第百五十一話~益州の戦乱 七~
第百五十一話~益州の戦乱 七~
建安四年(百九十九年)
ただ一度の逆襲により成都から叩き出された趙韙は、一先ず広漢郡の新都を目指した。この地は、成都を攻める際に後方拠点と定めた地である。つまり物資が集積されており、武器防具は無論のこと食料も些かであるが残されているからだ。確かに敗れたと言え、立て直しが効かないほどの大敗というわけではない。時を掛ければ十分に再起が可能であり、まずはその手初めてとして新都に残っている筈の物資を接収することを考えていたのだ。しかしながらその思惑は、頓挫してしまう。その理由は、彼らが新都には入れなかったからである。
「貴様ら!! なぜ、我らを入れぬ!」
「敗残者であるあなた様を、受け入れるわけにはいきませぬので」
新都を任せていた配下の出した伝令からの言葉に、趙韙は呆気にとられてしまった。まさか、信用して新都を任せた配下から、その様な言葉が伝えられるとは思ってもみなかったせいである。しかし時と共に意味を把握した趙韙は、怒りの為に一瞬でも我を忘れてしまう。なんと彼は、激情に任せて使者を切ってしまったのだ。これにより、新都に入れないことが決定してしまう。使者を切る男など、信用されないからだ。
たとえ敵味方であったとしても、軍使は丁重に扱うというある種の不文律がある。その不文律を守れない様な男など、信用されなくて当然なのだ。無論、時と場合があることは言うまでもない。状況によっては天に捧げるという意味合いから、味方の者を犠牲とするよりはと考え、または味方に断固たる決意を見せる為に使者を血祭りに上げたりすることもあるからだ。しかし今回の場合、明らかにその様な事例に該当しない。礼を持って迎えなければならい状況であり、少なくとも怒りにまかせて切り捨てるなど行っては駄目なのだ。
「……趙韙様。この地より離れましょう。この状況では、味方からも討たれかねません」
「わかった。雒へ向かおう」
雒とは広漢郡の郡治所であり、嘗ては益州の州治所でもあった地である。今となっては、益州の治所は成都となっているが、劉焉が州牧として益州へ赴任する以前の洲治所は、その地にあったのだ。当時の益州では後に馬相の乱と呼ばれる様になる大規模な反乱が勃発しており、劉焉も益州へそう簡単に入れなかったのである。しかし益州従事の地位にあった賈龍と言う人物が反乱に対して奮戦しており、それどころか反乱の頭目であった馬相すらも討ち取っていたのだ。これにより反乱騒動も一気に下火となり、漸く劉焉が州牧として同地に入ったということもあった。
なお、劉焉はこの時のことが心に残ったのか、雒の北にある綿竹に堅固な城を築いてその地を州治所としている。しかし、益州に赴任知ってから暫くした頃にそれまでの在地勢力の懐柔から強硬路線へ舵を切っているので、はじめからそのつもりであったかもしれなかった。しかしその綿竹にあった城も、落雷によって焼け落ちている。その後に劉焉が州治所としたのが、現在の成都であった。
閑話休題
新都へ入ることが事実上不可能となった彼らは雒へ向かうもやはり拒否されてしまう。これにより、趙韙の描いていた計画そのものが頓挫してしまった。新都の物資を使っての再起が不可能となった以上、どこかで勢力の回復を図る必要がある。その趙韙が候補としたのが、雒あり綿竹であった。彼は雒を押さえた後、同地の物資を使って劉焉が建築した在りし日の綿竹城を復興する腹積もりだったのである。そもそも彼は、綿竹の建築にも関わっていたのだ。時が経とうが、彼にとっては正に勝手知ったる土地なのである。その勝手知ったる綿竹を新たな拠点として勢力の回復を図り、いずれは今一度成都へ攻め込む。そして今度こそ劉瑁を討ち、彼に取って代わる……などという思惑もあったのだが、雒に入れない以上、既に絵に描いた餅となってしまっていた。
「趙韙様、いかがなさいますか?」
「……最早、是非もない。安漢へ向かう」
立て続けに思惑を外された趙韙の口から出た言葉が、それであった。因みに安漢とは、広漢郡の隣にある巴郡西部にある都市である。しかもこの地は、趙韙が生まれた地でもあるのだ。成都でのただ一度の敗戦後に相次いで味方から要請を断るどころか追い払われてしまった趙韙は、ある意味で心が折られてしまっていたのである。だからこそ無意識に、故郷を求めてしまったのだ。何よりこの地であれば、断られる可能性は今までの地と違って低いと思われる。ゆえに趙韙は、僅かな希望を胸に抱いて故郷への道を選んだのであった。
しかしながら、故郷までの道は決して単調なものではない。町へ入れないというならばまだましな方で、這々の体で追いやられるばかりか酷い時には石を持って追い払う、挙げ句の果てには捕縛されそうにもなっていた。当然ながら、明らかに落ち目だと思われる趙韙に続く者など多くはない。一人減り、二人減りし、巴郡へと入る頃には、十分の一以下にまで将兵の数は激減していた。しかもこの十分の一という値は、成都を攻める際に引き連れていた将兵の総数に対してではなく、逆襲されて撤退を決めた際に周りにいた将兵の数に対するものである。分かり易く言えば、総兵力は既に百人を切っているのだ。 とはいえ、どうしてそこまで急激に減ったのかというと、落ち延びた経路に関係している。当初の予定では広漢郡を横断して巴郡へと入るつもりであったが、そうは行かなくなってしまったせいだ。予想したよりも劉瑁側の手回しが早く、彼らが直接巴郡へと向かうことには危惧の念が生じてしまったのである。そこで不本意ながら一度南下して犍為郡へと入り、同郡の北側を抜けて巴郡へと到達するという道筋を辿ったからである。有り体に言えば、逃走経路が長くなってしまった為に寄り多くの離反者を生んだ結果であった。
