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第二章   偽りの王女


(ああっ、イライラする。これもみんなあいつらのせいだっ)


 なにがいい返事だ。

 胸糞が悪い。

 こんなことになるなら助けなければよかったと思っても、もう遅い。

 スーランの目の前には、茨へと続く道が敷かれてしまっているのだから。

 けれど、その道は、あまりに険しすぎる。

 おいそれと進むことなどできないのだ。


(汝、清廉なれ、汝、正しくあれ、汝、弱者の味方となれ……。これが、守人としての心得なのにっ)


 守人たる叔父の経歴に傷をつけるわけにはいかない。これまで育ててもらった恩を忘れ、泥を塗る真似などできるわけがないのだ。


(どうすればいいのよ、もう……っ)


「スーラン、どうしたんだい? 元気がないね」


 食が進んでないのに気づいた叔母が、片付けをしていた手を止めて、スーランの額に手を当てた。


「んー、熱はないようだね」

「具合が悪いわけじゃないよ。ただ、ちょっと、夢見が悪かっただけだから、心配しないで」

「そうかい?」


 叔母は心配そうに眉を寄せたが、それ以上口を挟むことはせず、食器を洗いに裏にある井戸へ行ってしまった。

 スーランの性格をよくわかっているのだろう。深くは追及しない叔母に感謝した。

 人気がなくなったことでほっとしたスーランは、いつもよりゆっくりと時間をかけて朝食を摂り終えた。あの二人に会うことへの憂鬱を感じならがチシャ茶を飲んでいると、悲鳴が響き渡った。


「た、大変よぉぉぉ、スーランっっっ!」


 驚いたスーランが外に飛び出すと、そこにいたのは、スーランと同じ年くらいの少女であった。


「……っ、朝っぱっからなに!?」


 家も近いせいか村の中でも特に仲が良く、笑ったときにできるえくぼが可愛らしい少女だ。

 そそっかしいのが玉に瑕だが、今日の彼女はいつにも増して落ち着きがなかった。


「とにかく、大変なのよ。いい? 動転しちゃダメよ」

「だから、なにに?」


 不思議そうな顔をしているスーランを見つめた彼女は、眉を悲しげに落とすと、唇をわずかに震わせた。


「あんたの……子分の一人が、崖から落ちたって……」


 スーランは、言葉を失った。

 子分というのは、悪人面の三人のことだろう。


「あっちはすごい騒ぎだよ。カザックさんたちが崖から引き上げたんだけど、血がいっぱい出て危険な状態だって……」


 カザックというのは、叔父のことだ。

 朝早くからいないのはいつものことだったので、気にしていなかったが、まさかそんな事件があったとは。叔母もまだ知らないのだろう。でなかったら、スーランに伝えているはずだ。

 叔母に外へ出てくる旨を告げると、少女の後を追いかけた。


(どうして崖なんか……)


