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その2

 ガナスを治療したのは、あの飄々としたエルゼンだった。エルゼンの家は、代々医師を多く輩出してきたらしく、彼自身も幼い頃から医師となるべく教育を受けていたようだ。しかし、本人は敷かれた道を進むのが嫌で、騎士となったらしいだが。


 エルゼンは、腕の裂傷を綺麗に縫合していった。その手つきは手慣れていて、初めてとは思えない鮮やかさだった。

 薬師に血の気を戻す薬を調合してもらい、それを意識が混濁しているガナスに無理やり飲ます。

 あとは、彼自身の体力が持つかどうかであったが、高熱と痛みにうなされていたガナスも一日経てば容体が回復した。切断せずにすんだことは奇跡だ。

 骨がくっつき、皮膚が再生するまで、一ヶ月以上は安静にしていなければならないようだが、顔色のよくなったガナスを見たスーランは胸をなで下ろした。


(アルツィは、約束を守ってくれた。今度は、わたしが約束を守る番だ)




 意を決したスーランは、叔母夫婦にしばらくの間、アルツィたちと旅をすることを告げた。


「なんだい、いきなり!」


 あまりにも突然な報告に、目を丸くした叔母は、「ダメダメ」と首を振った。


「まだ成人もしてない子供が、長旅なんて…。しかも、腕に自信はあるっていっても、あんたは女の子なんだよ。いくら身なりがよさそうだっていっても、年頃の娘が、男二人の中に混じって旅をするなんて……」

「そうだぞ、スーラン。そんな危険なこと、承知できるわけないだろ。……こんなこと言いたくないが、あの二人が人身売買の商人だったらどうする。かわいいお前が、どこぞのじいさんにでも売り飛ばされてみろ。俺は、義姉さんたちにどう詫びればいい!」

「叔母さん、叔父さん……」


 二人共、スーランを愛しているからこそ、厳しい言葉をかけてくるのだ。

 それが嬉しくて、少しばかりにやけそうになったスーランは、慌てて顔を引き締めた。


「言いたいことは重々わかってるよ。でも、決めたんだ。わたしにしかできないことがあるなら、手を貸してあげたい。だって、エルゼンは、ガナスを助けてくれた。命を救ってくれた恩人なんだよ。エルゼンがいなかったら、ガナスの命はなかったでしょ? だからわたしは、エルゼンに感謝してるの。エルゼンが、田舎娘が必要だっていうなら、喜んでなんでもするよ」

「スーラン……」


 叔母夫婦の瞳が揺らいだ。

 スーランにとって、ガナスがどんな存在かよくわかっているのだろう。

 もうひと押しだと感じたスーランは、さらに畳み掛けた。


「叔父さんだって、困っている人がいたら手を差し伸べるでしょ? わたしは、見捨てる人になりたくない。だって、わたしは、叔父さんのような守人になるのが目標なんだから」


 仁義を重んじる守人の叔父にとっては痛いところを突かれたのだろう。

 うっと言葉に詰まったあと、深々と溜め息を吐いた。


「いいか? なにか怪しい雰囲気を感じたら、すぐに逃げるんだぞ? 男はみんな狼と思え。絶対に、二人きりになってはいかん」

「そうだよ、スーラン。ああ、あんたを外へやるなんて心配だよ……。用事を済ませたら、すぐに帰ってくるんだよ? 夜更けだって構いやしないよ。扉を叩いてくれたら、すぐに起きて、あんたを抱きしめてあげるからね」

「うん……うん、ありがとう、二人共」


 本当の親のように育ててくれた叔母夫婦には、感謝しかない。

 だからこそ、胸が少しばかり痛んだ。


(ごめんね、本当のこと言えなくて……)


 巻き込むわけにはいかない。

 事情を知らなければ、刑に処されることはないだろう。

 だからこそ、スーランは何も伝えなかった。

 

 けれど、この判断が誤りだったと気づくのは、ずっとあとのことだった。

 




「ズゥゥラ゛ァァァーーーンッ」

「ちょっと、離してってば! すぐ帰ってくるからっ」


 叔母夫婦の了承を取り付けた翌朝には、出立となった。

 ガナスの目が覚めるまで村に留まっていたかったが、アルツィはそこまで待ってくれなかった。

 旅の準備もあったので、村の人達にも十分な挨拶ができないままだったが、スーランが旅に出るという話はあっという間に広がったらしい。

 エルゼンが用意した二頭の馬の周りに、村中の人たちが集まっていた。

 中でも、スーランをだれよりも慕ってくれたあの二人は、行くな、と泣きながら必死に引き留めてきた。彼らにはきっと、今生の別れのように思えたのだろう。

 犬の鼻が利くように、彼らはスーランの危険を素早く察知したのかもしれない。


「ちょっと、子分のクセに情けないわね! スーランに見せるなら、そんなぐちゃぐちゃの汚い顔じゃなくて、気持ち悪い笑顔にしなさいよっ。旅の見送りは、涙じゃ縁起が悪いんだからね」


