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第七章   真実


「──スゥ」

「ん…、お師匠、さま……?」


 月明かりがうっすらと入り込む中、微睡んでいたスーランは薄く目を開けた。

 眠たげに目をこすろうとしたスーランだったが、温かい手に両目を塞がれ大人しく目を閉じた。

 なぜ塔にお師匠様がいるかなんて愚問だった。

 フェアロンに忍び込めない場所などどこにもないのだ。


「そのまま聞け」

「ぅ…ん」

「お前がここから抜け出したいならば、私はお前をさらう。お前は、どうしたい?」

「わた、しは……」


 だんだん頭が冴えてくる。

 フェアロンの温もりに心が落ち着いていくのを感じた。


「足掻いてみたいよ。負けたくない。だってわたし、まだなにもしてないよ。アルツィに約束したの。悪事を暴くまで、王女として振る舞うって……。なのに、まだいいとこみせてない。このまま死にたくないよ……。まだ、死ねないよ」

「お前は本当に大馬鹿者だな」

「お師匠、さま……?」

「私がお前をむざむざと殺させると思うか?」

「へへっ、そうだね。お師匠様は必ずスゥを助けてくれる。いつだって」

「──お前が離れたいと願うそのときまで、私は常にお前と共にある。それだけは忘れるな、スゥ」


 温もりが消えた。

 パチッと目を見開いたスーランは、温もりを追いかけるように手を伸ばすが、静まり返った牢屋には人の気配などなかった。


「夢……? ううん、違う」


 だって、彼の手が触れていた目には、その優しい感触が残っている。

 フェアロンが戻ってきたのだ。

 彼がついていてくれるというだけで、活力が沸いてくるようだった。


「負けないっ、絶対、負けるもんかっ」


 最後に勝つのは、正義に決まってる。

 決戦まで、あと数時間と迫っていた。







 扉の外が騒がしくなったのに気づいたスーランは、迎えに来た衛兵だろうかと身構えた。

 けれど、入ってきたのは思いがけない人物であった。


「はぁ~い、小鳥ちゃン。お久しぶり~。思っていたより元気そうねン。さっすが、ボクが見込んだことだけあるわン」


 掠れた野太い声で、可愛らしく身をよじっているが、やはり似合わない。

 びっくりして固まっていると、ヴァゼルの後ろから幾人もの女性が入ってくる。

 その中にロアナの姿を見つけたスーランは、ほっと表情を緩めた。


「女の戦いはね、美しく装うことよ。……ヴァゼル、はじめてちょうだい」

「まったく、人使いが荒いったら」


 ぶつぶつと文句を言いつつも、大きな箱から服を取り出したヴァゼルは目を輝かせ、得意げに顎を上げた。


「ご覧なさい、ボクが一晩で仕上げた、最高傑作よ! さあ、可愛い子猫ちゃんたち、着せ替えてちょうだい」


 ヴァゼルが命じると、女性たちは、目を白黒させているスーランに手を伸ばした。


「ちょ、な、なに……!?」


 怯むスーランを気遣うことなく、彼女たちは手早く服を脱がすと真新しいドレスを着せていった。

 裾が広がった金のサテン地のスカートに、フリルをあしらった胸ぐりのない白の胴衣。腰に宝石をちりばめたベルトを巻き、編み上げた黒靴を履けば、驚くほどスーランに似合っていた。

 流行の横広がりのドレスとは違い、輪骨入りのペティコートをつけていないドレスは、普通と比べかなりほっそりとしており、優美に見えた。

 スーランが転ばないよう裾は短めだが、その分、幾重にも布を重ね、美しい濃淡を作り上げていた。

 その自然な膨らみがスーランの腰を細く見せ、手足もいつもより長く見えるようだった。

 言葉を失い、呆然としているスーランをこれ幸いとばかりに、彼女たちは髪を結わえ、薄く化粧を施していく。

 花飾りを結い上げた髪に挿すと、彼女たちはすっと後ろに下がっていった。


「どう?」

「ええ、いいわ。ドレスは斬新だけれど、彼女にはとても似合っているし。全体的な雰囲気を亡き王妃に似せてしまおうと思ったけれど、それでは彼女らしさが失われてしまうわね。わたしの思い描いていた姿とは違うけれど、さすがだわ、ヴァゼル。これから一人で立ち向かうスーラン王女に、ぴったりね。……伝統を打ち破る、新しい風を感じるわ」

「貴女にそう言っていただけるなんて、光栄ですわン」


 優雅にお辞儀をしたヴァゼルは、視線をスーランへと向けた。


「小鳥ちゃん、頑張んなさい。ボクはあなたの味方よ」

「ヴァゼル……うん、ありがとう」


 ようやく状況を飲み込んだスーランは、大きく深呼吸をした。

 色を失った頬や唇は、化粧により薔薇色に染まり、明るく健康的に見えた。


(これがわたしの戦闘服、か)


