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その4

 暫定的とはいえ、第二の王女として認められたスーランに与えられたのは、王宮から離れた場所に建つ宮殿であった。オルビアーナと比べると、スーランを本物とは認定できないようだ。


 けれど、オルビアーナもまた、スーランと同じく不安定な状況下にいることは変わらない。

 溺愛している国王とは違い、オルビアーナを我が子としない王妃の存在があって、正式に認知されていないのだ。だからこそ王女の名前を名乗ることが許されず、それまで使っていた名前を名乗っている。

スーランが現れたことにより、オルビアーナも安穏とはしていられないはず。

 もしスーランが王妃に目をかけてもらえたら、オルビアーナを追い込むことができるかもしれないのだ。


 最も、病で臥せっているという王妃に目通りを願うことは、国王に謁見する以上に難しいことであり、その方法は使えなかったが。


「ふわ~、いい風!」


 スーランの部屋は最上階の南に面したところにあった。

 眼下には、森が広がっていた。その遠くにあるのは、深い雲と霧で覆われた霊峰と名高き神々の山脈だろうか。澄み切った青空と深緑の色合いが見事で、最高の景色であった。

 開け放った窓から入り込む爽やかな風を感じていたスーランは、行儀悪く出窓に腰掛けると、しばらくの間外をぼんやりと眺めていた。


「こんな贅沢してたら、貧しさも忘れちゃうな……」


 ここでの暮らしは、まるで別世界だった。

 なにひとつ不自由のない快適さは、けれど働くことに慣れているスーランにはどこか物足りなく感じた。

 着替えから食事の支度まで、すべてが使用人任せ。

 スーランがやることなどなにもない。

 オルビアーナは、毎日のようにお茶会を開いたり、新しいドレスを仕立てたりと忙しく動き回っているらしいが、スーランはそんなことに興味はなかった。

 新しく来た王女の噂は広がっているだろうに、オルビアーナを慮ってか、はたまた不興を買うのは得策ではないと考えてか、訪れる客人の姿は少ない。


「暇だなぁ~……」


 スーランが思わずそう漏らすと、陶器のカップにお茶を注いでいた侍女が手を止めて、くすりと笑った。


「でしたら、この離宮にご令嬢方でもご招待したらよろしいのに。王女となられたからには、社交は、最も大事なことですわ。最大派閥でも形成なさったら、おいそれと陰口を叩く者もいないでしょうに」

「社交、ねぇ……」


 スーランは嘆息した。


「群れるだけしか能がない連中と関わって役に立つの? 悪口か噂話しか興味のないお馬鹿さんたちと一緒にいたら、神経がすり減っちゃうよ」

「あら、この間のことをおっしゃっておりますの?」

「そ。ホンティーヌ侯爵夫人に誘いを受けて行ってみれば、夫の悪口にはじまり、だれとだれが不倫してるとかさ、聞くに堪えない会話ばっか。しかも、最後はわたしとオルビアーナを比較して、見え透いた世辞で終わるんだから嫌になるよ。本心じゃないってぇのが見え見え」


 ホンティーヌ侯爵夫人がオルビアーナの崇拝者であることは一目瞭然だった。

 それでもスーランを自分が主催するお茶会に招いたのは、弱みの一つでも握っておきたかったからだろう。

 身だしなみから作法まで、厳しく吟味されていたに違いない。

 今頃、仲間たちと一緒に、オルビアーナに劣る欠点をあげつらっては、せせら笑っているのだ。


 最も、スーランからしたらそんな悪口は痛くも痒くもなかったが。


 スーランのげんなりとした顔に、あらまぁ、と思案するように頬に手を当て、小首を傾げた侍女セリティンは、名案とばかりに瞳をきらめかすと、ようようと代替え案を述べた。


「では、ご一緒に刺繍などいかがです? 王女様の村では、冬ごもりの間、家の中で生地に刺繍をして、それを草花の芽吹きの頃に、売っているとお聞きしましたわ。さぞや王女様の腕前も素晴らしいのでしょうね。刺繍も、貴族令嬢の嗜みの一つですわ。……あら、顔色がよくありませんわね。でしたら、様々な専門家を招いて、勉学に励みますか? 平民の識字率は低いとお聞きしておりましたが、王女様におかれましては、日常的な読み書きには苦労されないご様子。でしたら、更に進んだ教育を受けることも可能でしょうね。他にも、踊り、行儀作法、ブルゼラ語の習得……ああ、帝王学も追々学びましょうね。……習得すべきことは多くありましてよ。暇、という言葉を口にできないほどに、ね」

