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その二

 囚われている場所は、ローディアナから聞き出していた。

 スーランが囚われていたカナバス塔ではなく、凶悪な犯罪者を閉じこめておく監獄が、地下にある。 

 きっと、暴徒たちもここに囚われているのだろう。

 フェアロンは、西の端にある建物の最下層で、鎖に繋がれているという。

 松明の焚かれた建物の周囲は、厳重な態勢であった。

 スーランは気配を殺しながら、隙を突いて建物の内部へと入り込む。

 ひんやりとした薄暗い中は、どこか不気味だった。


「どうだ? 様子は」

「ああ、あの男なら寝ちまったようだ」

「そうか。なら俺たちもそろそろ交替するか」

「まったく、王女様をさらっておいて、ふてぶてしい男だよ。どんな拷問も顔色一つ変えず耐えやがる」


 そう言葉を交わす兵士のたちの声が遠くなっていく。


(ごう、もん……? まさか、そんな……)


 スーランは、彼らが出てきた方向に向かって駆けだした。

 そこには、地下に通じる階段があった。

 だれも立っていないことを確認したスーランは、足を忍ばせながら降りていく。

 中は真っ暗であった。

 物音一つしない空間は、スーランの心を不安に苛む。

 手探りに部屋を一つ一つ確認したスーランは、奥まで来てようやく足を止めた。


「お、ししょう、さま……?」


 明かり取りのわずかな光で見えるのは、両手と両足を鎖で繋がれ、頭を垂れている男の姿であった。

 スーランの心臓がぎゅっと掴まれた。

 ぴくりとも動かない男に、全身から血の気が引く。

 思わず格子を掴み、揺らそうとしたそのとき。


「馬鹿者。お前は師匠の顔もわからないのか?」

「へ……」


 ゆっくりと振り向いたスーランは、不満そうな顔で立っているフェアロンを見上げた。

 その足に枷はあるものの、不自由はしていないようだ。拷問を受けたというのはほかの人だったのだろうか。


「お師匠様……っ!」


 月明かりを受けて立つフェアロンは、贔屓目なしに格好良かった。どこか気だるげであったが、それがかえって色香を漂わせ、髪をかき上げる仕草ですら様になっていた。

 こんな状況だというのに、一瞬、目を奪われてしまったスーランは、首をぶんぶんと振ると、格子に近づいた。


「バカバカ、なんでいるの! お師匠様だったら、抜け出すの簡単じゃん。……やだよ、やだやだ。いなくならないでよ。ずっと一緒だって言ってくれたじゃん。ねっ、ここから出よ? わたしも一緒に行く! お師匠様と一緒がいいよ」

「スゥ、お前が何者か忘れたか? 投げ出すのは、愚かな王と同じだぞ」

「だって、だって……っ」

「スゥ」

「……っ」


 スーランの体がびくりと震えた。

 フェアロンは腕を伸ばすと、スーランの頭を撫でた。


「なぜ、お前を殺さなかったと思う?」

「お師匠様……?」

「馬鹿なお前は、これから殺されるのも知らず、私に笑いかけてきたんだ。無邪気すぎるその笑顔が、穢れた私には眩しくて……どうしてもこの手にかけることができなかった。笑えるだろ。それまで、どんな仕事であろうと完璧にこなしてきたというのに……。赤子ですらためらわず、この手で……。殺すことに躊躇なんて覚えなかったというのに、なぜだろうな。お前の笑顔は、私の凍っていた心を容易く溶かしてしまった。ずっと、お前の成長をそばで見守っていたと思ってしまったんだよ」

「……じゃあ、なんで母さんに?」

「宮廷へ戻せば、お前の命は再び狙われる。私ではないだれかの手で殺されるお前を見たくなかった。幸い、アレはお前が死んだと思いこんでいたし、このまま平穏にときが過ぎるはずだったんだ。──あの貴族のガキが来るまでな。私が気づいたときには、お前はすでにこの宮殿へと足を踏み入れてしまっていた。自分こそが真の王女であることを知らず、偽物の王女を演じながら。ああ、本当に。ヤツらを何度殺してやろうと思ったことか。お前はあの村で、平凡で…けれど幸せな毎日を過ごすはずだったのに」


 フェアロンがいろいろ教えてくれたのは、もしかしたらスーランが自分で身を守れるように、と考えてのことだったのだろうか?

