第三章 舞踏会
「はぁ──……!? むぐっ…」
「ちょ、ちょっと姫さん。声が大きいったら」
慌ててスーランの口を手で覆ったエルゼンは、いつも飄々とした表情に焦りを滲ませた。扉の外に人の気配がないことを悟ると、ホッと息を吐いた。
「はぁ~、驚いた気持ちはわかるけど、静かにしておくれよ。だれが聞き耳を立ててるかわからないんだから」
まるで、離宮で働く人達が裏切るような言い方だ。
「おや、気に入らない? あのねぇ、姫さん。間者っていうのは、案外身近にいるもんなんだよ?」
スーランが、もごもごと抗議をするよりも先に、アルツィがエルゼンの手首を捻り上げた。
「エルゼン、その汚い手を今すぐ離せ」
「いたっ、痛いですって!」
「痛くしているんだから当たり前だろう。──すまない、スーラン。苦しかっただろ?」
エルゼンの手首を乱暴に放ったアルツィは、ケホッと咳をしているスーランの背を優しく撫でた。
その後ろでは、姫さんのこととなると沸点が低いんだから……と、赤黒く変色した手首をさするエルゼンの姿があった。
「……ん、ありがと。びっくりしたけど、大丈夫だよ。それより、エルゼンの方が酷そうだね」
自業自得とはいえ、白い肌に映える黒さに憐憫を覚えたスーランは、自家製の軟膏を塗ってあげた。
「少しは痛みが和らぐでしょ」
「ひ、姫さん……っ」
慈悲深いスーランに感動した様子のエルゼンがそっとハンカチで目頭を抑えていた。
「その優しさの欠片を煎じて飲ませたいですねぇ」
「エルゼン?」
アルツィがにっこりと微笑むと、ひっと小さく悲鳴を上げたエルゼンは、数歩後退った。
そんな二人を見かねたスーランは、アルツィの手を引っ張ると長椅子に座った。困惑したまま立ちすくむアルツィを促すように、ぽんぽんと隣の席を叩くと、なぜかぎくしゃくとした動作で腰掛けた。
嬉しいような、悲しいような、そんな複雑な顔をしているアルツィを見つめたスーランは、声を潜めた。
「……ええっと、つまり、あの陰険な副宰相殿は、王女らしからぬわたしを貴族たちに知らしめるために、舞踏会を開くって?」
「そうなるね」
「王女としての資質、かぁ」
スーランは小さく唸った。
オルビアーナと比べられれば、それこそ薔薇と雑草くらいの違いがあろう。
王妃が認めなくとも、貴族たちがこぞってオルヴィアーナが王女として相応しいと認めれば、嘘も本当になりかねない。
「表向きは、姫さんの歓迎会ってことみたいだけど。あの狸のことだ。裏でいろいろ企んでいるに違いないよ。なんたって姫さんを蹴落とすことのできる唯一の機会だからね」
壁に寄りかかったエルゼンが、負傷した手首の様子を確かめるように動かしながら、ため息を吐いた。
舞踏会という人目にさらされる大舞台で恥をかけば、スーランの居場所は失われたも同然だ。
無様な王女と烙印を押され、宮廷人に顔を背けられたら、第二の王女として振る舞うのは難しくなる。
なにより、オルビアーナのように積極的に自分の主催する晩餐会や茶会に宮廷人を招くことのないスーランの知名度は、ただでさえ低いのだ。噂は聞いていても、顔を把握していない者がほとんどだろう。
「──嫌なら欠席してもいいんだよ?」
あまり晴れやかな顔をしていないスーランを見て、アルツィがそう言った。
しかし、エルゼンは違った。顔をしかめたエルゼンは、二人に近づくと、ドンッと卓を叩いた。
「アルツィ! アンタ、なに甘いことを言ってるの。欠席したら、それこそ姫さんはおしまいだ。舞踏会で、どれだけ味方をつけることができるか、それが今後の鍵になるんだから。陛下のお心を惑わすことができないなら、その周囲から取り込むしか方法はないんだ」
「けれど、今回の舞踏会で何が起こるかわからない。王妃の二の舞はご免だ」
目を細めたアルツィは、首を横に振った。
「だけど……」
エルゼンは、続く言葉をぐっと呑み込んだ。
