16話
焼けるように痛い日差しが降り注ぐ夏休み中旬。
夏休み中も俺は、赤根の部屋で共に次回作の漫画に向けての作業を行なっていた。
前回の映画マラソンのおかげで、いい案が浮かんだのだ。今はそのプロットを書いているところ、なのだけれど……。
「ねぇ、いったいいつになったらできるのよ!」
自席で作画の練習を行なっていた赤根が、こちらを向いて不機嫌そうに俺を睨んだ。
当の俺はというと、小さな円卓を置いて地面に尻をつき、大学ノートを開いたまま天井を見つめていた。開かれたページは真っ白ではないものの、書かれた部分よりも空白の方が目立っている。
「いや、ごめん……まだもうちょっとかかりそう」
そんな情けない返事しか出てこない。作画の練習をしっかりしてくれている赤根に対して、申し訳ない気持ちになる。
「……話の内容とかセットアップまでは固められたんだけど、プロットポイント一からどうやってストーリーを動かしていけばいいのか悩んでて……」
プロットポイント一とは、ストーリーを三幕に分けた一幕目のこと。物語が大きく動き出す最初のポイントのところだ。
つまり、そこで読者に興味を持ってもらえるかがかかった、かなり重要なところとなる。
それ故に、悩みに悩んでいる状態だ。
「もおー、ずっとそんな感じじゃん。これじゃあいつまでも進まないじゃない!」
いつまでもプロットを完成できないでいる俺に苛立ちを覚え始めたのか、赤根が憤懣やるかたない様子でまくしたてた。
そんな赤根に対して、俺は申し訳なさと不甲斐なさでいっぱいになり、次第に腹の奥が気持ち悪くなっていった。
「……ごめん」
いつのまにか俺の口からは、そんな情けない言葉が申し訳程度に溢れていた。
……あぁ、この感覚。忘れかけていたあの頃と同じだ。
中学の担任に嘲笑われた上に、多くの新人賞で落選し続けた日々。自身の才能のなさと小物感を突きつけられた、あの泣きたくなるようななんとも言えない歯痒さ。
思い出すだけで、心の奥がきゅっとなる。
「ちょっと、謝んないでよ。これじゃあ私が悪者みたいじゃない。私だって謝って欲しいわけじゃないんだからさー」
赤根がため息混じりにそう言った。……そんなことはわかっている。けれど、謝るしかないじゃないか。
現に迷惑をかけているわけで、頑張ったって今すぐに完成するわけじゃないんだ。だったら今は謝るしかないじゃないか!
そんな言い訳を心の中でしている中、赤根はさらに口を開く。
「上手くプロットが進まないのもわかるけどさー、限度ってものがあるのよね」
「…………」
赤根の言っていることは正しい。全部、俺の物語を作る才能の無さが悪いのだ。
けれど、それを何だかずっと責められているようで、胸が締め付けられるみたいに苦しくなっていく。
唯一俺の作品を面白いと言ってくれた赤根だからこそ、余計に辛くなるのだ。
……それもあってか、申し訳ないという気持ちとは裏腹に、気づけば俺は、赤根に対して不快感を抱いていた。
そしてそれはとうとう、次の赤根の発言を遮って爆発してしまう。
「夏休み中にもう一作ぐらい作りたいし、いつまでもプロットを考えるのに時間を使ってらんないの。小玉君が早くプロット作ってくれないと、どれだけ経っても作業が進まな——」
「うるさいなぁ! そんなのわかってるよ!」
我を忘れて吐き出た怒声。
部屋中が響くほどの荒れ狂った男の声に、赤根が身を強張らせた。
彼女は急な大声に顔を歪め、怯えたような表情をしている。
「……ごめん、……急にでかい声出して」
後悔した俺は、一度気持ちを落ち着かせて、赤根に謝罪した。
けれど目は合わせられず、俺は視線を地に落としてしまう。……なんだか、少々疎ましい気持ちになってきた。
「……い、いや。私の方こそ、ごめん。……ちょっと言いすぎたわ」
やがて赤根は、あらたまったような顔で頭を下げた。けれど聞こえてくる声は、まだ少し震えている。
嫌われてしまっただろうか……。いや、嫌われたってしょうがないか。
俺も赤根に矢継ぎ早に言われて苛立ちはしたが、それでも原因は俺にあったのだ。
……そう、全ては俺の才能のなさが原因なのだ。そのことには他ならない。
「……ごめん。ちょっと、しばらく頭を冷やすよ」
俺はそう言って、荷物を持ってその場から立ち上がった。そのまま部屋を出ようとしたが、赤根はそれを焦るように制してきた。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ! どこに行くの?」
「今日はもう帰るよ……。なんか一緒にいる空気じゃなくなったし」
俺は足早に部屋を出て、玄関で靴を履く。けれど赤根は追いかけてきて、しゃがみ込んだ俺の後ろから必死に呼び止めてきた。
「ねぇ待ってよ! ごめんなさい、私が悪かったから! お願いだから帰らないで! 一緒に漫画作ろうよ!」
赤根は今にも泣き出しそうな声で、必死に懇願しだした。
「お願いだから、漫画家やめるとか言わないで! 私一人じゃ良い漫画なんて描けないの! 私何でもするから、これからも一緒に頑張ろうよ! 私は、どうしても漫画家にならなきゃいけないの!」
刺すような大きな声が、俺の背中にズキズキと刺さっていく。
顔を合わせづらくて赤根の表情を見れないけれど、そのかすれた声からは、涙を流しているのを背中で感じた。
「やめないから大丈夫だよ。しばらく一人でプロットを考えたいだけだから」
「……い、いつ完成できそうなの?」
気を遣っているのか、赤根は俺の気を悪くさせないように恐る恐る訊ねてきた。
「……わかんない。でも、これ以上迷惑かけたくないから、できるだけ早くやるようにするよ。あと、メールもしてこないで。しばらく一人でやりたいから」
自分の口から、どこか吐き捨てるように出た言葉だった。その心境には、自分の才能のなさを八つ当たりとしてぶつけているように自分で思えた。
我ながら、最低なやつだな……。
「っ……。……わ、わかった」
体を震わせながら、赤根はしぶしぶといった様子で承諾した。まるで、噛みきれない肉を中途半端に飲み込むみたいに。
……本当に自分勝手で申し訳ないけれど、今の状態で赤根と一緒にいても進みそうにない。
しばらくは、一人になる時間が必要だ……。
「……まあ、でき次第また連絡するよ」
「……うん」
俺はそのまま玄関のドアを閉めた。まだ胸が苦しくて、今にもはち切れそう。
自己嫌悪と昔のトラウマが頭を埋め尽くし、心の奥が気持ち悪いくらいにモヤつく。
この泣き出したくなるような不快感の発散方法がわらず、今すぐにでもやけくそで発狂したい気分だ。
俺は無意識に染み出した涙を擦りながら、帰路についた。
急いでプロットを作らないといけない。けれど、焦ったって仕方がないのだ。
自分を急かさず、ゆっくり、ゆっくりでいい。
だから、赤根に期待を取り戻してもらえるような最高の物語を作り出そう。
だって赤根は、俺を選んでよかったと言ってくれて、俺を信じてくれたのだ。
そんなかけがえのない、大切な相棒なのだから……。




