13話
翌日、昨日と同じく赤根の家で漫画制作を行なった。
それ以降の日も同じように作業を繰り返し、学校がある日は放課後から作業を進めていった。
上手く言えないけれど、とにかく俺たちは必死だった。
一瞬も途切れることなく、何かに取り憑かれたように描き続けた。ペンで画面を走らせたり叩く打音だけが、ただひたすらに部屋を包んだ。
無音の部屋に弾くその音は、しとしとと降る雨のような、なんとも言えぬ静けさを感じた。
心の中は熱く激しいのに、部屋の中は皮肉のように対照的で、どこまでも静寂が広がっている。
「小玉君、このページもベタお願い」
「了解」
普段からは想像がつかないほどに嗄れた赤根の声。それは俺も同様だった。
疲労に気づく暇も無く、俺たちは描き続けているのだ。最後に水を飲んだのがいつだったのかも、もはや覚えていない。
しばらくはそんな生活を繰り返した。
当然ながら作画に入っている今は、赤根が一番頑張ってくれている。俺はベタ塗りなど簡単な作業ばかりで比較的に手が余った状態だ。
そのため晩御飯を買いに行ったり、赤根に頼まれて台所を借り、簡単な食事を作ったりもした。
俺は母子家庭で自炊をする機会が多いので、料理は多少できるのだ。
俺が作った料理を赤根は美味しそうに食べてくれた。それだけで作り甲斐があると思えた。
そんな日々を二ヶ月ほど続けた。
そして気づけば七月の下旬。いつの間にやら、夏休み間近の時期となっていた。
「……小玉君」
「……赤根」
夜の九時頃。赤根の部屋で俺たちは呆然としていた。額には汗がついており、心臓がドクドクと鳴っている。
目線を向ける先、そこには赤根の机に置かれたタブレットがある。
その画面には、ここ数ヶ月で俺たちが作り上げてきた、汗と努力の結晶である完成原稿のデータが映し出されていた。
「ついに……できちゃったね」
「うん。……できたね」
今にも消えそうな上ずった声が、静かな部屋の中で頼りなく響く。
それから数秒後。昂った気持ちを抑えきれなくなったのか、赤根は溜まった水の栓を引き抜いたように叫び出した。
「うおおおおー! やった、やったよ小玉君っ! ついに、ついにできちゃった! 私たちのっ、漫画が!」
「うおおっ、おう! マジでできちゃったよ! やっと完成したんだ!」
興奮を抑えきれず、俺もつい大声を出してしまった。
近所迷惑とか、そんなことを考えている場合ではなかった。ただ今は、このあふれんばかりの達成感と脱力感で胸が張り裂けそう。もう頭と胸の中がぐちゃぐちゃだ。
「ぜ、全部で四十八ページ……。当初より八ページオーバーしちゃったけど、結果的に良くなってるし問題はない! もうこの時点で確信がある……。これは絶対に神作だわ!」
部屋の壁を突き破るんじゃないかと思うほどの声で赤根が言った。
神作。側から見れば、何を調子よくほざいているのだと思われるかもしれない。それでも、正直俺も神作だと思っている。
無論、世間から見ればどう評価されるかはわからない。しかし自分たちが丹精込めて作り上げた作品は、我が子のように立派に見えるのだ。
ああ、この感覚……。初めて小説を完成させた時と同じだ。あの、嬉しさなんて単調な言葉では言い表せない達成感と満たれた気持ちが、今まさに蘇るようだった。
「俺も神作だと思うよ。赤根の絵もめっちゃ綺麗だし!」
俺も興奮を隠しきれず、足をジタバタさせながら言った。すると、赤根は照れるように前髪をいじり始める。
「き、綺麗……。そ、そうかなぁ?」
「そうだよ! トーンのグラデーションとか上手く活用してて、本当に雑誌とかで掲載されててもおかしくないくらいの見栄えだよ」
「ふ、ふふっ。そ、そうかなぁ? いやまあそれほどでもあるけどねー?」
のほほんと胸を張る赤根。自信家なくせに、ストーレトに褒められると弱いらしい。謙虚な姿勢を取り繕うとしているが、顔は照れくさそうに赤らめている。
「これは絶対賞取れる気がする!」
俺がそう言うと、ぱっと輝いたように赤根は笑う。
「そうよねそうよね! やっぱ私たち最高のタッグだよ!」
最高のタッグ……。いや、たしかにそうかもしれない。
最初は本当にうまくやれるのかと不安はあった。
けれど今は違う。自分たちで神作だと言い張れる作品を作った今、赤根とならどんな困難も乗り越えられるような気がしてきた。
「はい、小玉君」
赤根は手を上げて、こちらに向けてきた。
「えっ、何……?」
手のひらを俺に見せてくる赤根。わけがわからず戸惑っていると、赤根は歯切れが悪そうにため息を吐いた。
「はぁ、わかんないかなぁ。ハイタッチよ、ハイタッチ!」
「あぁ、そういうことか」
俺も手を上げて、ハイタッチしようとした。……けれど、
「……え、どうしたの?」
一度上げた手を、俺は下げた。赤根が困惑した面持ちになっていて、なんだか申し訳なく思う。
「やっぱり、まだそれはやめておくよ」
「なんで?」
「今ハイタッチすると、ここがゴールみたいになっちゃいそうだから。俺たちのゴールは漫画賞で大賞を取ることで、もっと言うと漫画家になることでしょ。だからハイタッチは、夢が叶った時にしない?」
俺は赤根にそう告げた。少し気にしすぎかもしれないが、これは俺のけじめだ。完成した喜びを分かち合いたいところだけれど、ハイタッチをするにはまだ早い。
