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その5

「うわー、いい天気。散歩日和だね!」

「さようですわね」


 スーランの半歩後ろを歩くセリティンが同意するように相槌を打った。

 石畳の小道の両側には、季節の花々が咲き乱れ、華を添えていた。

 少し視線を伸ばせば、女神をかたどった噴水と白塗りの東屋が見えた。


「ねぇ、セリティン。ここはなに?」

「こちらは、三代前の王妃様が造らせた迷路ですわ。ぜひ、中へお進みくださいませ」


 黄金で造られたアーチ状の入口を抜けると、視界が緑に染まった。

 整えられた生け垣は、スーランの背丈よりも高く、複雑に入り組んでいるようだった。


「場所によって植えられているものも違うらしいので、自由にご覧くださいませ」


 最初の場所が『静謐』が主題らしい。

 他にも、『女神の戯れ』と呼ばれるバラ園や、『蒼の居』と呼ばれる青い花だけが咲いている場所もあるらしい。


 穏やかな日差しが降り注ぐ中、ゆっくりと迷路を進んだスーランは、感嘆と溜め息を吐いた。


「こんな綺麗なのに、ぜんっぜん人がいないなんて…なんかもったいない」

「こちらは、王族の方々のみが立ち入ることを許されている庭園ですからね」

「へぇ……よくわたしに許可がおりたね」

「そこは、宰相閣下の御威光をお借りすればなんてことございませんわ。だいたい、立場が同じはずのあらちの方が我が物顔で散策できるというのに、スーラン王女様が足を踏み入れることができない、ということが間違っておりますわ」


 ぴしゃりと言い切ったセリティンに、付き添っていた他の侍女たちからも「そのとおりですわ」と声が上がった。


「なにかにつけて比較されているようですけれど、お立場は変わらないというのに……」

「陛下をお味方につけられたからといって、まだ正式には認められておりませんのにね」

「本当に。お立場をわきまえていらっしゃらないのは、彼の方だけでなく、お側使いたちも同じでしてよ」


 よほど鬱憤が溜まっていたのか、藍色のお仕着せに身を包んだ年若い侍女たちは、不満を口にした。


「あー、うん、なんか大変そうだね」


 貴族だけでなく、宮中で働く侍女の中でも対立があるらしい。

 わかっていたこととはいえ、優秀な彼女たちは顔に出すことはしなかったから、そんなに深刻だとは思わなかったのだ。

 今や宮中を牛耳っているといっても過言ではないオルビアーナ派と敵対するスーラン派は、さぞや肩身が狭いだろう。


「あら、わたくしは、スーラン様がいらして楽しいですわ」

「ええ、本当に。わたくしの家は、フォーラント家に代々仕えておりましたが、縁あってわたくしだけ宮中で働くことになりましたの。当日は、親兄弟からはそれはもう責められましたが、今となっては、こうしてスーラン様にお仕えすることでフォーラント家をお支えすることができ、誉れでございますわ」

「こうして侍女として選ばれ、鼻が高いですわよね。わたくしも、お前は当家の自慢だ、と父が申しておりましたのよ」

「そうですわよね。副宰相殿が幅を利かせ始めた頃は、本当にもう、悔しくて悔しくて……。夜も眠れませんでしたわ」


(アルツィの家って、すごいんだな)


 なんだか、スーランまで嬉しくなってくる。


「あなたたち、このようなだれが聞き耳を立てているかわからない場所でそのような軽口を立てるものじゃありませんよ」


 セリティンが軽く叱りつけると、年若い侍女たちは申し訳なさそうに謝罪すると肩をすくめた。

 スーランは、くすりと笑みを零した。

 彼女たちのやりとりが微笑ましかった。


「あ、ここが出口かな」 


 入口と同じようなアーチを見つけたスーランは、元気よく飛び出した。

 いい運動になったと、うーんっと腕を上げて背伸びをしたスーランは、ふと、視界の端にうずくまる人を見つけて顔を向けた。


「どうしたの?」


 藍色のお仕着せに身を包んだ侍女だった。 

 何かあったのかと駆け寄って、心配そうに声をかけた。


 びくりと肩を震わせた彼女は、スーランに気づくとキッと睨みつけた。


「な、なんでもありません」


 初対面であるというのに、なぜか敵愾心を抱いている様子の侍女に、スーランが首を傾げる。

 セリティンが、オルビアーナ様付きの侍女ですわ、とそっと耳打ちした。

 なら、スーランを見て不快そうなのも納得がいく。スーランの髪と目の色で、オルビアーナの敵である王女と気づいたのだろう。

 なるほど、と頷いたスーランは、汚れるのも厭わず膝を突くと、侍女を子細に見つめた。スーランより四つくらい上だろうか。

 美しい空色の目をしていたが、今は辛そうに歪んでいた。薄紅色に色づいた肌、額にはうっすらと脂汗が滲み、荒く呼吸を繰り返していた。明らかに普通ではない様子に、発熱しているのだろうと見当をつけたスーランは、ふっと視線を落とすと、彼女の右の手の甲が深く裂けて血が出ているのに気づいた。