(王妃様が寝込んでいるのは、病じゃなくて、毒を盛られたから、か)
スーランは、憂鬱な気分で二人から視線を逸らした。
初めてそれを聞いたときの衝撃は計り知れなかった。
周囲に悟られずに毒を飲ませることができるのは、王妃に近しい人物か、もしくはその者を操ることができる者だけだ。
(犯人は、国王かもしれないってね……)
王妃が体調を崩したのは、オルビアーナが来てからだという。噂では、彼女を認めなかった王妃に腹を立てた国王が毒殺しようとしたんじゃないかと。
もちろん、副宰相も動機は十分あるように思えるが、国王は、王妃が臥せってから一度もお見舞いに訪れていないのだ。オルビアーナが来るまでは、宮廷でも評判の仲のよさだったらしいが、今じゃ見る影もない。まるで王妃の存在がないように振る舞う国王の冷淡な態度に、不審を抱く者は多いという。
(噂なんて、あてにならないけど)
あの三馬鹿たちだって、極悪非道のような噂が流れていたが、実際は愛情を欲しがる大きな子供に過ぎなかった。
誇張されてしまうところが噂の怖いところだが、スーランは国王が王妃を毒殺しようとしたなんて信じたくなかった。
(そこまで、人の心が荒んだって思いたくないわたしは、甘いのかな)
オルビアーナを愛するあまり、妻を手にかけるなんて、恐ろしすぎる。
愛情あふれる家庭で育ってきたスーランには、考えられなかった。
「とにかく、スーラン。今度は君に魔の手が忍び寄るかもしれないから、君自身も十分注意して欲しい。俺たちができる限り安全に尽くすけれど、万が一ということもあるし……」
黙り込んでしまったスーランを不安に思ってか、アルツィは念を押すように言った。
「心配性だな。大丈夫だよ」
「しかし……」
「女神の寵愛を受けてるんだから、こんなとこでくたばったりしない」
アルツィの言葉を遮ったスーランは、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「本当に君は頼もしいな」
アルツィは、毒気を抜かれたような緩んだ笑みを零した。
「へへっ、だてに叔父さんのまねごとやってたわけじゃないよ」
「それなら──エルゼン、頼む。到着したようだ」
「あぁ~はいはい。まったく、困った姫さんだよ。ま、姫さんがそう言うならアタシも止めやしないけどね──……」
パンッパンッとエルゼンが手を叩くと、扉がパッと開かれ、セリティンをはじめとした使用人が幾人も荷を抱えて入ってきた。
「失礼いたします。お荷物は、こちらでよろしいかしら」
セリティンは、実に晴れやかな笑みを浮かべ、毛足の長い絨毯の上に箱を下ろした。そして、ほかの使用人に、次々と的確な指示を出していく。
「セリティン……? どこに行ったと思ったら……」
スーランの支度をすませると、そそくさと出て行ったから、何かやることがあるのかと思っていたが、まさかエルゼンに使われていたとは。
目を丸くしながらセリティンたちを眺めていたスーランは、突然、ドシンッと鳴り響いた音に、びくりと身を震わせた。
「な、なに!?」
不気味な足音を立てながら、近づいてくる気配。
思わず、アルツィにすがると、嬉しそうに頬を緩めたアルツィはスーランを抱き寄せた。
「怖がることはない。いや、外見は怖いかな。でも、中身は無害だと思うから……」
「はぁ~い、はじめましてン」
アルツィの台詞に被さるように、野太い声が入り込んできた。
そっちに目を向けたスーランは、ぴきりと固まった。
「こうしてお目に掛かるのは、はじめてねン。肖像画を見たことはあったけれど、まぁ、なんて可愛らしい小鳥ちゃん。やっぱり、実物をじっくりめっちょり眺めたほうが、創作意欲はむくむく沸くわ~。ああ、血がたぎる!」
豪奢な金の巻き毛に、長い睫毛がバサバサと音を立てるようだった。くっきりと整った顔立ちをより浮き立たせる濃い化粧が印象的だ。男らしく割れた顎に、艶めかしくくねくねと腰をひねる姿がなんとも気持ち悪い。
