17話
赤根と距離を置いてから数日が経った。
あれから俺は、自室でプロットの考案をし続けている。
それもあってか、話はだいぶ固まってきていた。けれどまだ完成には至っていない。
もう少し物語に重みをつけたいのだけれど、なかなかいい案が浮かんばないでいるのだ。
プロット自体はほとんど完成しているのに、どこか話の面白みに欠けているというか、どことなく物足りなさがある。
例えるならば、ビンゴ大会で穴は空きまくってるのになかなかビンゴにならないみたいな感じ。
とはいえ、もう夏休みも中盤だ。そろそろ完成させないと時間が惜しい。
……いったいどうしたものか、などと頭を悩ませていた。ところだったのだけれど——。
「俺はなんで銭湯にいるんだ……?」
今足を着けている場所は、近所にある銭湯の脱衣所だった。周囲ではおっさんや走り回る子供の裸体が通り過ぎていき、扇風機やドライヤーの音で包まれている。こんな真夏でもそれなりに繁盛しているようだ。
「なんでって、言っただろ。夏休みなんだしどっか気晴らしができそうなところに行こうって。それで来たんじゃねぇか」
俺の疑問に答えるように聞こえてきたのは、図太い男の声。鏑木君だった。
「そうなんだけどさ、なんで銭湯? ふつうテーマパークとかに行くもんでしょ。それなのになんで夏に銭湯なの。熱いしナンセンスじゃん」
俺は服を脱ぎながら文句を垂れた。
昨夜、鏑木君と長塚君からどこか遊びに行こうとメールで誘われたのだ。今はプロット作りに忙しいから断ろうかとも思ったのだけれど、最近鏑木君たちと遊びに行く機会が減っていたため、たまにはいいかなとやってきた次第。
「わかってねぇな翔太郎は。夏の暑さで滲み出た汗を熱々のお湯で流すのがどれだけ気持ちいいか」
「あと、出た後にキンキンに冷えたコーヒー牛乳をがぶ飲みするのも醍醐味っすよね」
俺の隣にいた長塚君も補足するように言った。
まあ、言われてみればそうかもしれないな。
赤根と距離を置いてから、心の中がずっとモヤモヤしていた。なんだか気持ちに影がかかったみたいに。
だから、今日はそんな気持ちをリフレッシュしに来たのだ。
プロット作りも行き詰まっているところだし、たまには友達と遊んで息抜きするのもいいでしょう。
そのまま服を脱ぎ終わった俺たちは浴場へと入った。入って最初にやることといえば、まずはかけ湯だ。心臓から遠い足先から順にかけ湯をする。
その次はシャワーだ。シャワーで全身を洗い流し、体の汚れを落とす。
それらを済ませて、ようやく湯船に浸かった。
座り位置的には、鏑木君、俺、長塚といった具合で、俺が二人に挟まれる形となっている。
湯船に体をつからせてから早々に、鏑木君が開放感に溢れた声を漏らす。
「あぁ、……気持ちいいぃなぁ」
「……そういえば、今日の小玉氏元気なくないっすか?」
唐突に図星をつかれて、俺はギクリとしてしまった。なんだか心臓を直接鷲掴みにされたようだった。
「そ、そうかな? 別にそんなことないけど……」
「いやいや、その感じ絶対なんかあるだろ」
鏑木君が俺の肩に腕を回し、
「何があったのか、言ってみ……?」
と目をガン開きにしながら見つめてきた。心配してくれているが故なんだろうけれど、圧がすごい。
なんだか恐喝されている気分だ……。
「いやまあ、実はさ……」
隠す隙もなさそうだったので、素直に友人たちの優しさに甘えてみることにした。
赤根のことを勝手に話すのも悪いので、俺が漫画家を目指していることや、赤根と合作していることは隠した形で話す。
「最近目指しているものっていうか……夢があってさ。それに向けて一緒に頑張っている人がいるんだけど、俺が足引っ張っちゃってて、あんまり上手くいってないんだよね。俺も頑張ってはいるんだけど、やっぱり上手くできなくてさ。どうしたもんかなぁって……」
そこまで話すと、二人は目を見開いて唖然としていた。……そんな唖然とするようなこと言ったかな?
