その3
到着した一行を出迎えたのは、数人の衛兵と侍従長、それにアルツィの父である宰相だった。
銀髪を後ろになでつけているせいか、神経質そうな雰囲気を持っているが、端正な顔立ちはやはりアルツィに通じるものがあった。だが、蒼の双眸をきつく眇めアルツィを見下ろすその顔に、笑みはない。
「父上……」
どことなく気まずそうなアルツィを一瞥したヴァズール・フォーラント宰相は、数ヶ月ぶりに対面したというのに、感動もなく言葉少なげに言った。
「小言はあとだ。陛下がお待ちだ」
彼の視線が一瞬スーランへと移る。
苦渋に満ちた光はすぐに厳めしい仮面の下へと消えてしまったけれど、スーランには彼の気持ちがわかるようだった。スーランへの罪悪感と、自らも罪を背負ったことに苦しみを感じているのだ。
(実の父親にも隠すなんて、やるなぁアルツィってば)
これだけの大罪を宰相にも黙っていたなんて驚きである。
(わたしのこと、どう思ってるんだろ。こうして来てくれたということは、アルツィの考えを受け入れたってことなのかな)
宰相までもが荷担したとなれば、もはやスーランにこの国の命運が託されたことになる。
いよいよ大ごとになってきたと、今更ながらに実感したスーランは、渇いた喉を潤すように、ごくりと唾を飲み込んだ。
促されるまま宰相のあとに着いていくアルツィとエルゼンの表情は、珍しく強ばっていた。一世一代の幕開けを前に、緊張しているのだろう。
それは、スーランも同じだ。
必死に笑みを浮かべようとするけれど、周囲の様子に気が散ってしょうがない。
吹き抜けの大広間を抜け、謁見の間へと続く長い回廊を渡るスーランたちに好奇な視線が突き刺さる。
小間使いたちの視線は密やかで、盗み見るような感じではあったが、貴族たちは遠慮がない。目を細め、スーランを舐めるように見つめる。まるで、品定めするかのように。
「ほら、あの子が……」
「二人目の王女様ですって」
「なんだ、ただの小汚い娘じゃないか」
「フォーラント家のご子息様も見る目がありませんわね」
「いくら色が同じとはいえ、アレでは、のぅ……」
口元を扇で隠しながら、遠巻きに眺める貴族たちが、ひそひそと囁きあっていた。
「ほら、この頃、副宰相殿が幅を利かせておるだろ。内心、焦っているのでは?」
「だからって、アレはありませんわ。いくらドレスをまとって外見を繕うと、優美さの欠片もありはしないでないの」
スーランの貼り付けた笑みが、一瞬引きつった。
この日のためにアルツィが服を新調してくれたのだ。
貴族御用達の服飾店は、突然現れたアルツィの依頼にも難なく答えてくれた。時間がなく、オーダーメイドではなく、既成品の中からサイズを直しただけだが、スーランはこのドレスが気に入っていた。
湖畔の透き通った青を思い起こさせる色のドレスは、長い裾で躓きそうになるスーランのために少し短くしてある。袖と裾を繊細なレースで縁取り、腰と胸元には大きなリボン。全体的に可愛らしく仕上がっているが、年頃の娘が着るには丈が短いせいで、子供っぽい印象を与えるらしい。
エルゼンは正装を、と苦言を呈したが、公の場で転ぶよりは、というアルツィの言葉に否は唱えなかった。
野山を駆け回るのが好きなスーランにとって、裾が長いスカートは履きなれなかった。どれだけ練習しようと、足にまとわりつくヒダをさばききれず巻き込んだり、高い踵の靴で裾を踏んで転びそうになることが多々あった。
国王陛下の前でつまずくことほど無様なことはない。
見た目よりも所作をとったアルツィをだれも責められないだろう。
「歩き方を見まして? 猪の荒々しさだこと!」
「男のような粗野な歩き方ですわね、品のない」
「ああ、早く、屋敷へ戻って、身を清めませんと」
「田舎者の臭いがまとわりつくようですわ」
男よりも、同姓の方が辛辣だ。
下賤の臭いだと貶める声は、あちこちから上がった。
思わず、革の長靴で床を蹴りそうになったのを必死に堪えた。ここで醜態をさらしては、アルツィに顔向けができない。
(……っ、ちゃんと綺麗に体洗ってるし! 香水臭いあんたたちより、よっぽどマシだ)
顔をしかめたいのはこっちの方だ。
