閑話 とある使用人の会話
高貴な方々の昼餉の時間帯が過ぎれば、厨房は第二の戦場の時間帯となった。
宮殿に仕える者たちの食事は時間との戦いだ。いかに素早く料理を提供し、迅速に回すかが鍵となるのだから。
今日も今日とて料理長の怒鳴り声が響き渡る中、混雑の波から抜け出した使用人の一人が、ほっと息を吐いた。軽食が入った包みを大事そうに抱え直した。踏まれもしたら大変だ。このあとも重労働が待っているのに、空腹で仕事をしたくなかった。
「あら、ラッリー、今日は外?」
使用人部屋から包みを持って出てくるのは、持ち帰りの証。
それを見逃さなかったのが、同じ時期に使用人となった女性だった。
「そ。あんなところでぎゅうぎゅうに押し込められて、ゆっくりなんて食事できないでしょ」
だからラッリーは時間がない場合か、昼食時間をずらせる日等を除いて、なるべく外で食べていた。使用人部屋で食べた方が温かいスープもつくが、せわしない中で食べるのが今でも苦手だった。
「待って、私も外にするから。久しぶりだし、ちょっと話しましょうよ」
にんまりと笑う彼女に、ラッリーと呼ばれた使用人の顔がひきつった。
ラッリーと同じ帽子とエプロンを身につけているが、袖口のカフスには、青い線が二本走っていた。階級があがった証拠だ。
ラッリーは、自分の真っ白なカフスを見下ろして、ため息を飲み込んだ。
(どこで差がついちゃったんだろ)
彼女も、自分と身分は変わらないはずだ。
行儀見習いとして奉公している令嬢とは違い、自分たちは働き口を求めてやって来た。厳しい審査を乗り越え、晴れて女達の憧れの職業に就いたというのに、現実は甘くない。
(まぁ、わたしだって、王子様に見初められて…………とか、そういう浅はかな考えはないけどさぁ)
毎日職場と使用人部屋、そして使用人塔の往復をするだけでは、出会いなどありもしない。ラッリーのいる場所は下位の使用人で占められていて、それよりも位の上の使用人達は宮殿の中に部屋があったり、貴族地区から通っている者たちばかりで話すことすらないのだ。
(お貴族サマなんて、見たこともないわ)
十五歳から城で働いて、七年経つが、すれ違うことすらない。
それこそ、王族なんて雲の上の存在だろう。
「ごめん、お待たせ」
またため息を吐きそうだったラッリーの肩がぽんと叩かれた。
「さ、行こう」
籠をくいっとあげる彼女に、ラッリーが目を大きく見開いた。
「ちょっと、それってまさか……!」
「ふふん。戦利品よ」
「ずるーい」
「まぁまぁ、あなたにもわけてあげるわよ」
籠の中に入っているのは、貴重な甘菓子だ。甘いほのかな香りがラッリーの鼻に届いた。
お茶の時間でもないのに、甘味を口にすることはできない。最も、ほとんどが上級の使用人にとられ、下位の使用人に下げ渡されることはない。
だからこそラッリーは目を丸くした。
自分たちの身分からしたら、よほどのコネがない限り入手することはできないだろう。
厨房の裏手へと回った二人は、石段に浅く腰掛けた。
他にも数人の使用人がいたが、すでに食事を終えてのんびりしているようだった。二人よりも前に休憩を取った人たちなのだろう。
「ねぇ、どうやってもらったの?」
包みから野菜と肉が挟み込んであるパンを取り出しながら、ラッリーの目は興味深く籠に注がれていた。
「わたしの力じゃないわ。スーラン様のおかげよ」
「スーラン様って…………アノ? 本宮殿でお見かけしないから、すっかり忘れていたわ」
ラッリーの仕事は主に洗濯だ。毎日大量の衣服を洗っては干している。そんな下働きの彼女にとって、二人目の王女の話など、夢物語くらいの感覚だった。
洗濯女中たちも、その話で盛り上がったのはわずかな間だった。関係ない話とばかりに、すぐに話題はほかへと移っていった。
「すごいのよ、スーラン様って。こんなわたしたちにもお優しいし、…………ずっと暗闇で包まれていた宮殿にパッと火が灯ったみたいなの」
「ぷっ、なにそれ」
「ほんとうよ。みんなはオルビアーナ様とお比べになってスーラン様のことを田舎者とか、礼儀がなっていないとおっしゃっているけど、わたしはスーラン様がいらしてよかったと思っているのよ」
彼女の双眸にいつもとは違った熱が宿った。
