終章
「セリティン、泣かないで。わたしも悲しくなっちゃう」
「け、けれど……ひっく」
アドラン村に戻ることを告げてからセリティンの顔が晴れることはなかった。
ついに出立を迎え、感情が抑えきれなくなってしまったのだろう。しっかり者のセリティンが子供のように人前で泣きじゃくる姿を見て、スーランももらい泣きをしそうになった。
「また、帰ってくるよ。約束」
「スーラン王女様……」
「わたし、わがままだね。村のみんなも大好きだけど、セリティンたちも大好きなんだ。だからね、必ず戻ってくるよ。もっとね、王女らしくなって戻ってくるから。わたし、いっぱい勉強して、民の暮らしを学んで、ちゃんとした王女になるから。だから待ってて?」
セリティンは、手巾で目元を拭うと、はいと微笑んだ。
目と鼻を真っ赤にしながらも毅然とした態度を取り戻したセリティンに、スーランも胸をなで下ろした。最後は、笑顔で別れたかった。
スーランは、セリティンとのやりとりを静かに見守っていたアルツィとエルゼンに視線を移した。
「アルツィ、エルゼン。わたしはオルビアーナみたいにならない。だから、ちゃんと監視しててね? わたしが道を間違えないように……。もし、正しい道から逸れたらちゃんと叱って、怒って」
「たくましくなったね。君なら立派な王女になれるだろう」
アルツィが眩しそうに目を細めると、隣でエルゼンがうんうんと頷いていた。
「村での護衛は、フェアロンに譲るけれど、宮殿に舞い戻ったら、俺にも護衛を担当させて欲しい。まだ力は及ばないけれど、スーランと離れている間、俺も剣術の腕前をあげておくよ。そして、俺にもう一度、君を守らせて。今度こそ、守ってみせるから」
「ア、アルツィ……」
情熱的な瞳を向けられ、スーランは動揺を隠せなかった。
恥ずかしい台詞に磨きがかかっている気がする。
元々、スーランに対して好意を隠さなかったアルツィだったが、あの月明かりの下で会った夜から感情を素直に伝えてくるようになった気がする。
フェアロンへの対抗心がそうさせるのだろう。彼が生きていることを知らされたときのアルツィの顔は、複雑そうであった。フェアロンに代わって、スーランを心身共に支えるつもりだったからであろう。
それが立ち消え、悔しそうであったが、最終的にはスーランのために受け入れたようだ。
「じゃ、じゃあ、わたしもアルツィに守ってもらえるのに相応しい人になれるよう、頑張る」
「だったら俺は、更に上を行かないと。スーランは、今でも十分輝いているのだから、それ以上魅力的にならないで欲しい」
「ん…な、だ、だから、恥ずかしい台詞禁止だってば!」
「本当のことを言っただけだけど? アイツなんかに渡さず、このままさらってしまいたいのを必死に我慢しているんだからね」
「う……ぅえぇ!?」
顔を真っ赤にするスーランを愛おしげに見つめるアルツィ。
いつになく積極的なのは、しばらく会えなくなるからだろう。
スーランの姿を瞳に焼き付けるように見つめてくるアルツィに、スーランも盛大に照れてはいたが、嫌がる素振りは見せなかった。
「はぁ~初々しいですねぇ。見ているこっちが気恥ずかしくなる。友達っていうより、つき合いたての恋人同士のようだ。……しかしまぁ、これで当分見納めかと思うと、寂しくなるよ」
なんともほのぼのとする光景を微笑ましそうに眺めていたエルゼンが、ため息を一つ零した。
「ええ、本当に。ようやく本物の王女殿下がお戻りになられたというに……残念でなりませんわ。けれど、わたくしは、スーラン王女様にお仕えできて、心からよかったと思いますわ。最初はどうなるかとヒヤヒヤといたしましたが、今では、あんなにお可愛らしくて、ときには凛々しくいらっしゃる王女様が、わたくしの主人であることを誇りに思います」
血筋など関係ないと思えるくらいセリティンはスーランに敬愛の念を抱いていたのだ。
「オルビアーナ様は完璧でしたが、きっとそのおごりが破滅への一歩となったのでしょうね。普通の娘が権力を手にすれば、その欲に呑み込まれてしまうのは自然の摂理ですもの」
「姫さんが希有なのさ。……けど、それが王女としての資質なのかもしれないねぇ。偽物であろうと、本物であろうと、彼女の周りには人が寄ってくるのさ。それってすごいことじゃない?」
「ふふ、そうですわね」
同意したセリティンは、アルツィと話している主人を穏やかな眼差しで見つめるのだった。
国王と王妃たちにも別れを告げたスーランは、多くの人たちが見守る中、立派な馬車に乗り込んだ。だれも、スーランがこれからどこに行くのか知らないのだ。知っているのは、ごく一部の限られた人間だけ。スーランの安全を配慮してのことだった。
「ねぇ、お師匠様」
「なんだ?」
「スゥは、逃げないよ。みんながね、笑って暮らせる世の中を作ってみせる。もう、あんな悲しい人たちをだしちゃ駄目なんだ」
一揆を起こした者たちの村では、彼らの訴えが聞き入れられ、重税も軽減されるという。この処置により、これまでよりは、ましな生活が送ることができるだろう。
けれどスーランは、それが氷山の一角であることはちゃんとわかっていた。
だからこそ、学ばなければならないのだ。
上に立つ者がしっかりと下の者を管理しなければ、国はまた傾くことになるのだから。
今回、元副宰相によって職を解かれた者たちは、有能な宰相の手によって次々と復職を果たした。彼をないがしろにしていた国王は、同じく冷たく接していた王妃にも頭が上がらないようで、日々肩身が狭そうに過ごしているというが、自業自得だろう。
罪が晴れた宰相の元には、前のように人が集まりだしたようだったが、元副宰相を支持していた貴族は居心地が悪そうであった。
「前にお師匠様は、わたしのこと一人前の守人気取りでって言ったでしょ? わたしね、ずっと叔父さんを尊敬してた。守人の叔父さんを。だからね、わたしは叔父さんのような人になりたい。守人のように、この国の人たちを守って、導いてあげたいんだ」
きっとスーランが行うことすべてが正しいとは限らないだろう。けれど、そんなときは叔父のように冷静に対処して、判断を見誤らないようにしたかった。
「――決めたならば、やり通せ。私の弟子を名乗るならば、失敗は許されないぞ」
「! はいっ」
スーランは、大きく頷いた。
(やるわ、わたし)
だって、一人じゃないから。
一人では無理なことも、みんなと一緒なら乗り越えられる気がした。
自分を支えてくれる人たちの顔をひとりひとり思い浮かべたスーランは、これからのことを考えて胸を高鳴らせた。