 スーランが口を開こうとしたそのとき、階段のほうが騒がしくなった。


「スゥ、行け」

「でもっ」

「お前の出生の秘密を公言すると決めたときから、私は罪をあがなうと決めていた」

「お師匠様……」

「それが、私にできる償いだと。でも、なぜだろうな。お前が今でも私を慕ってくれる事実が、こんなにも嬉しいとは」

「お師匠様を嫌いになるわけないっ。わたし、お師匠様のこと大好きだもんっ。父さんと母さんと同じくらい……ううん、もっともっと好きなんだから!」


 スーランは顔をくしゃりと歪めた。

 そうしないと、涙が溢れそうだった。


「私もお前を愛しているよ。──私の最初で最後の愛しい子。さあ、もう行くんだ。お前は、留まってはいけない」


 フェアロンに促され、歩き出したスーランは、ふっと振り返った。


「絶対助けるから!」


 そう宣言したのだった。







 けれど、宣言を果たすことはついに叶わなかった。


 スーランの必死の願いも虚しく、フェアロンは、火あぶりの刑に処されたのだ。

 公開処刑でなかったことが唯一の救いかもしれない。

 スーランは、見に行かなかったが、王女誘拐を企てた実行犯の末路を見ようと、見物人たちでごった返したらしい。

 元副宰相のほうは、新たにローディアナ王妃暗殺未遂の罪状も加わった。国王による犯行だと思われていたのだが、オルビアーナを認めない王妃を邪魔に思った元副宰相が、王妃付きの侍女を脅して食事に毒を入れさせたらしい。

 まだほかにも余罪があるという見方が強く、裁判も長引くことになりそうで、刑が執行されるのは数ヶ月先だ。

 結果的に身分詐称の罪に問われることになったオルビアーナは、情状酌量で死刑こそ免れたが、一生を監獄の中で過ごすことになる。


(これが、わたしの求めていたもの……?)


 ふさぎ込むスーランに、周囲の人間も慮って、そっとしておいてくれるのが唯一の慰めだった。

 一人は寂しいが、考える時間を与えてくれる。

 フェアロンの死となかなか向き合うことができずにいるスーランは、食事にすらあまり手を付けることもなくなった。

 心配してくれるセリティンたちに申し訳なく思いながらも、ぼんやりと一日が過ぎるのを待つだけだった。


(アルツィの嘘つき……今回は、無理だったよ)


 死刑となったフェアロンとは違い、暴徒たちはすでに釈放されていた。歓声を上げていた彼らの明るい顔を思い出し、スーランの表情も緩むが、それも一瞬。すぐに悲しみに曇った。


「帰りたいな……」


 叔母さんと叔父さんがいる、あの温かで賑やかな村に戻りたい。

 叔母さんがスーランに不利な発言をしたのは、元副宰相に騙されていたからだという。スーランが姉の子であるという事実を証言すれば、王女の名を語っていたスーランの罪は晴れる、と。

 だからこそ必死に訴えていたのだろう。


(叔母さんもわたしを守ろうとしてくれてたんだね……)


 それがスーランには嬉しかった。


「──ここが、あなたの帰るところではないの?」


 ふいに聞こえた声。

 すっかり気が緩んでいたスーランは、寝所にローディアナが入ってきたことにも気づかなかった。

 実母に会ったというのに、スーランの表情が硬くなる。


「嫌われてしまったかしら」


 ローディアナは苦笑した。

 ハッと目を見開いたスーランは、気まずげに目を逸らすと、ごめんなさいと謝った。


「王妃様が悪いわけじゃないのに……。わたし、きっと今すっごく嫌な子だと思う。だれかを恨みたくてしょうがないの」

「そんなに憔悴して……。あの者が処刑されたのが、よほど堪えたのね。陛下も案じていらっしゃったわ。ふふ、あの方は、よほど悔いているようね。あなたに会いに来たいようだけれど、過去の振る舞いを思い出してはその場で地団駄を踏んでいるのよ。あなたをないがしろにして、もう一人の娘を可愛がっていたのだから、それくらい当然よね」


 おかしそうに笑ったローディアナは、寝台に浅く腰掛けた。


「ねぇ、スーラン。陛下とわたくしは、話し合ったのよ。あなたにどんな物を贈ったら一番喜んでくれるのか。憂える我が子を見ていたくないのは、親心。けれど、あなたはわたくしたちにちっとも心を開いてくれない。だから、とびきり素敵な贈り物をすることに決めたの」

