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その2

 ──舞踏会当日。


 宮殿は、いつにも増して華やいだ空気に包まれていた。

 雲ひとつない星空の下、宮殿を幻想に浮かび上がらせる松明がいくつも灯り、まるで昼間のような明るさに包まれていた。


「──アルツィ」


 大広間で美しく装った令嬢たちに囲まれていたアルツィは、父の声にその場から離れた。

 正装である燕尾服に身を包んだアルツィは、集まった紳士の中でも際だった秀麗さで、女性の熱い視線を一身に浴びていたが、その顔にいつもの柔らかな笑みはない。

 どことなく緊張した面持ちで宰相の横に並んだアルツィは、葡萄酒の入った杯を受け取ると喉の渇きを潤すようにぐいっとあおった。

 そのまま空になった杯を通りかかった給仕に返すと、周囲に視線を走らせた。

 宰相におもねる輩はあとを絶たなかったが、事前に人払いをしたのか、無作法に割って入ってくる者はいなかった。


「守備は、どうだ?」

「上々……とはいいがたいですね。なにぶん、スーラン王女は踊りが苦手のご様子ですので」

「そうか」


 むっつりと唇を引き結んだ宰相は、それ以上何も言わなかった。もともと無駄口を叩くほうでもないが、あまり快く思っていないのは雰囲気から察せられた。


(機嫌が悪いのは、現状が改善されないせいもあるからかな)


 スーランが離宮で暮らすようになってから半月が過ぎたが、未だに国王はオルビアーナに溺れ、実権は副宰相が握っていた。

 それと比例するように副宰相に媚びへつらい貴族や官吏は増え、今ではその勢力も宰相を凌いでいるという。

 今回の舞踏会を仕切ったのも副宰相のようで、宰相はあとから知らされたらしい。本来なら儀式等を司る典礼省が宰相の指示を受け、執り行わなければならないというのに。

 ないがしろにされた宰相や典礼省の大臣も黙ってはいなかったが、国王が副宰相の味方につけば憤怒を押し殺し、沈黙するしかなかった。


 日増しに強まる宰相と副宰相の対立は、けれど宰相の分が悪くなるばかりである。

 だからなのか、スーランのことを納得はしたものの、一向に動く気配を見せないスーランに苛立ちを感じているようでもあった。


(この舞踏会で、父上に見放されなければいいけれど……)


 練習の光景を思い浮かべたアルツィは、ため息を飲み込んだ。

 有能な教師たちも最終日となれば、匙を投げてしまったほどである。

 スーランは一生懸命だったが、いかんせん体が追いついていかないようだった。武闘ならば、驚くほど俊敏に動くというのに、宮廷舞踏となれば体の筋肉が強ばってしまうようで、ぎこちなかった。

 その動きは、さながら木の棒で背中や手足を固定したまま移動しているようだった。それがだいぶ緩和されたと思ったら、今度は曲にうまく乗れず、相手役の教師の足を踏みまくっていた。

 かといって、曲調に合わせようとすると、踊り方を忘れてしまう始末。


 さすがにアルツィもあれほど酷いと思わなかったのだ。


 悪夢を振り返り、思わず遠くを見つめると、会場がざわめいた。

 オルビアーナが姿を見せたのだ。

 係の者が、声高にオルビアーナと国王陛下の到着を告げた。それが合図だったかのように、曲調が優雅な調べへと変わった。


「まあ、なんてお美しい……」

「陛下のお顔も嬉しそうですわ」


 シャンデリアが燦然と輝く下。

 国王の手を借りながらゆっくりと正面の階段を降りてくるオルビアーナは、それは美しかった。

 淡黄色に真珠をちりばめた上品なドレスが、彼女の高貴な雰囲気によく合っていた。装飾具でゴテゴテと飾るのではなく、どちらかといえば簡素な装いであったが、それが逆に彼女の典雅な美しさを引き立てるようだった。

 ほぅっと、感嘆としたため息があちこちから漏れる。


 その後から、スーランも礼服に身を包んだ青年の手を借りて現れた。

 オルビアーナのときのように係の者が両者の名を呼ぶと、大広間が一瞬、静まった。

 花びらをまとったかのような可憐なドレスに身をまとったスーランは、オルビアーナとはまた違った華があった。


「あれがもう一人の……」

「ふん……なかなか、可愛らしい王女様じゃないか」


 どうやら、スーランに好感を持った者もいるようだ。


(掴みは上々、かな)


 見た目だけならば、スーランだってオルビアーナには引けをとらないのだ。

 そう……見た目だけならば……。

 豪華な舞踏会に胸をときめかせ、頬を薔薇色に染めて楽しげなオルビアーナとは対称的に、スーランの顔はどこかぎこちなかった。笑顔が引きつっているように感じるのは、きっとだれよりもスーランを知っているアルツィだからかもしれない。


 ハラハラと見守る先で、スーランがよろめいた。


「!」

 