 そう言って叱咤しているのは、スーランより年長の少女だった。

 

「スーラン、気をつけて行ってきてね! 無事に、帰ってきてね?」

「あのね、みんなでつんだの」

「チシャの葉だよ」

「いっぱい飲んでね。アタシたちのこと、思い出してね」


 わらわらと集まってきたのは、小さな子どもたちだった。

 差し出された麻袋の中には、チシャの葉がいっぱい入っていた。短時間でこんなに集めるのはとても苦労しただろう。

 擦り傷だらけの彼らの頭をちょっと乱暴に、けれど愛情たっぷりに撫でたスーランは、にっこりと笑った。


「ありがとう、大切に飲むね。傷薬は叔母さんにあずけてあるから、あとでもらって塗るのよ?」

「うん、スーランのおくすり、よくきくの」

「すぐいたくなくなるよ」

「そっか、よかった。戻ってきたら、またいっぱい作るからね」


 子供たちの番が終わると、大人たちが口々に「いってらっしゃい」と旅の無事を祈る言葉をかけた。


「もう、みんな大げさなんだから。ちょっといなくなるだけだよ?」

「そのちょっとが大事なんだ。コイツラの面倒をだれが見る?」

「スーランがいなきゃ、まとまんないさ」

「ほら、干し芋だ。おまえさん、好きだろ?」

「ほかに必要なものはない?」

「ずいぶんと軽装だな。野宿することも考えてもっといろいろ……」

「ちょっと先の大きな町まで行ったら、馬車に乗り換えるそうだから大丈夫だって」


 スーランはおかしそうに言った。

 両腕は村の人達からの贈り物でいっぱいだった。

 

(ああ、やっぱり、大好きだな)


 この村が、この村の人達が大好きだった。

 彼らは、よそ者だった自分を受け入れてくれた。

 守人の真似事をしたときも最初は呆れられたが、いつしか認めてくれたのだ。両親をいっぺんに亡くして壊れかけていた心を癒やしてくれたのは、彼らの存在があったからこそだ。

 だからこそ、無事に役目を終えて戻ってきたいと思えるのかもしれない。


「スーラン、そろそろ」


 途切れない人の輪にしびれを切らしたのか、アルツィが声をかけてきた。


「あ、うん、わかった。じゃあ、みんな、そろそろ行くね」


 さざっと開いた道からアルツィが王子様のように現れると、年頃の娘たちから黄色い悲鳴が上がった。

 それに構わずスーランの腕の中から贈り物をすばやく選別したアルツィは、不要なものを叔母に渡し、必要な物を荷袋へと詰めた。


「では、お姫様、お手をどうぞ」

「いらないよ」


 馬に乗るからと男物の下履き姿のスーランは、差し出してきたエルゼンの手を断るとひらりと跳躍して馬にまたがった。


「これは、驚いた」

「ほんとはね、一人でも乗れるんだ」


 田舎娘には乗れないと思っていたのだろう。

 アルツィとエルゼンが、感心したように笑みを零した。


「昔、教えてもらったんだ、乗り方を」

「それは大変興味深いお話だ。だれに教わったんだい?」

「へへっ。内緒」


 師匠の顔を思い浮かべたスーランは、気分良さそうに笑った。


「それは、気になるなぁ」


 スーランを抱き込むように馬にまたがったエルゼンは、アルツィも準備できているのを確認すると、手綱を引いた。


「行くぞ」

「了解~」


 馬が荒れ野を駆けていく。

 村はあっという間に見えなくなった。


(ちゃんと戻ってくるから)


 いってらっしゃい、という声がいつまでも耳に残っていた。






 スーランは馬車から外の景色を眺めていた。どこまでも続く林道は、うっすらと霧が掛かり、幻想めいて見えた。


「──退屈?」


 ふいに向かいに座っていたアルツィが声を掛けてきた。その隣では、護衛する立場だというのに呑気に寝ているエルゼンの姿があった。

 もうすぐ王都に着くということもあり、二人とも失礼のないよう正装に身を包んでいた。特にアルツィは、宰相の子息ということあり、貴族らしい上等な服に袖を通していた。銀色の長い髪を胸元で緩く結び、羽根飾りのある帽子を被った姿は遠くから眺めても優雅に映るだろう。だれもが見惚れてしまうような華が彼にはあった。

 彼が単なる貴族の坊ちゃんではなく、この国で二番目に偉い宰相の息子だと聞かされたときはさすがに驚いた。だが、上流貴族らしい脳天気さと、一般生活における常識の欠落ぶりを見ていると、納得できるところが多い。