「いらない……」

「あら、そう? きっと気に入るわ」


 むぅっと口の端を曲げて断るスーランを意にも介さず、彼女は自信ありげに言った。


「あなた専属の護衛よ。──入りなさい」


 ローディアナがそう声を掛けると、すらりとした身長の青年が入ってきた。

 視線を向けたスーランは、目がこぼれ落ちそうなくらい見開いた。


「う、そ……」

「なにを驚く。私がそう簡単に死ぬと思ったか?」


 にやり、と口の端を持ち上げたのは、死んだはずのフェアロンであった。闇を閉じこめたような美しい黒髪が短くなり、色も赤茶へと染まっていた。

 スーランは思わずローディアナを見た。


「な…、だ、だって、火あぶりに……」

「囚人の一人が亡くなっていたのを身代わりにさせてもらったのよ。顔に袋を被せてしまえば、だれもわかりはしないわ。本来なら、規則を二度も破るべきではないけれど……、ふふ、わたくしも陛下をなじれないわね。可愛いあなたの悲しむ顔を見たくなかったの」

「ローディアナ王妃様……」

「あなたには笑顔が似合うもの。──それに、もう一つ、贈り物があるのよ」

「え?」

「村へ戻って、しっかりとお別れをしてきなさい。あなたに、半年間の猶予をあげるわ。民の生活を把握するのも王女の務め。これからは王女としての自覚を持って、行動なさい」

「!」


 スーランの顔に笑みが浮かぶ。

 半年間は、短すぎるが、スーランの立場を考えれば願ってもないことだろう。


「半年後には、わたくしたちの元へ必ず戻ってくるのですよ。もう、会えないとばかりに思っていた娘と、また離れてしまうのは寂しいけれど、これもあなたのためを思えばこそ」

「王妃……ううん、かあ、さん……」


 スーランは照れくさそうにはにかんだ。


「変な気分だね。やっぱり王妃様がかあさんっていうのは実感わかないけど、……あなたといると、育ててくれた母さんのこと思い出すよ。へへっ、王妃様と母さんじゃ月とすっぽんだけどね。でも、あったかいのは一緒だ。ごめんね、親孝行じゃなくて。いい娘でいられなくてごめんなさい」

「いいのよ。あなたが生きていてくれるだけで、わたくしは嬉しいのだから」


 スーランを万感の思いで抱きしめたローディアナは、そっと目を瞑った。






「真実を明かさなくていいのか?」


 アルツィたちの所へ行ってくると出て行ったスーランを見送ったフェアロンは、幸せそうに微笑むローディアナを一瞥した。


「半年も経てば、周囲の混乱も落ち着くでしょう。まだ、なにも知らないあの子を公の場に出すのは、早すぎます。怪しい動きをしている者たちを根絶するまでは、地方の田舎で雲隠れしてもらったほうが安心です」

「そのために、私を生かしたか」

「裏に精通している者を傍に置けば、危険は回避できるでしょ? スーランに薬学の知識や護衛術を教えたのはあなただと聞きます。あれほどの高い身体能力を自然と身につけさせるなんてね……」


 フェアロンを見つめるローディアナの視線は、とても穏やかとはいいがたい。

 それでも、信頼に足ると感じているからこそ、スーランを任せることに決めたのだろう。


「王家の者はそろって大うつけだな。私がどこに属していたか、知らぬわけでもあるまい」

「だからこそ、です。大陸を脅かす暗殺集団の噂もこの国に届いていました。けれど、まさか、ドゥオーラが関わりを持っていたなんてね。霧のように掴み所のないあなた方の存在を知り得るには、彼一人の力でどうとできるはずもないわ。今回の黒幕がドゥオーラだとして、ほかにもスーランの存在を快く思わない者が出てくるでしょう」


 ローディアナは、この先のことを憂えてか嘆息した。


「もしまた、残月と呼ばれる暗殺集団が雇われたとき、あなたの存在が不可欠なんです。本来なら、薄汚い血で汚れたあなたは、触れるのも穢らわしいですが、スーランの存在を今まで隠してくれたことには感謝します」

「──ふんっ、口先だけの言葉などいらん。私は私の意志であの馬鹿弟子を守るまで。お前たちの思惑など、知るか」


 そう吐き捨てたフェアロンは、身を翻した。

 そんな彼に、ローディアナは、深々と頭を下げたのだった。



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