第百五十話~益州の戦乱 六~
第百五十話~益州の戦乱 六~
建安四年(百九十九年)
連日の様に行われている成都攻撃であるが、劉瑁らはそのことごとくを退け続けていた。その結果、成都に籠もっている側である筈の劉帽らの士気は上がり、逆に攻め寄せている筈である趙韙が率いている軍勢の方の士気が下がるという通常ではあまり考えられない状況が発生していたのである。その様な中、成都に籠もっている劉瑁は、臣下を集めて軍議を開いていた。
「子喬よ。そろそろではないか?」
「そうですな……いえ。もう少し、様子を見ましょう」
「む。下手に追い詰めすぎると、まずいのではないか?」
「ですから、追い詰めすぎる寸前にことを起こします。お任せ下さい」
「……わかった」
既に籠城を初めてより一月ほどということもあって逆襲を考えた劉瑁であったが、その考えは張松によってまだ早いと断じられた。彼は別駕という地位にありながらも身勝手に振る舞ったりする男ではあったが、その見識や判断力という点においては益州でも一、二を争うと言ってもいいぐらいに評価されている男でもある。その張松がまだ早いと断じた以上、軍議の空気も早いのではないかという色に染まってしまった。無論、劉瑁としても面白いわけではない。しかしながら、現状において判断間違いは許されない。内心では忸怩たる思いを抱きつつも劉瑁は、張松の判断を受け入れたのであった。
それからさらに半月弱、いよいよ趙韙の率いる軍勢の輜重が怪しさを見せ始めた正にその時、張松から劉瑁に対して進言がされる。その内容は言うまでもなく、半月前に他でもない彼によって否定された趙韙の軍勢に対する反撃であった。
「劉瑁様。我慢に我慢を重ねましたが、いよいよにございます」
「そうか。ついにか!!」
内心では「お前に対しても我慢をしていたんだよ!」などと思いを多分に含みつつも、劉瑁は返答する。先に述べた思いもあって、彼の返答には喜びというものが満ち溢れていた。仕える主君が見せた喜び様に、そこまでかと思う張松であったが、彼にしては珍しく空気を読んだのか劉瑁の言動について何か指摘することはなかった。
「はい。明日、払暁と共に打って出ましょう」
「その際、当然だが目指すのは……」
「趙韙の首、ただ一つにございます」
「うむ。張任、厳顔、冷苞!」
張松に対して頷いた後、劉瑁は三人の名を呼んだ。一人は老境に差し掛かろうかという年配の男であり、もう一人は最初に名を呼ばれた男よりもう少し若い。最後に呼ばれた者は、三人の中で一番若かった。
「そなたらに兵を預ける。見事、討ち取って参れ」
「御意」
代表する形で、一番の年嵩となる張任が返答する。その後、すぐに彼は立ち上がると、厳顔と冷苞の二人を伴って軍議の間より出ていった。彼らはすぐに兵を纏めると、まず休む様に命じた。打って出る時間が、大体翌日の夜明けの時間である。その際に眠い。では話にならない。よりよい功績を挙げる為にも、休むことを張任は命じたのだ。
無論、兵たちに否はなかった。ましてや軍勢の中核を担っているのは、東州兵である。最悪、趙韙によって綱紀粛正の為にと称して誅伐を受けていたかもしれない彼らであり、そこに多分の自業自得があろうとも、自身や家族の未来の為にも何としても趙韙を討ち滅ぼす必要がある。その為に休めと言われているのだから、命に逆らう理由もないのだ。
果たして偶然なのか、それとも天命であったのか。なぜかその日は、午前中に一度だけ趙韙の軍勢からの攻撃があっただけであり、午後は静かなものであった。お陰でしっかりと休めた兵たちは、日の出前という時間であるにも関わらずやる気を漲らせていた。すると間もなく、地平より太陽の光が見え始める。それと同時に、成都の門が静かにそして確実に開いていく。やがて完全に開くと、そこには満を持した軍勢が今か今かといきり立っていた。
「続けー!」
「おう!!」
先頭を切る厳顔に続いて冷苞が出撃し、そして二人に追随する様に東州兵が次々と門より出でて趙韙の軍勢に攻め掛かっていった。
まさかの強襲に、趙韙の軍勢は混乱の坩堝と化していた。しかしながら、それも仕方がないと言えるだろう。実は成都を攻め始めてから今の今まで、ただの一度も敵が打って出てくるなどなかったからである。確かに五斗米道の信者らで組織された者たちが攻勢を掛けることはあった。しかしながらそれは、いわば少数による遊撃戦でしかない。要は趙韙が成都攻略を始めてより、籠城側から仕掛けられた最初の纏まった数による逆襲だと言っても良かったからだ。