高貴な香り、と人は呼ぶのかもしれないが、様々な香りが集まれば、混じり合って強すぎる毒へと変わる。慣れていないスーランにとっては、強烈な匂いに、鼻が曲がりそうだった。
(ああ、土の匂いや緑の匂いが恋しい)
「大丈夫?」
スーランが気分を害していることに気づいたのか、アルツィが小声で訊いてきた。
スーランは、従者のように付き従う彼の顔を振り返って見ることなく、真っ直ぐ視線を前へやったまま答える。
「こんなかじゃわたしはよそ者だし。……ま、こんな反応覚悟の上だけど、やっぱり言われたままっていうのは腹立つね」
「心ない者もいるからね。……それに、彼らは喚いているだけで大したことはないよ。有力者におもねってしっぽを振るだけだからね。もし、父上が優勢だったなら、君のことを褒めちぎっただろうね」
耳朶をくすぐる優しい声音。
不思議と彼の声に耳を傾けると、周囲の雑音も気にならなくなった。
「だって、こんなにも可憐なのに。野薔薇のように美しく咲き誇る君を見て、心を動かさないなくて目が曇っているしかないね。あの村でも、輝いていたけれど、今の君は、凛然と立ち向かう姿が、暁の女神のように神気をまとって見えるよ」
「……もうっ、だから褒めすぎだって。恥ずかしい台詞、禁止!」
照れを隠すように、つんけんと突き放すスーランに、アルツィがくすりと笑みを零す。
余裕を感じさせる笑い方に、スーランは、むぅっと唇を尖らせそうになった。
(たった三つしか違わないクセに。……でも、おかげで緊張がちょっとほぐれたかも)
アルツィに軽口を叩いたことで、顔の筋肉もほどよく緩んだ。気合いを入れ直したスーランは、口の端をゆるく持ち上げると、愛らしい笑みを作った。
「──さ、こちらへ」
宰相が、重厚な黄金の扉の前へスーランを立たせた。
ようやく謁見の間へとたどり着いたのだ。
明かり取りの窓から穏やかな陽射しが、磨かれた床に反射して奥まで照らしていたが、漂う空気は重々しく、冗談など口にできない雰囲気であった。
扉の両端で直立する、武器を持った重装備の兵士たち。
笑みもなく、無表情で佇む彼らは、スーランに視線すら寄越さなかった。
「くれぐれも失礼のないようにな」
真剣な面持ちでそう念を押す宰相は、スーランがわかってるとばかりに頷いても、まだ気がかりそうであった。礼儀作法なんて付け焼き刃なスーランが、国王に粗相をしないか心配なのだろう。
しばらくスーランを眺めた彼は、腹をくくったように嘆息すると、扉を開けるよう命じた。
黄金の扉が、ゆっくりと両側に開いていく。
息を殺して見守っていたスーランは、一瞬、中から漏れる光の渦に目を瞑った。先ほどの、陽光とは違う目映さは、目を突き刺すかのようだった。
瞼の裏に光を感じながら、そろりと目を開くと、白金色に包まれた豪奢な空間が広がっていた。
大きな窓から陽射しが燦々と差し込み、大理石の床や壁を美しく照らしていた。高い天井から下がるシャンデリアをはじめ、いたるところに黄金と宝石をちりばめた、贅の限りを尽くした謁見の間は、権力と財力を誇示しているかのようだった。
あまりの煌びやかさに動けないでいると、後ろにいたアルツィがすかさず手を差し伸べた。
「スーラン、このまま真っ直ぐ。いいね?」
「ぁ……うん」
ハッと我に返ったスーランの手を優雅に取ると、そのまま中央に敷かれた赤い絨毯を先導するように歩いていった。
とたん、周囲から感嘆としたため息が漏れた。
「あれは、宰相殿のご子息か……」
「なんと凛々しい。あんなご子息をもって、彼も鼻が高いだろうな」
「新しい王女も初々しいではないか」
政治の中枢を担う廷臣が、値踏みをするように二人を見つめていた。
正装に身を包んだ彼らは、左右の壁に沿うように置かれた長いすに腰掛け、ときおり国王の反応を窺うように視線を投げつけていた。
その中央の階段を数段あがった場所に、玉座があった。
廷臣を見下ろせる玉座に座す国王は、肘に腕を乗せ、寛いだ様子を見せていた。毛皮の裏地がついた天鵞絨のマントを羽織り、房飾りのついた帽子を頭に乗せた姿は、さすがに堂々としており、王族らしい気品と威厳があった。