 とっさに駆け寄ろうとしたアルツィを宰相が小さく咳払いをして留めた。

 我に返ったアルツィは、どこか悔しげに視線をスーランへ向けた。


 踵の高い靴にまだ慣れていなかったのだろう。低めの靴を用意すればよかったと後悔しても遅い。


「まぁ、微笑ましい……」


 よろめいたスーランをまるで予期していたかのように支えたのは、パートナー役の青年だった。まるで抱き込むように引き寄せると、スーランの小さな体は彼の腕の中にすっぽりと収まってしまった。

 慌てたように顔を上げたスーランが、青年に何かを言っていた。きっと、ごめんなさいと謝っているのだろう。

 青年はそっとスーランに顔を近づけ、なにかを囁いた。

 とたん、彼の腕の中から顔を上げたスーランは、きょろきょろと小動物のように周囲を見渡すと、注目をされていることに気づいてか、顔を真赤にさせて、ぺこりと頭を下げた。


「威厳が、ないな」 


 宰相が眉をひそめた。

 王族が軽々しく頭を下げるものではない。

 

 どこか不機嫌そうになった宰相とは反対に、貴族の年配の者たちは好ましく思ったようだ。そこには、初めての舞踏会に舞い上がってオロオロする孫を見つめるような暖かさがあった。


 視線が離れない状況にどうすればいいのかとパートナーを頼る姿も初々しい。

 青年が一言二言告げると、スーランの顔がほっとしたように緩んだ。小さな花のような笑顔は、なんとも愛らしかった。


「オルビアーナ様は気品に満ち溢れ、王女として遜色ないというのに、スーラン様もまた時折、ハッと目を引くお方だ」

「本当に……オルビアーナ様がデビューされたときは、それはそれは堂々とされていて、失われた王女様の面差しをその中に見たというのに、スーラン様は真逆ですわね。それでも、微笑ましく感じられるのは、なぜかしら」

「ハッハッハ、私もですよ。孫の社交界のデビューの際は、ハラハラと胃を痛めたものだ。まさか、スーラン様に同じ思いを抱いてしまうとは」


 くすくすと笑い声が広がった。

 宰相は、スーランへ好ましい視線を送る一団を一瞥した。

 彼らは、宰相派ではなく、中立派と呼ばれる者たちだった。副宰相派の者たちは、我先にとオルビアーナや副宰相に近付こうと躍起になっていて、こちらの小さな騒動には気づかなかったようだ。


 流動する中立派を取り入れることは大事である。

 最初こそ、使えないと冷徹な判断を下した宰相も、彼らの反応に考えを改めた。

 わずかに口元を緩めた彼は息子によくやった、と労りの言葉をかけようとして、片眉を持ち上げた。


「ふっ、どうした。あの若者が気にくわないか? ボルットゥオーニ子爵のご子息だというが、なかなか立派じゃないか。慌てるでもなく、しっかりと王女を支えているところは、なかなか気骨がある」

「……そうですか? 俺にはだらしなく映りますが。スーランと格好を合わせればいいのに、あの地味な服では、スーランのよさが半減する。それに、舞踏の相手とはいえ、スーランに対して軽々しく接しすぎだと思いますが」

「そんなに目を怒らせることでもあるまい。ずいぶんと王女に対し、情を持ったものだ」

「そんなことは……」

「まあ、よい。元はといえば、おまえが拾ったんだ。最後まで、責任を持って守れ。いいな」

「はい」


 そんなこと言われるまでもなかった。

 アルツィは、赤絨毯をゆっくりと進み始めたスーランに視線を注いだ。

 本来なら、あそこにいるのは青年ではなくアルツィのはず。

 けれど、国王の意向で変えられてしまったのだ。多分、裏で副宰相が動いたのだろう。ボルットゥオーニ子爵は、副宰相派の人間である。舞踏会でスーランの失態を誘い出す人物として、息子を利用しているのかもしない。


 もっとも、先ほどのやりとりを見ると、息子のほうにその気はなさそうだが。

 王女の相手役として相応しい立ち居振る舞いで、先導しているところが憎らしい。今すぐ駆け寄って、スーランに触れる腕をはたき落としたい衝動に駆られた。


(くそっ。俺だったら、スーランを落ち着かせてあげることができたのに)


 並び立つのも自分のほうが似合いだ。

 この晴れやかな舞踏会で、スーランの相手役として名乗ることさえできないのが酷く腹立たしい。

 彼女との距離がこんなにも遠く、必死に笑みを作っている彼女の髪を優しく撫でることもできない。


「アルツィ、始まるぞ」


 父の言葉にハッと顔を引き締めた。

 この日のために集められた音楽団が、軽やかな調べを弦に乗せていく。

 集まった貴族たちが、男女に分かれて向かい合わせに一列に並ぶと、優雅にお辞儀をした。そして、互いに一歩ずつ近寄り、肩に手を置くと、曲に乗って体を滑らせた。

 くるくると回転しながら踊っていく若者たちの中央に、スーランたちがいた。


 彼女たちもまた、作法に則ってお辞儀をすると、互いの体を寄せた。

 どこかたどたどしいスーランとは違い、オルビアーナは見る者の視線をさらっていく。真珠が蝋燭の明かりに照らされ、きらきらと光を放ち、淡黄色の衣装がこの上もなく美しく見せていた。