「なんとか、ここまで到達できたか」
巴郡へと入った趙韙は、一先ず江州を目指した。江州は巴郡の郡治所が存在するので危険も多いが、同時に郡内において一番発展している町でもある。撤退からの逃亡という事態のせいもあり物資も乏しくなっていたので、密かな補給という意味合いも併せ持っていた。それに何より、江州は交通網の中心地である。江州では幾つも河川が合流しており、巴郡内における交通の要衝でもある。そして趙韙が目的地としている安漢へ向かうには、川を使えばそのままたどり着けるのだ。一刻も早く故郷へ戻りたい彼からすれば、江州へ立ち寄るのは必須なのである。しかしながら、趙韙に今もって付き従っている者たちからすれば話は別であった。
前述した様に、江州は巴郡の郡治所が存在する場所であり間違いなく要である。当然ながら兵力も防衛も格段に高く、敗残兵の集団でしかない自分たちが立ち寄るには危険性が高すぎるのだ。少なくとも、大抵の者はその様に判断している。特に趙韙の軍勢の中で彼の次とその次の地位にあった龐楽と李異の中では一入であった。
「確かに物資も底を尽き掛けているし、交通の便がいいのも認める。だからこそ、江州へ立ち寄ることを趙韙様も考えたのであろうが、これは幾ら何でも難しいのではないか?」
流石に彼らも自分の立場は分っているので、いきなり江州へ向かったわけではない。取りあえず江州から少し離れた地で野営をし、そこで斥候を出して様子を伺ったのだ。巴郡出身である趙韙からすればなにゆえにと思うことではあるが、他の者からすれば巴郡の内情など彼ほどに詳しいわけではない。しかも、何度も述べている様に敗残兵の集団である。今までの旅程で受けた経験を加味すれば、情報を手に入れ様とする行為は、至極当然のことであった。これには趙韙も頷くしかなく、不承不承ながらも了承している。そして翌日、数名の斥候、実質には町民の格好をさせた者たちを江州の町へと送り込んだのです。そして同日の昼過ぎ、彼らが戻ってくる。その彼らから齎された町の警備などと言った報告を聞いて、先の言葉を李異が述べたのである。その様な側近の言葉を聞いて、趙韙は不満を隠そうとしなかった。
「江州は巴郡の中心、これぐらい当然であろう。ましてや今は戦乱の世、警備に手を抜くはずなどなかろうて」
劉瑁に、ひいては劉逞。いや、漢の皇帝である劉弁に対して弓を引いたと言っていい男がどの口で言うのかと言いたくもなる言葉だが、それを言ってしまえば、同調して付き従っている時点で自分も同じ穴の狢である。口から出た言葉が自身へ帰ってくるのは間違いないので、誰も趙韙の言葉に対して返答する者はいなかったのである。するとそういった彼らの反応を是であると判断した彼は、纏めるかのごとく言葉を続けた。
「いいか。明日にも江州へ向かう。流石に全員ではないが。ともあれ、江州で物資を調達し、そのまま安漢へと向かうのだ。よいな」
それだけ言うと趙韙は席を立つ。残されたのは、揃いも揃って何とも言えない表情を浮かべている龐楽と李異たちであった。彼らは誰かれとはなく視線だけで様子を探っている。それから暫く静かな時間が流れたが、やがて龐楽が口を開いた。
「このままでは、我らは抵抗の暇すらも与えられずに捕えられてしまうだろう。戦場で散るならばまだしも、捕縛され惨めにさらされるなどごめんだ」
「ならばいかがする」
「我らで趙韙様……いや、反逆者趙韙を討つ! その功を持って、劉瑁様に慈悲を請おうではないか」
「むう。それしかないか」
龐楽の言葉に李異も不満げに頷いた。彼は趙韙の身辺を守る、いわば近衛兵を統率する立場にある。それだけに、趙韙を討つことにためらいを覚えたのだが、このままでは龐楽の言った通り、反逆者として捕えられて処刑されてしまう可能性が高い。その様な不名誉極まりない最後を迎えるよりは、まだ自ら出頭して降伏した方がましである。そしてその際に、功績と評価される様な物を持っているといないとでは扱いに差が出るなど考えるまでもないことであった。
「決まりだ。今夜決行する」
急な話だが、この様なことなど時を置いたところで碌な結果など生まれない。ましてや、いつ何時に江州から兵が出てくるかも分らない。それどころか、追っ手の兵もいるのである。わざわざ後日改めて集まって前後の対策を、などといった悠長なことなどいっていられないからだ。そしてその夜、彼らは決行する。明日に備えてか既に眠りについた趙韙の寝所へ忍び込むと、彼の喉元に対して剣を突きつけたのだ。
「御免!」
龐楽が小さく謝罪の言葉を呟きながら、趙韙の喉元に切っ先を突き立てる。痛みに目を見開くも、剣が喉を貫通しているからか声は出ない。代わりに、空気が漏れる様な音がしていた。するとその時、趙韙の腕が龐楽へと伸びてくる。しかし力などが入っている様子などなく、震える手をどうにか伸ばしているだけに過ぎない。しかもその腕だが、龐楽へ到達する前に力が抜けてしまっていた。
「……すぐに首をはねるぞ」
剣を突き立てた龐楽はそう言いつつ、剣を動かして趙韙の首を切る。そして彼の首を首桶に入れると、直後に李異の指示により軍使が江州へと向かったのであった。
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