 めったに村の人は森に近寄らない。

 奥へ進めば進むほど危険に満ちているからだ。道しるべでもある獣道をちょっとでも逸れれば、足場は不安定で転落する可能性は高い。

 もう幾人もの村人がそこで命を落としたという。

 死の森として密かに敬遠されている場所に、好んで入り込む人なんていないだろう。


「叔父さん!」

「おお、スーランか」


 人だかりの中に叔父の姿があった。

 守人らしく、背が高く、がたいもよいが、今日は守人の証である首飾りをつけていなかった。それだけ急いでいたということだろうか。

 日に焼けた顔が、酷く強ばり、太い眉の下にある鋭い目が、辛そうな光を称えていた。

 きゅっと心臓が嫌な音を立てる。叔父がこういう表情をしているということは、よほど状態が悪いのだろう。

 恐る恐る近寄ったスーランは、視線を下へと向け、ひゅっと息を呑んだ。


「ガ、ナス……」


 スーランは呆然と呟いた。

 血まみれで倒れているのは、三人の中でも最も強面の男であった。

 喧嘩をふっかけるのはいつも彼のせいか、三人の中では一番のワルだと見なされているようだが、実際は仲間同士の喧嘩の際には仲裁することが多い。


「村の医師では、手には負えん。近隣の医師に頼るしかないが……」


 叔父は言いにくそうに語尾を濁した。往復している間に、息絶えているかもしれない、と。 

 村の医師には、薬学の知識はあっても、こういう大きな怪我を治療することはできない。

 せいぜい、傷口が化膿して、壊死しないよう切り落とすことしかできないのだ。


「だからって……!」


 スーランは悔しそうに唇を噛んで、続く言葉を呑み込んだ。

 叔父に当たっても仕方ないのだ。

 ガナスの横に膝を突いたスーランは、苦しげに呻く彼を沈痛な面持ちで見つめた。

 額に巻かれた包帯は血が滲み、右腕と右足には添え木がしてあった。骨を折ったのだろう。けれど、それより酷いのは、左腕の裂傷であった。落ちたときに、石か枝に当たったのか、手首から肘まで深くえぐれていた。

 これではスーラン特製の軟膏を塗っても傷口を塞ぐことはできない。水たまりのように広がっていく血だまりをただ見ているしかできなかった。


(ガナス……ガナス、お願いだから死なないで……っ。もう、あんたが悪さをしても怒らないから、だからまた元気な姿を見せてよ)


 どんなに冷たくしても、めげずに慕ってくれる彼のことが本当は大好きだった。

 叔父を手伝っている手前、そう甘い顔を見せることはできなかったが、いつも目はかけていたのだ。馬鹿な子ほど可愛いというが、その通りかもしれない。

 そこへ、ほかの二人が姿を見せた。彼らも怪我をしたのか、腕や足に包帯を巻いていた。


「──ご、ごめん、スーラン……」

「ごめんな……」

 彼らは、スーランの悲しげな様子に気づくと肩を落として謝った。

「なにが遭ったの? どうして、こんな……」

「そ、それは……」


 二人は互いに顔を見合わせると、言いづらそうに押し黙った。

 それに対して、スーランが眉をつり上げた。


「ちゃんと答えて! また悪さでもしてたの!?」

「ち、ちがっ」

「オレたちはただ……」

「ただ、なによ!」


 急かすように言葉尻を強めた。

 怒っているスーランをちらちらと気まずそうに見た無精髭の男が、ぽつりと呟いた。


「スーランを喜ばしたかったんだ……」

「えっ」


 スーランは、彼らの口から自分の名が出てきたことに耳を疑った。


「森には、スーランが好きな花があるだろ」

「オレたち、昨日ずいぶんと迷惑かけたし……」

「だから、ガナスと三人で探しに行ったんだ。スーランの喜ぶ顔が見たくて……。けど、足場が薄暗くて、アッて気づいたときゃ、ガナスの体が真っ暗な底へと落ちていって」

「オレたちが慌てて駆け下りたときには、ガナスの意識がなくて……っ」


 顔色を青ざめさせたスーランは、震える手をぎゅっと握りしめた。


「バカッ! わたしのために……なんでっ。そんなの、ちっとも嬉しくないよっ」

「スーラン……」


 見守っていた叔父がスーランの小刻みに震える肩を抱いた。


「お前たちは、少し休みなさい。寝ていないんだろ。ここは、俺たちに任せて」


 スーランの顔色を窺っていた二人は、悄然たる姿で素直に従った。ここで反抗して、スーランの機嫌をますます損ねたくなかったのだろう。


「スーラン、今の態度はよくないぞ。あいつらなりに、考えての行動だったんだろ。そう責めてやるな。今、だれよりも辛いのは、仲間を助けることができなかったあの二人。お前にまで冷たくされたら、」

「わかって、るよっ」


 淡々と諭す叔父の言葉を途中で遮った。

 彼らを傷つけるつもりはなかった。

 スーランのために、という気持ちは、とても嬉しかった。

 けれど、そのせいでガナスが死ぬかと思うと、胸がすぅっと冷えた。


(わたしがあんなに怒ったから……だからガナスが……)


「はぁ、スーラン。悩んでも悔やんでも、すべては過ぎたことだ」

「でも……」

「今回のことは、お前の責ではない。ガナス自身の不注意が招いた結果だ。お前が気に病むな。いいな」

「叔父さん……」

「お前はニーチェのそばにいろ」


 辛そうに顔を歪めるスーランに、叔父はそう告げた。


「けどっ」

「お前にできることはない」


 それは厳しい言葉であったが、事実でもあった。

 取り乱して、冷静を欠いているスーランがいても邪魔なだけだろう。


「スーランちゃん、わたしの馬鹿息子が悪いのよ。自業自得なんだから、気にしないでね」


 そう声を掛けてきたのは、ガナスの母であった。呼ばれて、慌てて家を飛び出してきたのだろう。寝間着に、厚手の外衣を羽織り、ぼさぼさの髪を雑にまとめたままの彼女は、泣いたのか、目を真っ赤にしたまま、朗らかに笑った。