さらに言えば、結果こそ伴っていなかったが、それでも今までは一方的に攻めていたのである。その為、趙韙旗下の兵たちは、成都から劉瑁の軍勢が打って出てくることはないという思いを無意識下で描いていたのだ。その様な時に行われた急襲であり、前述した思い込みもあって一般の兵ばかりかそれなりの数の将までろくに対応が出来ないという状況に陥ってしまったのであった。
「雑魚など蹴散らせ! 目指すは趙韙の首、ただ一つ!!」
「おおー!」
先頭を切る厳顔の叱咤に呼応した冷苞や東州兵もまた、進撃を邪魔する最低限の敵兵を排除しながら趙韙がいると思われる敵本陣へ進撃していった。奇襲であり急襲でもある襲撃からの混乱が収まりきらないうちに深々と切り込んでくる敵兵の為、彼らの動揺はより大きなものへとなっていく。ついには取るものも取りあえず、踵を返して逃げ出す者まで出始めてしまった。それでなくても日の出から間もない時間であり、敵味方の判別がしづらいのである。同士討ちなど御免被りたいという想いも、逃げたいという気持ちを後押ししていた。
兎にも角にも、一旦でも逃げ出す者が出始めれば、その動きは瞬く間に伝播していく。一人が二人、さらには四人へと増えていき、そこからはそれ以上の人数と倍々式に逃亡を図る者が出てくるのも当然であった。そして一度、その様な動きが出始めてしまうと、その行動を止めることは至難の業だ。古今東西、その様なことが出来る者など、一握りもいない。そして趙韙もまた、逃亡を図る兵を押し止めることが出来ない一人に過ぎなかったのである。但し、趙韙に出来なかったとしても、その事案を理由に彼を責めることは出来ないであろう。それぐらい逃亡を図る味方を押し止め、そしてもう一度戦線に復帰させるなど容易なことではないからであった。
「もはや無理だ! 趙韙様、我らも引きましょう」
「……たった一度。たった一度の逆襲で、我は負けるというのか……」
趙韙は大きく肩を落としているばかりか、両膝から崩れ落ちている。しかも彼は、撤退を促す龐楽の言葉ですら耳に入っている様子が見られない。ただ呆然と前述の言葉を呟いている。これでは埒があかないと判断した龐楽は、趙韙を守る兵数名に命じて半ば強引に馬へ騎乗させる。そして自身も別の馬に跨がると、趙韙が騎乗している馬に鞭を入れた。直後、大きくいななくと馬が走り始める。流石に意識を取り戻した趙韙は、必死に馬首に齧り付いていた。その様子を見た龐楽もまた、自分が跨がる馬を駆けさせ始める。続いて趙韙を強引に馬へ跨がらせた兵たちもまた、馬に跨がると趙韙と龐楽と李異を追って駈け始めていた。
ともあれ、このまま逃げ切ることが出来れば不幸中の幸いだったかもしれない。しかしながら、事はそう簡単にいかなかったのである。なんとこの一連の行動を、劉瑁配下の将に見られていたのだ。目ざとく趙韙たちを目撃した人物の名は、雷銅と言う。彼は、今回の逆襲に際し、大将となった張任に直談判して将の一人に抜擢されたという経緯を持っている。それだけに、何としても手柄を立てなければならないという想いも抱いていた。その最中に、前述した逃亡を図ろうとした趙韙らを見つけたのである。この事態に遭遇した彼が、奮い立たないわけがなかった。
だが同時に、自分一人では討つことは難しいとも考えていた。相手が趙韙一人であるならば、討ち取る自信はある。しかし、趙韙に付き従っている兵も中々に手強そうである。さらに言えば、彼と共にいた二人の将もまた、かなりの腕があると見受けられた。いかに自身の強さに自信を持っている雷銅といえども、趙韙の周りを固めている者たち全てを蹴散らした上で目標の人物を討ち取るなど難しいと言わざるを得なかったのだ。
「せめてもう一人、いれば……」
「ならば、手を貸そう」
「おお! 元雄殿か。忝い」
雷銅に声を掛けたのは、呉班という人物である。彼は劉瑁配下でも有力と言われている呉懿(呉壹とも言う)の族弟に当たる人物であり、また、豪侠な人物である。さらには呉懿に継ぐ立場にある人物であるとも言われており、劉瑁配下でも名の通った人物であった。その様な者が、手を貸すというのである。提案された雷銅に、断るという選択肢が生まれる筈がなかった。
「では、参ろうか」
そう言った呉班はというと、屈強そうな兵を引き連れていた。そしてその兵たちであれば、趙韙を追いかけた兵を足止めするには十分な実力を持っていると思える。彼らならば申し分なしと即座に判断した雷銅は、間もなく頷くと呉班と肩を並べて趙韙らの追跡を開始したのであった。
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