怠惰で不摂生な生活を送っているから、もっと太った男性を想像していたスーランは、国王が中肉中背であることにまず驚いた。太い眉に、二重の切れ長の目。唇は薄く、鼻筋も通って美丈夫なのだろうが、不健康そうな青白い肌のせいですべてが台無しであった。
「陛下、この娘が先日お伝えいたしました第二の王女でございます。私の息子──アルツィが、ふらりと立ち寄った村で目に留めたしだいで。聞けば、養い親を早くに亡くし、彼らの親類の元に預けられていたと。もちろん、オルビアーナ王女の出自を疑っているわけではありませんが、このような稀な容姿に加え、年頃もちょうど同じですから、陛下のご判断を仰ごうと思いまして」
右手を心臓にあて、片膝をつき、すっと頭を下げた宰相は、アルツィが作り上げた話をもっともらしく語った。
もちろん、嘘の中にも真実が織り込まれていないと真に迫ったように聞こえない。
今のスーランは、実の両親が養い親ということになっている。
それ以外は同じなので、それほど繕う必要もないだろう。
宰相の息子であるアルツィが捜し出したという事実は、やはり寄せる信頼が大きいようで、下手な詮索を免れているようだ。だからこそスーランは二人目の王女として国王に拝謁することができたのだろう。
「して、そなたの名は?」
スーランとは違う、碧い目を弓なりに細め、ふわぁっと欠伸をした国王は、二人目の王女のことなど興味なさげであった。
おざなりに訊いてくる国王に、スーランの口元が引きつりそうになる。
けれど、アルツィが安心させるように手をぎゅっと握った。
(アルツィ……)
気分を落ち着けたスーランは、空いた方の手で裾を少し持ち上げると、教えられたとおりに腰を落として頭を下げた。
「スーランと申します、国王陛下」
「ふむ、どう思う? ドゥオーラ」
国王は傍らに立つターザック・ドゥオーラ副宰相に振った。
国王よりもひょろりとした体躯の男であった。白髪が目立ちはじめた薄い髪の毛を七三で分け、金の鎖がついた眼鏡をかけていた。六十二歳を迎えたというが、穏やかそうな顔つきの中でも目つきの鋭さは衰えを知らないようだ。
だが、貼り付けたような笑みの下では、その狡猾そうな双眸も隠されてしまうようだった。
「黄金の髪に紫の目……確かに、さらわれた王女様の面影は宿しておりますが……」
まじまじとスーランを見つめた副宰相は、小さく首を振った。
答えを口にするのを逡巡する副宰相に、片眉を上げた国王が先を促した。
「申し上げにくいのですが、王族の方々は、生まれながらにしてその身に高貴な光を宿しておいでです。けれどあの娘からは、欠片ほども品性を感じられない。いや、市井で育ったことを差し引いても、血統のよさが微塵も感じないように思います」
柔らかな口調とは正反対に、スーランを見る視線にはどこか棘があった。穏やかに目を細め表面上は友好的に取りつくろっても、瞳の奥に根付いた感情は消すことはできない。
(あれが副宰相、か)
最初にオルビアーナ王女を見つけ、宮殿に連れてきた人物である。
元は地方の役人だったらしいが、その才覚が認められ取り立てられたらしい。労働階級からの異例の出世だけあって、その経歴は貴族議員と比べると華はないが、四十年あまりの歳月をかけて副宰相の地位にまで登りつめた手腕はだれも真似ができないだろう。
もし、フォーラント宰相がいなければ次期宰相と目されていただけに、副宰相という地位に甘んじていることを快く思っていないらしいが、オルビアーナの一件で風向きが変わったようだ。
王家の力を駆使しても、足取りさえ掴めなかった王女の行方が、副宰相によって判明したのだ。孤児院で人目をはばかるように過ごしていたオルビアーナを独自の情報網で見つけ出した副宰相は、国王の信頼を勝ち取ったようだった。
副宰相より長く仕えている宰相を差し置いて、今では国政の実権を掌中に収め、権力を思うがまま振るっているという。
現に、玉座の一番近い場所に立っているのがいい証拠。
自分の上役であるはずの宰相を勝ち誇ったように見下ろしていた。もとより有能と誉れ高い人物だけに、このまま寵臣で居続ければ、フォーラント宰相を罷免して宰相となる日も近いだろう。
けれど、どんなに優秀でも、欲に駆られれば堕落する。
不相応な野心を抱き、国の荒廃から目を逸らした副宰相に、上に立つ資格などありはしない。