力説する彼女には悪いが、ラッリーはちょっと引き気味だった。
「離宮はね、楽しいのよ。いつも笑い声にあふれていて…………ついこの間なんて、スーラン様が勝手に離宮を抜け出してね、侍女長もお怒りなのに、スーラン様は怒られてもどこ吹く風で…………それがあんまりにお可愛らしくて、わたしたちもついつい笑顔になってしまうの」
「へぇ…………。カーラって、離宮勤めになったんだ」
「そ。うちの家って実は、フォーラント家にお仕えしているの。お仕えっていっても、末端だったんだけど、今回、スーラン様が見つかったご縁で所属が変更されたのよ」
明るいカーラとは反対に、ラッリーは、口の中に入れたパンを飲み込むと声を潜めた。
「わたし、宮中のもめ事ってそんなに詳しくないけど、いいの? 今、宰相様って孤立してるんでしょ?」
「あら、心配しているの? そうね、旗本はよくないよね。けど、オルビアーナ様より、わたしはスーラン様が好きだわ。それは、わたしが宰相派ってだけじゃないのよ」
一瞬、カーラの目が暗くなった。
「カーラ…………?」
「スーラン様はね、わたしに手を挙げたりしないわ。暴言だって吐かない。あなたにはわからないかもしれないけど、それってすごいことなのよ」
また笑顔になったカーラは、スーランの素晴らしさを語った。
「権力を手にしたら、だれだってその力を使いたくなるはずなのに、いつだってスーラン様は自然体だわ。だからわたしたちにも伝染して、にこにこしちゃうの。それにね、あのディアードン料理長だってスーラン様の魅力に抗えなかった一人なんだから」
「ディアードン料理長って、ここの!? なんでまた…………王女様だったら宮廷料理長はずでしょ」
そんなに宮中に詳しくないラッリーだって知っている。
王族をはじめとする高貴な方々の料理を作るのは、宮廷料理人と呼ばれる人たちだ。料理人の中でも選りすぐられた人たちで、だれもが一度はその味を口にしたいと恋いこがれているというのに。
「さぁ、わたしも細かいことは知らないけど、スーラン様が軟膏を差し上げていらっしゃるようよ。わたしも使ったことあるけど、あかぎれも綺麗に治って…………それはもう素晴らしいのよ。まぁ、そういうわけで、スーラン様の気取らないご性格と軟膏の素晴らしさに感銘を受けたんじゃないかしら。今では、こっそりと甘菓子を作ってはスーラン様に差し上げているのよ」
もちろん宰相様のご許可はとってあるわ、とどこか得意げなカーラに、ラッリーはぽかんと口を開けるばかりだった。
ディアードン料理長は腕が確かなのは周知の事実だが、気むずかしい性格ゆえに宮廷料理人にはなれず、使用人の料理人で終わっているともっぱらの噂だ。
彼が怒鳴ってない日なんてないし、あの強面がゆるむ姿なんて、だれも見たことないだろう。
「まぁ、その橋渡しとしてわたしが選ばれたの。そのご縁もあって、わたしにもお目こぼしをいただけるってわけよ。ほんと、スーラン様々だわ」
ラッリーが食べ終わったのを見たカーラは、籠の中から焼き菓子を取りだした。
きっとスーランのために作ったのだろう。素朴な見た目だが、高級な食材が使われているに違いない。
ごくりと、ラッリーは唾を飲み込んだ。
黄金色がきらきらと輝いてみえた。
「ねぇ、ラッリー。わたしね、あなたにお願いがあるの」
「な、なに?」
やっぱりあの笑顔の下には思惑があったのだ。
ラッリーはカーラの手の中にある焼き菓子から目が離せなかった。
(甘いんだろうな、どんな味なんだろ。村では絶対に食べられないわ)
「たいしたことじゃないのよ。ただ、今、話したことを同僚に伝えて欲しいの。それだけよ」
「えっ、そんなことでいいの?」
もっと難しい話を想像していたラッリーは拍子抜けした。
「あ、軟膏もよかったら使ってね。量が少なくて悪いけど」
「うわっ。やったぁ、カーラ、ありがとうっ」
「いいのよ、別に。さ、食べてみて。スーラン様もこの焼き菓子はお好きなのよ」
カーラはにこにこと笑顔だった。
「おいしぃぃぃ。なに、このふわふわ感っ。甘くて…………でも後味はくどくなくて…………初めて食べたわ」
夢中で焼き菓子を頬張るラッリーを見て、カーラは小さく呟いた。
「種まき完了、っと」
その声はラッリーに届くことはなかった。




