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その3

 

「蜜がたっぷり入った焼菓子がいい? それとも、プティング? 瑞々しい果実も持ってきたけど……。どれがいいかな。今日は朝から慌ただしかったから、きっと満足な食事を摂ることができなかったでしょ。少し、お腹に入れるといいよ」 


 落ち込むスーランを気遣ってか、わざわざ食べ物を取りに行ってくれたのだ。

 いらないとばかりに弱々しく首を振ると、アルツィの眉が悲しそうに下がった。

 

 いつもだったら、皿に美しく盛られた美味しそうなお菓子を見て目を輝かせるところだが、今は胸がいっぱいで飲み物すら口を通らなかった。


「スーラン……」

「ごめんね、アルツィ……。せっかく持ってきてくれたのに」

「気にしないで。俺が好きでやったことだよ」


 通りかかった給仕へ皿を下げるよう告げたアルツィは、すっとスーランの横へ立った。

 そんなアルツィへ、若い令嬢から熱い視線が注がれていたが、彼は一切無視をしてスーランに付き添っていた。


(本当なら、アルツィも社交しないといけないのに……)


 スーランだけでなく、アルツィも将来のために顔を売り込む好機なのだ。

 なのに、声をかけられても、彼は傷心のスーランを慮ってそばを離れようとはしなかった。見目麗しいアルツィが中央で踊れば、それこそオルビアーナと同じくらい注目を浴びただろうに。


 本来は子爵の息子と踊り、貴族たちに顔見世が済んだあと、アルツィたちと合流して宰相派の人たちに挨拶する予定だった。

 それがスーランの失敗によって消えてしまった。

 きっと宰相も呆れていることだろう。


 と、そのとき、歓声と拍手が沸き起こった。

 先ほど流れていた曲が終わったのだ。

 興奮したような声がさざ波のように広がっていく。


「四曲も続けて踊っていらっしゃるのに……疲れを見せず、なんとたおやかで優美なんでしょ」

「王妃様もそれは華麗に踊っていらっしゃいましたけど、若い頃の陛下も、それは洗練された踊りで周囲を魅了したものです」

「ええ、本当に。当時王太子殿下でいらした陛下から、お声がかかるのを今か今かと待ちわびたものですわ」

「ご覧なさいよ。オルビアーナ様に、まるで蜜にたかる蜂のように群がる殿方たちを。あれだけ魅力的な王女ならば、陛下も気が気ではないでしょうね」

「わたくしのように身分の低い者にも気軽に接してくださって、お優しい王女様なんですよ。もう一人の方とは大違いね。先ほどの踊りといったら……!」

「平民出身だけあって、田舎くささが体中に残っていらっしゃるのよ」

「おかわいそうに。オルビアーナ王女様と比べられたら、どんな者だって敵わないでしょうに」


 近くにいるスーランには気づかない様子で、華やかな衣装に身を包んだ貴婦人たちが、扇で口元を隠しながら通り過ぎていった。


(……っ)


 わかっていたことだ。

 それでも、現実を突きつけられると胸に強烈な痛みが走った。

 たった一度の失敗。

 けれどそれは絶対に失敗してはいけなかったのだ。


 アルツィは慰めるために次を挽回すればいいと言ってくれたが、果たして次が訪れるのだろうか?

 ただでさえ、本物ではないのだ。

 偽りのこの身で、王女を演じることすら無謀だったのかもしれない。


 中央で光り輝くオルビアーナが眩しく、とても遠い存在のように感じられた。

 貴族たちの目が、口がオルビアーナと比べては、嘲笑されているように感じて、我慢していた涙が溢れてきそうになった。

 

 小さく肩を震わすスーランを見かねたのか、アルツィが声をかけてきた。


「ねぇ、スーラン」


 涙で潤む視界に、片膝をついたアルツィが映った。

 驚いて、ひゅっと息を飲んだ。

 その拍子に、縁に溜まっていた雫がぽろりと零れ落ちた。


 それをすっと腰を浮かせたアルツィが指先で拭った。


「泣かせたいわけではなかったんだ」


 そのままアルツィはスーランの手を取った。


「辛い思いをさせてごめん……。でも俺は、ここでの思い出を辛い記憶のままでいさせたくはないんだよ」

「アルツィ……」

「俺のために微笑んでいただけますか、スーラン王女殿下。貴女の微笑みは、太陽のように照らしてくれる。覚えている? 初めて会ったときのことを。暁の女神のように凛々しく、素行の悪い連中だって抗えない魅力を振りまく貴女を、俺は好ましく思ったんだよ。不慣れなこの場で、少し緊張しているかもしれないけれど、臆することはない。貴女は、貴女らしく自由に振る舞えばいい。口さがない中傷も、嘲う視線も気にすることはない。俺には、貴女のすべてが光り輝いて映るんだから」