 多分、こんなことがなかったら、一生縁のなかった人種だろう。


「つかの間の休息ってね」


 スーランは皮肉った。

 王宮でどのようなことが待ち受けているのか、のびのびとした村で育ったスーランには思いもつかなかったが、決して楽ではないはず。

 村を出てから早十日。

 スーランは、アルツィとエルゼンから令嬢としての教育を受けていた。

 もっとも、市井で育ったという姫君に、そこまでの気品に満ちた振る舞いは期待していないらしく、最低限の礼儀を教えてもらっただけだが。


「もう一人の王女様と戦うんでしょ。──簡単じゃないよ」

「君に賭けてみたいんだ。前にも言ったけれど、君には不思議な力がある。人を魅了してしまう、ね。雰囲気があるというのかな。俺でさえ、目が離せなくなくってしまうことがあるからね。ただ単に王女に似ているだけならば、俺も無理強いはしなかった。君のその、どんな人でも思いやる優しさと、太陽のような明るさは、きっと今の王宮にはないものだ。どうか、君が生み出す清らかな光で、王宮の闇を取り除いて欲しい」

「ぁあ~~っもぅ、なんだってあんたはそんなにわたしを買いかぶるかな」


 恥ずかしそうに頬をかいたスーランは、次の瞬間、瞳をきらりと光らせた。


「けど、いいよ。もう腹はくくったし。偽物の王女役なんてさ、ほんとだったらやりたくないし、関わりたいとも思わない。だけど、わたしは約束を違えないよ。ガナスのことは本当に感謝してるし、……それに、あんたの国を想う気持ちは十分わかったから」


 アルツィたちと過ごして、彼がどんなにこの国の行く末を案じているのか知ったのだ。

 ほかにも、わかったことがある。

 村で安穏とした生活を送っていたスーランは気づかなかったが、ほかの村の町では貧困にあえいでいる者たちが多いということに。

 精彩を欠いた村や町に住む者たちの表情は暗く、常に何かに怯えているようだった。どこでも高慢な顔をした役人が幅を利かし、逆らう者がいれば直ちに捕らえ、自分の鬱憤が溜まれば、手近にいた者に当たり散らしていた。暴力を振るうなんて、日常茶飯事だ。

 秩序を重んじるアドラン村ではあり得ない光景だったろう。

 そんなことをすれば、守人から領主の耳に入り、役人は処罰を受けることになる。


 しかし、守人がいるほかの村では、守人は権力者におもねって、不正や悪事を金と引き替えに見逃し、甘い汁をすするだけの存在だった。

 そこに、正義はない。

 あるのは、腐敗だけだ。叔父が知ったら、どう思うだろう。


(悪がまかり通る世の中なんて、そんなことあっていいはずない)


 叔父譲りの正義感を掲げるスーランにとって、それはなによりも許せなかった。

 偽の王女は確かに犯罪だが、悪者がのさばる世の中にするより、ずっと正しい。

 アルツィもスーランと同じ思いを抱いたからこそ、腐りきった現状を打開しようと大勝負を仕掛けたのだろう。


「わたしがどこまでやれるかわからないし、わたしがいることでどう転ぶか想像なんてできないけど、精一杯演じてみせるよ」

「──いや」


 アルツィは、ゆるりと首を振った。


「君には、そのままでいて欲しい」

「へ?」


 出鼻をくじかれたスーランは、気合いの入っていた肩の力を抜いた。


「村にいたときのように生き生きと──何事にも囚われないで生活を送って欲しいんだ」

「それっていいの? だって王女なんでしょ。表面上だけでもお淑やかにしてなきゃいけないんじゃ……」

「それはもう一人の王女がやっているからね。君がならっても、彼女にはどうしても劣ってしまう。それならいっそう、市井で育ったという設定なら、それらしく振る舞って新鮮な空気を送るのもまた新しい手じゃないかな。君は何も気負うことなく、普段通り過ごしてくれればいい。君の姫君らしからぬ行動が、きっと陛下の琴線に触れ、目も覚めると俺は信じているから。それに、俺の計画は信用のおける者たちに話してある。君の危機には、俺をはじめ、複数の者が必ず手を差し伸べるだろう。だから安心して過ごして欲しい」


 冷たく見えがちな切れ長の双眸が、スーランを真っ直ぐ射る。

 その真剣さに、スーランの胸がどきっとした。


(そういう顔もできるんだ……)


 線が細いせいか頼りなく見えるが、今の彼は甘やかされて育ったご子息というより、姫君に忠誠を誓う騎士のような凛々しさがあった。

 なんとなく落ち着かない気持ちになって、視線を窓の外へと移した。喋っている間に林道を抜けたらしい。高い城壁に囲まれたその頂上に、荘厳な白亜の城が見えてきた。

 もうすぐ王都に着くのだ。

 とくん、と心臓が鼓動を打つ。

 緊張というより、まだ見ぬ世界への好奇心だった。


「……やってやろうじゃないの」


 小さく呟いたスーランは、紫の双眸に赤い花びらを散らした。




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