「……お前、俺たちの知らない間にいろいろと頑張ってんだな」
「何を目指しているのかはわからないっすけど、なんか衝撃っすわ……」
「そ、そうかな?」
友達なのにちゃんと話していなかったことに、なんだか罪悪感が出てきた。
まあでも、こればかりは仕方がない。いくら友達とはいえ、自分の夢を語るのはなんだか恥ずかしいんだもの。
「つか、その目指してんのってなんだよ?」
「いや、それはちょっと言えないかな。自分の夢話すの恥ずいし……」
「なんじゃそりゃ」
一度つまんなそうにため息をついた鏑木君。けれど、しばらくしてまた口を開いた。
「まあでもさ、そんなに焦んなくてもいいんじゃねぇの?」
「え……?」
「詳しい話はわかんねぇけど、そんなモヤモヤしてたって進まねぇだろ。焦らずゆっくりやればいいんじゃね?」
焦らずゆっくり……。いや、それじゃあダメなんだよ鏑木君。そんなんじゃあいつまでも漫画家になんてなれない。ただでさえ、俺には才能がないんだ。もっと頑張らないといけないんだ。
でも俺が事の詳細を話していないのだから、そう言われたって仕方がないか。
「まあでも、我々もあまり無責任なことは言えませんからね。とはいえ、せまて悩みがあったり疲れた時は、いつでも話を聞きますよ?」
「長塚君……」
「そうだな。まっ、なんかあったら今日みたいに気晴らしにどっか出かけようぜ。俺たちはいつでも大歓迎だしよ!」
鏑木君が痛いくらいに、強く俺の頭をくしゃくしゃと撫でてきた。けれどそれに不快感はなく、むしろ心に温かみを感じた。
「……うん。……ありがとう」
そうだ。俺にはこんなにも暖かい友達がいる。それだけで、いくらか気が楽になった。
やがて湯船から上がって浴場を出た。タオルで体を拭き、脱衣所で三人並んで服を着る。
しばらく雑談しながら着替えていたところ、鏑木君が急に思い出したように言い出した。
「あっ、そういえば。翔太郎って最近、赤根さんと仲良いのか?」
「えっ……なんで?」
思わぬセリフに、俺は内心動揺した。
まさかここで赤根の名前が上がるとは思わなんだ。
「いや、夏休み入る前さ、ちょくちょく赤根さんと話してたから」
まさか見られていたとは。
「言われてみれば、前に教室で我々が話していたら、赤根さんが急に小玉氏に話しかけに来ましたもんね」
あぁ、そんなこともあったなぁ。たしかあれは、赤根から一緒に漫画家を目指そうと誘われた直前だったか。
「あぁ……まあ、好きな本が同じで盛り上がってさ。それでちょっと仲良くなったんだよ」
「へぇ、なんか羨まだわー。あんな可愛い子と仲良くなれるとか」
「まったくっすね」
「は、ははは……」
まあその赤根が、今まさに話していた一緒に夢を目指しているやつなんだけれどね。しかも最近、関係的には上手くいってないし。まあ、それは俺のせいなんだけれど……。
「あの人も大変なんだろうなぁ」
「え、何が?」
鏑木君の発言に、俺は首を傾げた。
「えっ、いやだってあの人、小学生の頃に事故でお母さん亡くしてるんだろ?」
「…………え」
俺は着替えていた手が止まり、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
ちゃんと聞き取れて頭に入ったはずなのに、なぜだか頭の整理ができない。いつまでも情報が完結しなくて、脳が上手く理解をしてくれない。
……赤根のお母さんが、事故で亡くなった…………? しかも、小学生の時に……。
あまりに唐突で衝撃的な情報に、俺は頭が混乱していた。
なんだか不思議な感覚だ。まるで肉体がこの場にないような、体が宙に浮かんでいるような……。
「それ、どこ情報っすか……?」
俺が呆然としている間、長塚君が鏑木君に訊ねた。
「あぁ、なんか同じ部活で、赤根さんと小学校が一緒だったってやつがいてさ。前にたまたまそいつから聞いたんだよ」
面識はないが、そんな人の過去をべらべらと喋るような奴はきっと碌な奴じゃないだろう。クソったれが。
「……全然知らなかった」
「えっ、知らなかったのか!? ……いや、てっきり知ってるものかと。だとしたら、あんま話さない方が良かったな……」
「仕方ないよ。俺が知ってる前提で話してたんでしょ?」
「いや、まあそうだけど……」
鏑木君は、バツが悪そうな顔を浮かべた。人の過去を勝手に喋ってしまったことを、彼なりに反省しているのだろう。
「……なんか、みんなそれぞれにいろいろとあるんすね」
「……そうだな」
「…………うん」
今まで俺は、赤根のことを知ったつもりでいた。
クラスでは物静かな不思議ちゃんだけれど、本当はすごい努力家で、本気で漫画家を目指しているやつなのだと知っている。
漫画のことになるといつも必死になれて、どこまでもひたむきやつなのだということも知っている。
……知っていたつもりだった。でも本当は、俺は彼女のことを何も知らなかったんだ。
肝心な彼女の本質を、俺はちゃんと見れていなかった。
今までどんな人生を歩んできたのかとか、どんな事情を抱えているのかとか、俺は何にも知らない。勝手に知ったようなつもりでいただけだったんだ。
「メールもしてこないで。しばらく一人でやりたいから」
赤根と別れる間際に出た、吐き捨てるような自分の言葉が脳裏をよぎる。
……赤根は大丈夫かな。
いまさら心配する権利なんて俺にはないのだけれど、唐突に後悔の念が強く押し寄せてきた。
もっと、ちゃんと話せば良かったな……。
着替え終えて一度三人でコーヒー牛乳を飲んだ。その後は外に出て、ゲーセンでも行こうという流れになったが、俺はそれを断って先に帰った。
早く、プロットを完成させないと……。そして、赤根にちゃんと謝ろう。
真夏の日差しが、相変わらず今日も焼けるように降り注いでいた。