 澄み渡った蒼の双眸が、強い光をたたえる。

 甘い言葉は、スーランの沈んでいた心をゆるりと解きほぐすように染みこんでいった。

 アルツィだけは、どんなことがあってもスーランの味方。

 失敗も責めず、包み込むようなあたたかさをくれるアルツィに、スーランの胸がとくん、と鳴った。

 自然と頬が緩み、穏やかな笑みを浮かべると、アルツィもホッとしたように肩の力を抜いた。


「スーラン王女、踊る相手のいない憐れな俺の相手を務めていただけませんか?」


 思いも寄らなかった台詞に、スーランは目を見開いた。


「でも、アルツィは、いっぱい……」


 誘われていた、と言おうとしたが、熱のこもった視線に思わず口をつぐんだ。


「俺は、貴女と踊りたい。どうか、許可を」

「──さっき見てたでしょ。下手だよ? 足だって踏んじゃうし」

「わかっているよ。それでも俺は貴女がいい」


 アルツィから情熱的に誘われて断れる女性などいないだろう。

 間近にあっても美しさが変わらないアルツィの顔をじっと見つめたスーランは、大きくため息をついた。


「しょうがないな。後悔しても知らないから」

「光栄です、スーラン王女殿下」


 スーランが渋々と許可すると、アルツィが自然な仕草でスーランの甲に唇を落とした。

 とたん、それを目撃した若い令嬢たちの間から悲鳴があがり、気を失う者までいた。


「な…っ」


 スーランも動揺を隠せなかった。頬が薄紅色に染まっていく。

 それを愛おしげに見つめたアルツィは、ふわりと微笑んだ。

 甘さを含んだ笑みは、見ているのも恥ずかしくなるほどであった。いつもより糖度を増した美貌を間近に拝んだスーランは、どんどん顔が熱くなっていくのを感じていた。


(ぅ~、照れる。カッコイイ人の笑顔は、心臓に悪い)


 台詞だけでなく、動作も禁止にしたい。

 貴公子と呼ぶに相応しい容姿をしているアルツィは、動きのひとつひとつが絵になるから始末に負えない。

 師匠のおかげで美形には慣れているはずのスーランでさえ、こんなに翻弄されてしまう。本人は無意識かもしれないから、余計にタチが悪かった。

 そんな複雑な胸中を知ってか知らずか、まだ赤みの引かないスーランを、アルツィがちょうど踊りの終わった中へと導いていく。


「怖がることないよ。俺を見ていればいい」

「う、うん……」

「無理に曲に合わせなくていい。ただ俺に身を任せてくれればいいんだ」

「わかった」


 新しい曲が大広間に流れはじめる。

 歓談していた貴族やオルビアーナの取り巻きたちも、スーランが再び踊ることに気づいたようで、好奇の視線が突き刺さった。

 思わず身を堅くした拍子に、膝ががくんと曲がった。平衡を崩したスーランが、あっと小さく声を上げた。


「大丈夫だから、俺を信じて」

「ありがとう、アルツィ」


 スーランの腰を力強く引き寄せて、転倒を防いだアルツィは、そのまま一回転をすると、


「そこで背をそらして」

「う、うん」


 スーランは言われたとおり背中を反対に曲げた。

 どこからともなく歓声が起こる。

 オルビアーナのときよりずっと小さかったが、それは確かにスーランたちに向けられたものだった。


「起き上がったら、二歩進んで、今度はスーランだけをその場で一回転させるからね。ふらついても俺が支えるから」


 その宣言どおり、スーランのぎこちない動きもしっかり助けてくれた。

 だんだんとスーランの顔も晴れてくる。

 足を踏みそうになっても、アルツィが自然な動作で避けてくれるし、転びそうになったら事前に手を差し伸べてくれて、一連の動きを流れるようにみせてくれるのだ。

 子爵の令息のときと違い、スーランを嘲う者はいなかった。


(不思議……背中に羽が生えたみたい……! 踊りって、こんなに楽しいんだ)


 いや、違う。


 相手がアルツィだから楽しく感じられるのだろう。

 ほかのだれかだったら、スーランの下手な踊りを手助けすることはできない。これは、アルツィ自身が踊りの名手だからこそできる技だろう。

 花びらのような裾が、宙に浮かぶたびに、一枚一枚ふわりと舞う。

 煌めく黄金の輝きに、周囲から感嘆とした声が漏れた。


「なんて優雅な……」

「先ほどは、きっと体調が優れなかったのね」

「オルビアーナ王女とはまた趣が異なる魅力がありますな」


 密やかな賛美の声が広まっていく。

 ドレスにも負けない極上の笑みを浮かべ、アルツィと大広間を軽やかに回っていくスーランの姿に、しだいに視線が集まった。

 可憐な花の精が、蝶のように華麗に舞う姿は、だれよりも輝いていた。


「スーラン、わかる? 今、君は自分で動いてるんだ」

「え、ほんと?」

「ああ。そのまま思った通り体を動かして。今、君は注目の的。陛下もオルビアーナ王女が話しかけるのも適当に相づちして、こちらをご覧になられている。副宰相の悔しげな姿を見せてあげたいよ。陛下が少しでもスーランに興味を持ったことがよほど許せないようだね」

「わたし、少しは役に立てた?」

「少しどころじゃないよ。貴族たちの反応も上々だ。このまま少しずつスーランの魅力を知ってもらえれば、オルビアーナ王女に勝てるかもしれない」


 アルツィの力強い言葉に、スーランは安堵の笑みを漏らした。





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