 頬をわずかに紅潮とさせ、輝く笑顔は、見る者を虜にしていく。

 参加せず、眺めているだけの男たちの視線は、オルビアーナのふっくらと盛り上がった胸元と、興奮しているせいか淡く色づいた白い肌に釘づけであった。


 一方。


「……きゃっ、ご、ごめん!」


 練習したとはいえ、やはりスーランは動きを間違えて青年の足を踏んでしまったようだ。

 焦れば焦るほど動きが悪くなり、ちらりとオルビアーナからスーランに視線を移した貴族たちの間からは、失笑しか聞こえてこない。


「これは、酷い……」

「王妃様は、お若い頃は、それは優雅に踊っていらして……社交界の薔薇と呼ばれるほお美しかったというのに」

「初めての社交界とはいえ、オルビアーナ様は、完璧に踊られていらした。まるで若き日の王妃様のように」

「踊り一つとっても、ここまで不得手では、とても王家の血が流れているとは思えないな」


 先程まで暖かく見守っていた中立派の人々も、見ていられないとばかりに眉をひそめていた。

 この舞踏会は、スーランのお披露目のために開かれたものではあるが、集まった貴族たちにとっては、どちらが本物の王女であるか見極める機会なのだ。

 いくら大舞台に緊張しており、庶民の暮らしをしてきたので礼儀作法が甘いといっても、その身に流れているのは王家の血筋だ。優雅さ、華やかさ、気品、王族特有の雰囲気……どれをとっても、今のスーランにはその片鱗さえも見いだせなかった。


 スーランに注目していた視線は一つ減り、二つ減り……曲が終わる頃には、見向きもされなかった。


「オルビアーナ王女様、素晴らしい踊りでしたわ」


 副宰相派だけでなく、中立派の貴族たちもオルビアーナに群がった。

 賛辞の声を次々とかけていく彼らに、相手役を務めた国王も嬉しそうに笑っていた。

 それを見て、今こそ国王へ己を印象づける好機とばかりに、さらに人の波が押し寄せた。


「スーラン……」


 散々な出来に青ざめ、どこか震えているスーランに、アルツィの胸がぎゅっと痛んだ。

 落ち込むスーランへ宰相派の貴族が慰めるように声をかけるが、彼女の顔に笑顔はない。相手役を努めたボルットゥオーニ子爵の子息も、困った顔で声をかけているが、スーランの顔色は悪くなるばかりだ。


 堪らずに、アルツィは父を置いて駆け寄った。


「スーラン王女殿下!」

「……アルツィ」


 スーランは泣きそうな顔をしていた。大きな目には、うっすらと水膜が張り、今にもこぼれ落ちそうだった。

 普段の勝ち気さはどこにいったかの、顔色を青くし、震えているスーランの姿に、アルツィの胸がますます苦しくなった。こんな顔を見たいわけではなかったのだ。


「ごめ……わた、し、……わたし……っ」

「大丈夫だから」


 視線だけで邪魔な青年を下がらせたアルツィは、スーランを抱きしめたくなったのをぐっと我慢した。ここでは人の目がありすぎる。もし、だれもいない部屋だったら、彼女の小さな体をこの腕の中に閉じこめることができるのに。


 スーランの手を恭しく取ったアルツィは、壁際へと導いた。あからさまな嘲笑を含んだ視線がいくつも投げかけられたが、アルツィが宰相の子息だということに気づくと、慌てたように逸らされた。

 並べられた椅子の一つにスーランを座らせたアルツィは、優しく訊いた。


「疲れていない? よく頑張ったね。君は本当に俺の期待に応えてくれた。ありがとう」

「……っ、全然だよ。わたし、ぶちこわしちゃった。どうしよ、大事な場面だったのに……っ。わたし、しっかり踊らないといけなかったのに……っ」

「スーラン、だれにでも不得手なものはあるから気にしないで。時間がない中で仕上げようとしたのが甘かったんだ」

「けどっ」


 スーランは、悔しそうに唇を噛みしめていた。


「スーラン、次の手を考えよう。また、巻き返せばいい」


 そう安心させる言葉をかけつつ、アルツィはどれくらい父が宰相でいられるか考えた。

 今回の失敗は、大きく響くだろう。

 副宰相派が今以上に膨れあがれば、宰相の力などもはや及ばず、罷免になる可能性が大きい。

 現に、宰相派であった貴族の何人かは寝返って、オルビアーナの歓心を得ようとしていたのを先程目にした。宰相が担ぎ上げるスーランを偽物と判断したのだろう。

 味方が徐々に少なくなっている今、副宰相の企みを防ぐことは難しい。


(それでも俺は、やらなければならない。この国の未来のために)


 父の背を追って育ったアルツィは、いつしか自分も父のように高潔な人物になりたいと思っていた。

 父のように国王を補佐し、より豊かな国へ導けるよう日々勉学に励んでいたというのに、オルビアーナが来てから一変してしまった。


(これ以上、副宰相の好きにはさせない)




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