「たしかにその通りね。私もそれに賛成! じゃあハイタッチは、私たちが夢を叶える時までおあずけってことで!」
そう言って、こちらにグッドサインを向ける赤根。
その後は赤根のタブレットを使い、漫画賞の応募サイトで早速作品を投稿した。その他にも必要な記載事項を入力していった。
「ペンネームはどうする?」
椅子に座った赤根がこちらに顔を向け、訊ねてきた。ペンネーム、そういえば漫画制作に夢中でそこまで考えていなかったな。
俺はしばし頭を捻らせ、黙考する。
「……赤根と小玉で、赤玉っていうのはどう?」
俺の案に、赤根は顔を引き攣らせた。な、なんだよその顔は……。
「……小玉君って、ネーミングセンスは壊滅的だね。流石に安直すぎるでしょ」
「じゃ、じゃあ赤根にはいい案があるの?」
恥ずかしくなった俺は、対抗心を持ってそう投げかけた。けれど赤根は前髪を指先でくるくるといじりながら、気まずそうな表情を浮かべる。
「まあ、そう言われると困るのだけれど……」
「ほら! 赤根だって出てこないじゃん」
「うっさいなー。そんなすぐに出てくるわけないじゃない!」
赤根が少しお切れ気味なご様子だ。
この人は負けず嫌いというか、否定されると対抗心を抱いてしまう質なのかも。
「うーん……。あっ、それじゃあさ!」
しばし考えていた赤根が、唐突に声を上げた。
「元小説家志望と漫画家志望のタッグだから、小説と漫画を合体させて、小漫……。いや、漢字のままは味気ないから、カタカナで『ショーマン』っていうのはどうよ!」
「……なんか、さっき俺が言ったやつと考え方似てない? ただ頭文字を合わせただけじゃん……」
「別にいいでしょ! それに小玉君のはただ頭文字を繋げただけだけど、私はわざわざカタカナにしてるからね? まったく、一緒にしないでほしいわ」
いや、それでも似たようなものだと思うけれど。
……でも『ショーマン』というシンプルな名前は、ペンネームとしてなかなか良いかもしれない。
「まあでも、シンプルでいいかもね。俺は気に入ったよ」
「本当? ならペンネームはそれで決まりね!」
というわけで、二人で一人の漫画家である俺たちのペンネームは『ショーマン』となった。
ペンネームを入力した後は、住所や連絡先などを入れていく。とりあえず今回は、代表者として赤根の個人情報を入れていった。
それから「よし、完了!」という赤根の声と共に送信ボタンを押して、無事に応募完了画面が表示された。
これは俺たちにとって記念すべきことだ。
赤根とタッグを組んでから約二ヶ月。ようやく漫画家に向けての第一歩を踏み入れられた気がするぞ。
本当に小さな一歩かもしれない。けれど、そんなことは関係ないんだ。
俺たちには始まりが必要だった。どんなに小さくても、スタート地点に立てただけで大きな前進なのだから。
その後、ひとまず今日は休もうということで、赤根の部屋で軽い打ち上げをした。
すでに夜の十時を回っていたが、「今日くらいはパアッとやりましょうよ!」と赤根が言ってくれたので、俺もその言葉に甘えた。
赤根が台所からクッキーやら炭酸水を持ってきてくれて、一緒に食べたり飲んだり雑談をしながら作品完成の喜びを分かち合った。
「ねぇ小玉君」
「ん、何?」
しばらく軽口を挟み合いながら楽しく話していると、赤根は急にあらたまった顔をしだした。
といっても、空気がピリつくような真剣な顔ではない。心の内を落ちついて語るような、穏やかな表情だった。
口角を緩めて、少しはにかむような顔で赤根は言う。
「……ありがとね小玉君。私と組んでくれて」
「何だよ急にあらたまって」
「こんなこと言うのも恥ずいけどさ……。私本当に、あなたを選んで良かったと思ってるんだ。小玉君とじゃなかったら、ここまで自分が納得できる作品はできなかったと思うから」
「赤根……」
面と向かってそう言われると、何だか俺も嬉しくなった。
俺は今まで、数々の賞で落選してきた。けれど赤根は、そんな俺の作品を良いと言ってくれた。
そして、ここまで一緒に作品を作ってきてくれたのだ。
自分を肯定し、信じてくれる人が隣にいてくれる。それだけで俺は、幸せな気持ちになれた。
「それはこちらこそだよ赤根」
赤根の言葉を受け、俺も自分の気持ちを伝えようとした。
「この二ヶ月間、詰まったりして大変なこともあった。でもそれ以上に、赤根と一緒に漫画を作ることがすごく楽しかったんだ。……だから——」
赤根と一緒に作品を作る中で感じていた、嘘偽りない素直な気持ちだ。
俺には物語を作る才能がなかった。それはたぶん、赤根もそうだったのだろう。
きっとそれをどこかで感じていたからこそ、俺たちはお互いに、合作の道を選んだのかもしれない。
俺は一人じゃ物語を作ることができない、ダメなやつだから。
でも、それでも……、これだけは言える。
「俺も赤根と組んで良かった。……ありがとう、俺を誘ってくれて」
そんなドラマのようなセリフを言い合い、なんだか顔が熱くなってきた。照れ臭さで胸が痒くなる。
お互い恥ずかしさを誤魔化すように自然と口角が上がり、堪え切れなくなって吹き出した。
これからもよろしく。そう俺たちは言葉を交わし合い、オレンジ色の照明で薄く照らされた部屋の中で、強く握手を交わした。