「うわっ、怪我してるじゃん。手当てもしないでなにやってんのよ。化膿したらどうすんの。こんなに綺麗な手なのに……」

「な、なにを……っ」

「ほら、じっとして。放っておいたら、痕が残っちゃうよ?」


 スーランは嫌がる彼女の手を取ると、懐から取り出した薬をべったりと塗った。


「へへっ、スゥ特製の軟膏だよ! ちょっと染みるかもしれないけど我慢。一晩経てばよくなるから。心配だったらお医者様に診てもらいな」


 きゅっと絹の手巾を巻きつけたスーランは、居心地悪そうな侍女に向かって微笑んだ。

 けれど彼女は礼を言うどころか、スーランから目を逸らしたまま唇を噛んで押し黙った。

 頑なな態度に、ちょっと笑ったスーランは、呆れた顔をしているセリティンを振り仰いだ。


「ねぇセリティン。彼女、休ませてあげることってできる? 熱のせいでふらふらな状態じゃ、オルビアーナ王女のところまで帰せないよ」

「け、結構です!」


 オルビアーナという名を聞いたとたん、微かに表情を強ばらせた侍女は、語気を荒らげるとスーランの手を振り払った。


「まあ! 王女殿下に向かってなんという態度を……っ」

「偽の王女に払う敬意などありません。我が主人、オルビアーナ王女殿下こそ、この国の王女殿下です」


 そう吐き捨てた彼女は、ふらつく体を両足で支え、ゆっくりと歩き出した。足取りは危ういが、あの様子ではオルビアーナのいる宮殿まで戻れるだろう。


「はぁ~、すっごい根性! オルビアーナ王女がどっか抜けてる感じだから、その分侍女がしっかりしてるのかな」


 愉快そうに話すスーランとは対照的に、セリティンたちの表情は険しい。


「どうしてあの者の手当てなど……。放っておけばよいものを。もしかしたら、周囲を探っていたのかもしれませんわ。こんなところに身を潜めていたなんて、怪しすぎます」

「そうですわ。スーラン様にあのような態度……。許せませんわっ」

「今度会ったらただじゃおきませんわ!」

「事情はどうあれ、わたしは目の前にいる怪我人を見捨てるほど冷酷になれないよ。たとえそれが死ぬほど嫌いな相手でもね」

「お優しすぎます。ここでは、そんな甘いことを言っていたら、命を救った相手に首を掻ききられてしまいますよ」

「セリティン、声大きい。あの人がびっくりしちゃう」


 スーランが斜め後ろに視線をやると、つられたようにセリティンも視線を移した。


「まあ、いつから……」


 セリティンは気づかなかったのだろう。

 侍女とスーランのやりとりを興味深そうに眺めていた女性は、スーランたちの視線に気づくと、柔らかな笑みを浮かべた。 


「──あなた、新しくいらした王女ね」

「そうだよ、あなたは?」


 軟膏が入った入れ物をしまったスーランは、深緑が鮮やかな生け垣の横にいる女性の元へ近寄った。

 そのあとを呆れ顔のセリティンと、吹き出しそうな顔の年若い侍女たちが付き従った。


「わたしは、庭の手入れを……」

「ああ、庭師さん?」

「ええ。ロアナと呼んでちょうだい」


 動きやすそうな格好に、日よけの帽子を目深に被った姿は、庭師にはとうてい見えなかったが、ハサミを優雅な手つきで操りながら、一枚ずつ丁寧に余計な葉を切り落としていく様は、こなれていた。

 たとえ虫の食った葉っぱであろうと、愛おしむように触れる姿は、本当に植物が好きなんだと伝わってきた。

 ふっと手を止めたロアナは、顔を上げると、榛色の澄んだ双眸を面白そうに光らせた。


「あなた、いつも軟膏を持っているの? ずいぶん手際がよかったけれど」


 頬に散ったそばかすが、可愛らしい印象を与えるが、目鼻立ちは整っていた。化粧気はないが、それがかえって彼女の魅力を引き出しているようだった。


「そうだよ。いつなんどき怪我するかわからないでしょ? わたしが暮らしてた村は、しょっちゅう騒ぎを起こすバカたちがいたから、持ってるのクセになっちゃったのかも。お師匠様直伝の軟膏は、あかぎれから切り傷まで、なんでも治っちゃう優れものなんだから!」


 自慢するように胸を張ったスーランは、そこで生け垣に視線を移すと、目元を和らげた。


「それにしても、立派な庭だね。王族しか入れないここももちろん綺麗だけど、緑の庭園もすっごく素敵だったな」

「あら? 緑の庭園にも?」

「昨日ね。あっちは宮殿に来た人なら、だれでも入れるって聞いて、行ってみたんだ。木立の間を通ると、緑の芝生と綺麗な花が咲いた花壇が目に飛び込んでくるんだ。それがすっごく綺麗で……きっと、あなたみたいな庭師が手入れをきっちりしてるから、あんなに美しい姿を保ってられるんだろうね」