フリルを衿から袖までふんだんにあしらい、逆三角形の体の線を出すぴったりとした服に身を包んでおり、色遣いがとても派手だ。
「ば、化け物……?」
「ははっ、あながち間違っていないね」
怯えるスーランを新鮮に思ってか、楽しげに笑ったアルツィは、安心させるように頭を撫でた。
「彼は、この国の服飾人だよ。スーランのドレスは、すべて、彼──ヴァゼルが作っているんだ。あんな格好していても腕前は一流だから」
「へ、へぇ……」
斬新な型が多いのは、彼の好みだろうか。
それでもスーランは、その個性的なドレスは嫌いじゃなかったし、好奇な目も心地よかった。
どれも似たような流行のドレスをまとうより、自分の色があったほうが面白い。
そうスーランが伝えると、嬉しそうに微笑んだアルツィを押しのけるように、ヴァゼルがスーランの手をぎゅっと握った。
「そうなのよ! ここの連中ときたら、オルビアーナ王女が着ていらしたドレスと同じものを……って、そればっかり。ボクが考えたやつなんて見向きもしないんだからやんなっちゃう。着てくれるのは、変わり者のご令嬢だけよ。ああ、でも小鳥ちゃんの宣伝のおかげで、ボクのドレスも受け入れられるようになってきたから感謝してるわン!」
「わ、わたしが……? なんもしてないけど」
彫りの深い顔を近づけられたスーランの顔が引きつった。そり残した濃いヒゲが、嫌でも目に入ってくる。
助けて、とエルゼンに視線をやるが、彼は腹を抱えて笑っていた。
役立たず、と心中で罵ったスーランをよそに、ヴァゼルはますます過熱していった。
「ボクが作ったドレスを着て、見せびらかしてくれるだけで宣伝になってるのよ! だから直接会って、感謝を伝えたかったのよ! やっぱりペラペラの肖像画じゃ、アナタの魅力が伝わりきらないわね。なんて綺麗な瞳。それに、命の輝きが身の内からあふれでているようだわっ。ああ、どんなのがいいかしら。太陽のように照らす……黄金の生地、それとも光沢のある絹を幾重にも重ねて……」
うっとりと双眸を緩めたヴァゼルは、パッとスーランから手を離すと、大量の荷物をあさりはじめた。
呆然としていたスーランは、アルツィに声をかけられてようやく目を覚ました。
「大丈夫?」
「アルツィだけだよ、そんな優しい言葉かけてくれるの」
っていうか、肖像画って……と、スーランは苦く笑った。
きっと、出発してから最初の村に宿泊したとき、エルゼンが描いてくれたやつだろう。事細かに寸法とかも測って、書き込んでいた気がする。いつの間にヴァゼルに渡したのだろう。
(あの絵ね~……)
スーランの眼差しが生暖かくなる。
決して下手ではなかったが、本物の画家に比べれば劣る。特徴は捉えているようだったが、それだけだ。よくあの絵から、服が作れたものだと感心した。
「夢中になると周りが見えなくなるようだからね」
ヴァゼルに押しのけられたアルツィは、彼を怒るでもなく愉快そうに見つめていた。
「けれど、もう一人の王女に劣らないドレスを作れるのは、この国ではヴァゼルだけだ。彼を味方にできた俺たちは幸運だよ。ここでは魅力的に装うことも最大の武器だからね」
「武器、か」
「そして、それを引き出すには、本人の努力も必要だよ、スーラン」
「ん、わかってる。わたしらしさを前面に押し出せばいいんでしょ」
「ごめんね……」
「どうして謝るの?」
スーランは不思議そうに瞬いた。
「君に慣れないことを強いてしまう。自然体でいてくれたほうが、陛下の目にも新鮮に映ると思って、あえて行儀作法の指導はあまり行ってこなかったけれど、今回はそうもいかない」
「勉強かぁ~。うげ、堅苦しいのとか苦手~」
「安心して。各分野に精通している教師陣を揃えたから。さっそく午後からはじめるよ。踊りから作法まで、覚えることは山ほどあるから覚悟してね」
にっこりと微笑むアルツィの顔が、悪魔に見えた。