「あなたのおかげで、ガナスが更生してきてね、感謝しているのよ。最近は、わたしの小言も聞くようになって……だからね、スーランちゃん。また、息子が元気になったらいっぱい叱ってやってね」


 二人と連むようになってから、さらに暴れるようになったガナスに、家族も手を焼いていたらしい。

 けれど、スーランがガナスの鼻っ柱を折って、しっかり躾けるようになってから、家族内の不和も徐々に解消されたようだ。意地っ張りで、恥ずかしがり屋のガナスは、まだ家族と正面から向き合うのは照れくさいようだが、母親はそんな彼を受け止められるようになっていた。


「おばちゃん……」


 スーランのために、辛そうな顔は笑顔の下に無理やり隠したらしいが、きつく握りしめられた手巾が、彼女の心情を表していた。

 気丈に振る舞う彼女に、スーランのほうが慰められてしまった。

 下唇を噛みしめたスーランは、ぺこりとお辞儀をすると、顔を俯けたまま、心配そうな友人たちの目を避けるように駆けだした。


(お師匠様、お師匠様……、わたし、ちょっとくらいの薬草の知識があってもなんの役にも立たないよ。武芸に秀でたって、傷を癒すことなんてできない……。どうしたらいいの? お師匠様、助けてよ……っ。心臓が、苦しい。ガナスを失いたくないんだよ)


 痛む心を取り除く方法もないまま、がむしゃらに走り回っていたスーランは、角を曲がったところで何かにぶつかった。


「うわっ」


 反動で後ろに倒れそうになったスーランを、伸ばされた手がなんなく引っ張り上げた。


「前をしっかり見ていないと危ないよ」

「……ありが…、っ、あんたは……」


 顔を上げたスーランは、表情を強ばらせた。

 そこにいたのは、昨日より地味な格好をしたアルツィであった。スーランの助言をしっかり取り入れたようだ。

 それでも彼の美貌が損なわれることなく、安物の生地でも輝いて見えるのは、貴族特有の高貴な品性が全身からにじみ出ているからだろうか。

 その隣には、昨日と同じ濃紺の外套に身を包んだエルゼンが、薄い笑みを浮かべながら立っていた。


「返事を聞きにきたんだけど、……どうやら、大変なことが起こっているらしいね」


 動揺するスーランを、目を眇めて見やったアルツィは、腰を屈め、スーランの耳に顔を近づけた。


「もし、君が引き受けてくれるのならば、君の大切な人の命を救ってあげる」

「──っ!?」


 スーランは、目を大きく見開いた。


(わたし、は……)


 叔父の輝かしい経歴に泥を塗るか、ガナスの命を取るか。


 それは、スーランにとって、かなり難しい選択だ。

 けれど、スーランに迷う時間など与えられなかった。

 一瞬、きつく目を瞑ったスーランは、大きく深呼吸をすると、アルツィを見つめた。


「わたしのこの判断が正しいかなんてわからない。でも、ガナスを救う手だてがあるなら、わたしは悪魔にだって魂を売ってやる」


 スーランの高らかな宣言に、片眉を上げたエルゼンが口笛を吹いた。


「…っ」


 スーランの目に射抜かれたアルツィは、瞬きをするのを忘れたように魅入っていた。

 強い意志を宿した双眸には、激しくも美しい炎の花びらが、赤く舞っていた。見た目のか弱さからは想像できない、どこか他者を圧するような雰囲気をまとったスーランは、毅然と言い放った。


「たとえ、この先にどんな運命が待ち受けていても、叔父さんや叔母さんを悲しませる結果になっても、わたしは後悔しないと誓う」


 まだ見ぬ恐ろしい未来より、スーランには目の前で失われようとしている命のほうが大事であった。


(ごめんね、叔父さん……。スゥは、犯罪者になるよ)


 そうと決めたからには、叔父と叔母には被害が及ばないようにしなければ。

 これはスーラン自身の罪。

 二人を巻き込むわけにはいかなかった。

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