤根さんのお誘いは断りたい。そもそも、誰かの人生を背負ってまで作品を制作していく自信が俺にはない。
……とはいえ、彼女が向けてくれているこの熱意を無碍にするのも、なんだか気が引けた。
それに、どこかでやってみたいという気持ちもあったのだ。
俺と同じく作家を目指している赤根美雨さん。俺の書いた作品を初めて良いと言ってくれた人。
そんな人が、一緒に作品を作ろうと言ってくれているのだ。できれば俺だって、彼女の期待を裏切りたくはない。
「……赤根さん、頭を上げて」
「えっ、上げたらどうなるの!? やってくれる? いや、それとも逆? それなら簡単に頭は上げられ——」
「いや、そうじゃなくて。とりあえず一旦顔を上げて?」
俺がそう言うと、赤根さんは恐る恐る頭を上げる。そんな彼女の目を見て、俺は口を開いた。
「正直、ちょっと興味はあるんだ。誰かと一緒に物語を作るのもなかなか楽しそうだし。……でも、やっぱり話が急すぎるっていうか……」
「……そ、そうだよね。……でも、もう少し考え——」
「だから! ……一晩考えさせてくれないかな? そんなすぐには決められないから……。今日どうするかしっかり考えて、明日ちゃんと伝えるから。……それでもいい?」
ひとまず、今俺の中にある正直な気持ちを伝えさせてもらった。恐る恐る訊ねてみたが、果たして了承してもらえるのだろうか。彼女からすれば、この場でさっさと決めてほしいだろうに。
「もちろんよ。また明日、返事を聞かせて」
ありがたいことに、赤根さんは了承してくれた。かなり渋々と言った感じではあるけれど。
「わかった。ありがとう」




