その4
豪華絢爛な舞踏会は、夜が明けきるまで続いた。
華やかな余韻に浸りながら貴族たちが自分の館へと戻っていく中、ドゥオーラは、国王の執務室の近くにある部屋に赴いた。
歴代の副宰相に与えられたその一室は、宰相に比べると手狭で、続き間もない簡素なものだったが、彼は自分勝手に装飾を施していた。
まるで、自分の権力を誇示するかのように。
金箔の壁紙に朱色で模様を入れ、宝石を埋め込めば、国王の執務室に負けない豪奢な内装となった。古めかしい家具もすべて特注品と入れ替えたおかげで、華やかさも増した。
これまでの伝統が……歴史が……と苦言を呈する輩は、もういない。
他を圧するこの部屋に足を踏み入れれば、今、宮中でだれが一番の権力者か理解するだろう。
「くそっ」
部屋に入ったドゥオーラは、従僕が事前につけた蝋燭の淡い灯りを憎々しげに睨めつけた。
小さな窓が一つしかないこの部屋は、陽が出ようと常に蝋燭を灯していた。
彼の脳裏に、忌々しい光景が浮かぶ。
『アレは……確か、スーランだったか。なかなか、いい舞だ』
相好を崩し、そう呟いた国王に、副宰相派の貴族たちは互いに目配せをると、相づちも打てずに押し黙っていた。
それはそうだろう。
ここで国王におもねれば、ドゥオーラの怒りを買うことになる。
国王の歓心より副宰相の歓心を取った貴族たちの顔を心に留めたドゥオーラだったが、その心は煮えたぎっていた。
オルビアーナを溺愛しているはずの国王が、新しく王女となった娘に関心を持ったのだ。
それを心穏やかに、というほうが無理だ。
しょせん庶民、と侮っていたのが仇となった。
最初こそ無様に散って、嗤われていたが、再び中央へとやって来たときは、だれもが目を奪われていた。もちろん、優雅さや気品、流れるような動きは、オルビアーナが抜きん出ている。だれもオルビアーナを凌駕することはできないだろう。
だが、スーランはどこか違う。
オルビアーナにどれ一つ敵わないはずなのに、なぜか目を引くのだ。
不安な顔から一転して、楽しげに目の中に星をきらめかせ、生き生きと踊る彼女は、咲き始めの可憐な花を思わせた。
相手に身を任せ、ただ純粋に踊ることに夢中な彼女を見て、嫌な顔なんてできるわけがない。
一人、二人と、視線がオルビアーナから離れ、スーランへと注がれていく。
それをドゥオーラは歯がゆく思った。
注目されるのは国王に愛されているオルビアーナのはずだった。
完璧なオルビアーナと庶民丸出しのスーランを見比べさせ、王女としての烙印を押させるはずだった。
なのに、なぜ、こうなってしまったのだ。
今宵の件が原因で、中立派が宰相の下についたら厄介である。
「……こしゃくなっ」
ドゥオーラにとって、それは手放しで喜べる状況ではない。
ぎりっと奥歯を噛みしめると、感情の赴くまま机の上に乗っていた書類を振り払った。大きな音を立てて床に散らばる羊皮紙や本。それをぐしゃりと踏みつぶす。
ほの暗い感情が、腹の底からわき上がり、全身を蝕んでいくかのようだった。
「あの小娘は邪魔だ……っ」
だいたい、宰相の息子が連れてきたという時点で気にくわなかったのだ。
オルビアーナを見つけたときから、いや、その前から宰相が自分に対していい感情を持っていないのは察していた。きっと、ドゥオーラがこれまでなにをしてきたか知っているのだろう。
自分にも他人にも厳しいあの男は、口数こそ少ないものの、その有能さを国王に買われ、揺るぎなき寵臣たる地位を築いていた。
ときには国王に意見し、諫め、なだめるのができるのは、王妃を除いて彼だけだ。
それゆえに、多くの貴族は彼を畏れ、敬った。