「……ぅ。セリティンがいじめる」

「まぁ、いじめるなどとおっしゃるなんて酷いお方。わたくしはスーラン王女様のために申したまでです」

「……うぅ、わかってるよ。わかってるけど、じっとしてるのは苦手なんだもん」


 パッと出窓から下りたスーランは、セリティンが淹れてくれたお茶を立ったまま飲むと、ぷはぁっと口の端を手の甲で拭った。


「スーラン王女様、なんとはしたない!」

「はいはい、ごめんなさい」

「返事は一回でよろしいと何度も……っ」

「眉間にしわ寄せちゃ、綺麗な顔がもったいないよ?」


 ニッと笑ったスーランは、セリティンの額を楽しそうに突いた。


「まぁ……!」

「決~めた! アルツィとエルゼンはまだ来ないみたいだし、庭園でも散歩して来ようかな」

「……まったく、貴女という方は。まあ、いいでしょう。散策も淑女のたしなみですわ。さ、では、お着替えしますよ。あまりに貧相な出で立ちでは、すれ違った方々の笑いものにされますからね」


 嬉々として、ドレスを選び始めるセリティンに、スーランは呆れたように肩をすくめた。

 一日に何度も服を替える貴族の趣向が未だに理解できなかった。

 今着ている飾り気ない淡緑色の部屋着も十分素敵に見えたが、セリティンには地味に映るようだ。

 セリティンが用意したのは、造花のついた大ぶりの帽子に、薄絹で作られた真っ白なドレスだった。胸元は立ち襟とリボンで覆われ、裾はふんわりと優雅に広がり、襞が右上できゅっと上がり、大きめのリボンで留められていた。

 細やかなレースと刺繍が施されたドレスをまとったスーランは、流しっぱなしだった髪の毛を緩やかに巻かれた段階ともなると、疲れた顔を見せた。


(あ~あ。こっそり抜け出せばよかった)


 後悔しても遅い。

 大人しくしていれば、深窓の令嬢に見えなくもないスーランの姿に、満足そうに微笑んだセリティンは、最後の仕上げとばかりに帽子を被せると、顎の下で結んだ。


「まあ、なんてお可愛らしい……。オレマリデの花のようですわ」


 オレマリデというのは、暑い季節に咲く白い花のことだ。夜明けと共に花開き、太陽にきらきらと反射する花弁は、雪の絨毯のようだと称されていた。野花ゆえに貴族の間ではそう親しまれていないだろうが、スーランにとっては馴染みの深い花だ。

 多数の小さな花をつけたオレマリデは、お祭りの際に家を飾る祝い花として愛されていた。


「少しは、王女様らしく見える?」

「ええ、そうやって黙って微笑んで下されば、オルビアーナ様に媚びへつらっている方々も心を動かされるに違いありませんわ。なのになぜ貴女は、その労を厭うのかしら。いくらアルツィ様がお許しになられているとはいえ、のんびりと構えている場合では……」


 セリティンは不服そうに眉を寄せた。

 やや吊り目がちの目が、スーランを詰るように射る。

 今年で二十三歳というセリティンは、年齢よりもずっと大人びた顔立ちをしていた。はっきりとした目鼻立ちは、意志の強そうなところをそのまま表しているようだった。


(セリティンは、頑固だからなぁ。ま、しょうがないか。アルツィの考えに賛同してるんだもんね。この国の未来を想うなら、辛辣な言い方もしょうがないか)


 セリティンは、アルツィが父である宰相の手を借りて、スーランの身の回りの世話係として送り込ませた人物である。

 スーランが偽の王女であることは、セリティンしか知らない事実であるが、スーランに仕えるほとんどの者が、宰相と通じている。そのため、スーランはこの宮殿の中では繕うこともなく、自然体でいられるのだ。


「焦る気持ちはわかるけど、今はなんの手だてもないしね。あまりに分が悪すぎるよ」

「それは……」

「アルツィは、わたしが無理して飾らなくていいって言ってくれた。そうしてても、自然と人は集まるからって。ね、セリティン。わたしにそんな魅力があるかなんてわからないけどさ、アルツィの言うとおり、無理せず頑張ろうよ」

「……!」


 セリティンは虚を突かれたように目を見開いた。


「まだ、五日だよ。一年いて、すっかり宮廷に馴染んでるオルビアーナ王女に、パッと現れた本物にとうていみえないわたしが勝てるわけないじゃん。わたしを知ってもらうのはゆっくりでいい。オルビアーナ王女より勝ってると認めるのは、わたしじゃなくてお貴族様たちなんだよ。王妃様が使えないんじゃ、少しずつ信を勝ち取るしかないじゃん」


 楽しげに笑ったスーランに、セリティンはゆるく息を吐き出すと苦笑した。


「なんて呑気な……。けれど、その脳天気さがきっとよいのでしょうね。貴女を見ていると気を張っているわたくしのほうが、おかしいような気がしてきますわ」




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