「……そんな嬉しいことを言ってくれるのは、あなたくらいだわ。最初はあなたのように、顔を綻ばして自然に魅入ってくれる方もいたけれど、慣れてしまえば景観などあせてしまうわ。みなさん、お話に夢中になって、足元の花を踏み潰しても気づかないで過ぎてしまう方ばかりですもの」


 ロアナは寂しげに双眸を曇らせた。


「そうかな。こんな広大な庭園を管理するだけでもすごいことだよ。それを悟らせないってことは、あなたたちの腕がいいからだね。だって、荒れ放題だったらみんな不快に思うでしょ。でも、緑の庭園を通る人たちの顔は、穏やかで、安らいでた。それってやっぱり、景色がいいからだよ」


 スーランがそう称えると、ロアナはわずかに目を見開き、嬉しそうにはにかんだ。


「あなたも、自然が好き?」

「花の手入れとかは苦手だけどね。鉢に植え替えても、枯らしちゃう。でも、綺麗な花は見てて飽きないよ」


 スーランは、まだ朝露に濡れている薄紅色の花弁にそっと触れた。天鵞絨のように滑らかな手触りだった。

 緑の生け垣に咲き誇るその花は、一見、薔薇にもみえるが、棘はなく、蔦に絡まるように花を咲かせている。


「この花……確か、女神の衣、だっけ」

「アーロンの別名を知っているの?」

「ちょっとだけ。お師匠様……えっと、すっごく物知りな人に教えてもらったんだ。花びらを煎じて飲めば、万病に効くって。実物は見たことなかったけど、見る者を惹きつける花だって聞いたから、これかなって。……うん、陽の光を浴びてキラキラ輝いて綺麗だけど、今度はもっと早起きして見たいな」


 夜は葉の衣に守られ過ごし、夜明けとともに花開くという。

 七枚の花弁が美しく折り重なり、それは香しい匂いを放つらしい。

 限られた場所にしか咲かず、神々の山脈にアーロンの花の群落があるといわれている。それゆえ、商人たちの間では高値で取引されているらしいが、それがまさか宮廷内にあるとはだれが予想しただろう。

 顔を近づけ、花の匂いを嗅いだスーランは、ぽつりと漏らした。


「王妃様も、これ飲めば一発で治るのにな……」


 ロアナがくすりと笑った。


「王妃専属の医師は、そんなこと一言も言っていなかったわ。それに、穢れた血を体の中に留めないように、瀉血もしているし、お祈りだって欠かしていないわ」

「でも、そんなことしたってよくなんないんでしょ? 薬を煎じても、新しい医療法を試しても、王妃様の容体はちっともよくならないって聞いたよ」

「──そうね。あなた、詳しいのね。やはり、ローディアナ王妃のことが気になる?」


 ロアナの澄んだ双眸が、一瞬、冷たい光を宿した。

 スーランが違和感を覚えて振り向いたとき、彼女は柔らかな笑みを浮かべていた。

 気のせいだったかと内心、小首を傾げながら、スーランは肩をすくめた。


「まあ、ね。そりゃあ、もちろん会いたいよ。オルビアーナ王女を否定したってことは、わたしにも望みがあるし。それに、王妃様は良識者みたいだから。もし元気になったら、この腐った宮廷内のゴタゴタを解決してくれるはず」

「スーラン王女様っ!」


 やりとりを大人しく見守っていたセリティンが、諫めるようにスーランの名を呼んだ。

 そのどこか焦ったような顔を見て、スーランは話しすぎたかと苦笑した。


「変わっているのね、新しい王女は」


 ロアナは、スーランに向かってすっと手を伸ばすと、解けかけた帽子の紐を結び直した。


「ふふ、ごめんなさいね。気になっていたから。そのドレス、とても素敵ね。まるで花の妖精みたい。あなたによく似合っているわ」

「へへっ、ありがとう。ねぇ、また会える? わたしに花の手入れの仕方を教えて」

「ええ、もちろん。わたしでよければ」


 ロアナは、嬉しそうに微笑むと、スーランの目をじっと見つめた。

 どこか驚いたような色を乗せ、凝視してくるのに、さすがに居心地が悪くなったスーランは、小首を傾げた。


「なに? わたしの顔、なにかついてる?」

「いえ……今気づいたのだけれど、あなたの瞳、紫水晶のような透明な輝きだけじゃないのね。太陽の光りに当たると、赤い色が浮かんで……不思議な色合いをしてる」

「そ。暁の女神と一緒だよ。わたしのお気に入り。だれも持ってない、わたしだけの色だよ」

「そこは、オルビアーナ王女と違うのね。彼女は、青みがかった紫色だもの」


 ロアナはそう言うと、口の端を軽く持ち上げた。



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