それだけは、なんとしてでも阻止しなければ、と心に誓ったそのとき。
重厚な扉が再び開かれた。
「お父様──……っ!」
広々とした謁見の間に、軽やかな声が響き渡った。
鈴を鳴らしたような高めの声は、真っ直ぐスーランたちの耳に届いた。
「ごめんなさい。お行儀が悪いのだと思ったのだけれど、わたくしのほかに王女候補者がいるのだと聞いて、いてもたってもいられなく……」
愁いを帯びた声で謝られれば、だれも否と言えないだろう、そんな不思議な魅力に満ちていた。
彼女の突然の登場で、副宰相とスーランたちの間で、目に見えない火花が散っていたのが嘘のように、和やかな空気が流れ始めた。
「おお、我が天使! ささ、こちらへ来なさい」
気だるげに背もたれに背を預けていた国王は、身を乗り出すと表情を明るくさせた。青白い肌に、うっすらと血の気が通う。
眠たげだった双眸を嬉しそうに細め、興奮したように声を上げる姿は、国王というより一人の父親であった。
スーランの右横を煌びやかなドレスをまとった娘が通り過ぎていく。そのとき、ふわっとみずみずしい花の香りが鼻をかすめた。香水だろうか。若い娘らしい、気品ただよう香りをまとっていた。
娘の横顔を見つめたスーランは、思わず目が釘づけとなった。
(うわっ、綺麗……)
彼女は、同性のスーランでさえハッと目を奪われるほど美しかった。
ほっそりとした華奢な肢体が、真珠をあしらった薔薇色のドレスに包まれていた。身長は彼女のほうが頭半分ほど高い。
玉座へと駆け上る彼女の背には、まるで羽が生えているかのように軽やかな足取りであった。靴を鳴らすことなく、優雅に階段を上っていく様子は、とても優雅だ。
目尻を下げ、飛び込んでくる娘を抱きしめた国王は、本当に目に入れても痛くないほど溺愛しているようで、笑みを絶やすことはなかった。
ひとしきり熱い抱擁を国王とすませた娘は、思い出したようにスーランに顔を向けた。
繊細に編み込まれた黄金の髪に、しなやかな曲線を描く柳眉。熟した実のように赤い唇は小さく、頬には赤みが差していた。無邪気な中にも年頃の艶めいた雰囲気を併せ持つ、独特の雰囲気があった。
スーランを捕らえた涼やかな紫の双眸が、水晶のようにきらきらと輝く。
「はじめまして、第二の王女様。わたくしは、オルビアーナと申します」
裾を軽く摘んでお辞儀をした娘は、にっこりと微笑んだ。
ほぅっとため息があちこちから聞こえてくるようだった。
婉然と笑む姿は、堂々としており、国王と並んでも遜色のない気品があった。
(確かに、敵わないはずよね……)
オルビアーナという人物を実際に目にしてはじめて、きっちりと礼儀作法を学ばせなかったアルツィの気持ちがわかった気がした。たった七日くらいでは、彼女の足元にも及ばない。下手に習った分、歴然とした差が浮き彫りになって恥を掻くのはスーランのほう。
たった一年で身につくものだろうか?
彼女が、孤児院で育ったと聞かなかったら、普通に王女だと思っただろう。
「仲良く、してくださいませね」
国王の腕に甘えるように抱きついたオルビアーナは、愛らしく小首を傾げた。
スーランに対する敵意はないようだが、油断はできない。
なにしろ、黒幕は副宰相とはいえ、国が傾く元凶となったのは彼女なのだから。
「──ええ、もちろん」
どう見ても優位に立っているのは彼女のほうだ。
オルビアーナから国王を奪うのは、容易ではないだろう。
すでにスーランの存在を忘れたように、オルビアーナの機嫌をうかがっている国王から副宰相へと視線をずらした。
第二の王女を前にしても、彼は何者も畏れていないようだった。
オルビアーナこそが本物の王女であると信じて疑っていないからだろうか。
張りついた笑みに、どこか薄ら寒くなる。その皮を剥がせば、きっと獰猛な牙が現れるに違いない。
だが、スーランは、その牙が食いこもうと怯むつもりはなかった。
(だって、わたしは一人じゃない。アルツィとエルゼンがいる)
指先から伝わる温もりと、後ろから見守るような強い視線が、スーランに力を与えてくれる。
だから、大丈夫、と言い聞かせるように胸の内で繰り返したスーランは、不敵な笑みを副宰相へと投げつけた。