血筋を辿れば、王族の血も入っている、名門中の名門、フォーラント家の当主であることも大きいだろう。
労働階級出身のドゥオーラが、大金で爵位を買えても、血筋までは買うことはできない。
貴族の連中から見下されないよう裏で工作し、必死に今の地位まで昇りつけたが、あの堂々とした威厳をまとった宰相を目に入れるたびに、血統の違いを痛感するのだ。それがどうしようもなく悔しくて、伯爵家の一人娘を嫁に貰い、爵位を継いだが、それが余計にドゥオーラの心をかき乱すだけだった。
いつしか宰相を蹴落とすことで、その飢餓が消える気がした。
だからこそ、この好機を逃すわけにはいかない。
ようやく、…ようやくここまで来たのだ。
今や国王の信を得ているのは自分のほう。
(……ふんっ、アレもまだまだ若造よ。考えが浅い)
宰相の息子がいくら足掻いたところで、最後に勝利を手にするのはドゥオーラだ。
そう、ドゥオーラなのだ。
「ドゥオーラ、入るわよ」
ふいに扉が開き、一条の光が室内へと入り込む。
「オルビアーナか。こんな時間になんの用だ。疲れ果てて眠っていると思ったが」
目立たぬよう地味な布を巻きつけたオルビアーナは、するりと部屋へ入り込むと優雅な動作で椅子に身を沈めた。
人払いをしたこの場に、共もつげずに現れたオルビアーナを見咎める者はいない。
「──お父様があの田舎くさい小娘に関心を示したようだけれど?」
「案ずるな。少々毛色の変わった娘に興を惹かれているのだろう。お前が王女であることに変わりはない」
ドゥオーラがそう言うと、オルビアーナの美しい顔が不機嫌そうに歪んだ。
「当たり前じゃないの。孤児院にいたときから、わたくしの居場所は他にあるのだと感じていたわ。院長様は、産まれて間もない赤子のわたくしが、孤児院の前に捨てられていたのは、金銭的に養えなくなったやむを得ない事情があったんだろうとおっしゃっていたけれど、ちっとも信じていなかったのよ。いつの日か本当のお父様とお母様が、迎えに来て下さると信じていたわ。ええ、だって、あの孤児院の卑しい者たちと馴れ合うことはできなかったもの。
ああ、いやだ。思い出したくもない。なんて惨めな生活だったのかしら。粗末な食べ物とつぎはぎだらけの服……。わたくしは他の者と違うというのに、院長様はわたくしと他の者たちを同等に扱って。……ふふ、思い出すわ。ドゥオーラが孤児院に来た日のことを」
オルビアーナは、懐かしむように目を細めた。
対するドゥオーラは、聞き飽きた台詞にため息を飲み込んだ。
(また、か。煩わしい娘よ)
彼女が王女でなければ、その舌を切り落としていただろう。
女というのは、身分問わず、かしましいものなのだ。
「あなたがすぐにただ者じゃないってわかったのよ。身なりも立派で……。わたくしと顔を合わせたときのあなたの顔ったら! 本当に笑えるわ。雷にうたれたような驚いた表情で、わたくしを見つめていたのよね。その瞬間、わたくしは悟ったの。ああ、わたくしはようやく本当の居場所に帰れるんだって。だから、連れ去られた王女であったことを告げられても、たいした驚きはなかったのよ」
オルビアーナは、うっとりと夢見心地に双眸を潤ませると、ドゥオーラを一瞥し、挑戦的に口元を歪めた。
「わたくしに、恐れるものはないわ。あの小憎らしい子がいくらお父様の気を引いたところで、真実は揺るがないもの。お父様ったら、わたくしのお願い事をなんでも聞いて下さるのよ。…そう、この間なんか、わたくしに粗相を働いた侍女の話をしたら、お父様が城から追い出して下さったのよ」
オルビアーナが嬉々として言った刹那、ドゥオーラの目が妖しく光った。
(機は熟した、か)