 ヴァゼルは、寝ずに作ってくれたのだろう。自慢の巻き毛もぐちゃぐちゃで、目元にはクマがあったが、まだまだ精力的だった。

 スーランは己のドレスを見下ろすと、笑みを浮かべた。

 ヴァゼルがどうしてドレスを作ったのかわからなかったが、綺麗な服に袖を通すと身が引き締まる心地がした。

 軽い緊張感をまとったスーランを見つめたロアナは、口元に薄く笑みを引いた。


「さあ、行きましょう。戦いの場へ」


 スーランは、彼女のあとを追いながら、そっと声を掛けた。


「あの、ロアナさんは一体何者? ただの庭師じゃ……」

「わたしはただ、あなたのためになにかをしたかっただけ。あなたは、わたしの大切な方の命を救ってくれた。感謝してもしたりないわ」

「命……?」


 スーランは訝しげに眉を寄せた。そんな記憶はなかった。

 けれどロアナは深くは答えず、衛兵に気づくと、小さく頷いた。

 彼らは、まるで護衛するかのようにスーランたちを囲むと、ゆっくりと歩き出した。


「もうすぐ、ダット=ボルワート卿による審問委員会が始まります。お急ぎを」

「陛下はすでに?」

「すべては、順調に事は運んでおります」

「宰相のご子息も知略に長けますね」


 密やかに交わされる言葉に、ハッとスーランが耳をそばだてる。


「アルツィ……?」

「ご安心を、スーラン王女様。私どもは、貴女様の味方です。貴女が捕らえられたことをお知りになった警備守備総隊長が、副宰相派の兵士を夜中の内に解任し、貴女の御身に危害が加えられないよう、宰相派の私どもを警護の任に就かせたのです」


 衛兵の一人が、スーランの漏らした言葉を拾って、柔らかく微笑んだ。

 彼は、スーランが、死んだ者に向かって静かに泣く姿に感銘を受け、宰相派になったという。あの場にいた兵士は全員、副宰相派から宰相派へと鞍替えしたらしい。


「まだ表立って動きはとれませんが、宮廷内ではスーラン王女様を支持する声は日増しに高くなっております。どうか、ドゥオーラ副宰相の卑劣な策略に屈せず、我らをお導き下さい」


 それは、真剣な眼差しだった。

 どくんっとスーランの心臓が音を立てる。


(捕らえられたわたしをまだ信じて、ついてきてくれる人がいる……)


 アルツィもまだ諦めてはいなかったのだ。

 じんわりと広がる喜び。


(アルツィ、わたし、頑張るね)


 塔を出たスーランは、思いも寄らない人垣に目を丸くした。


「スーラン王女様!」

「セリティン……?」


 その中から一歩前へ進み出てきたのは、離宮にいるはずのセリティンであった。

 彼女は、元気そうなスーランを見ると、ほっと表情を緩ませ、裾を持ち上げて頭を下げた。


「どうか……どうか、ご無事にお戻り下さいませっ。貴女がいらっしゃらない離宮は、まるで火が消えてしまったかのように冷たく、静かで……。わたくしたちは、スーラン王女様の罪が晴れ、元気なお姿でお戻りになられるのをずっとお待ちいたします」


 彼女の後ろには、離宮で仕えてくれた人たちの姿があった。

 それだけではない。

 オルビアーナ付きの侍女の姿もあった。なぜ、とスーランが不思議そうに見つめると、視線に気づいた一人が、そっと頭を下げた。その手には、見覚えのある手巾が握られていた。薄紅色に染め上げ、金糸で縫い取りをしたそれは、確かスーランのために作られたものであり、ほかに同じ柄はないはず。

 怪我をしたオルビアーナの侍女の手に巻きつけて、そのままだったはずのものを、なぜ無関係の彼女が持っているのだろう。


「――本来ならば、使用人の立場で、仕えるべき主人を裏切り、このような場に赴くことは許されないのでしょうが、わたしはどうしても王女殿下にお礼を申し上げたかったのです」

「わたし……?」

「高貴な身の上でありながら、たかだか使用人一人のために心を尽くして下さった。貴女に仕えることができた者は幸いですね……。もし、我が友が貴女にお仕えすることが叶っていたのならば、きっと辞めずにすんでいたかもしれないのに……。お願いです。これ以上、仲間が不当な目に遭うのは見たくありません。どうか、どうか……っ」


 さすがにその先は口にするのをためらったようだが、スーランには伝わっていた。


(仕える人は選べない。彼女たちをどう扱うかは主人の心ひとつ)


 それでも、決死の覚悟でやって来たということは、オルビアーナに仕える気がもうないという意思表示なのかもしれない。


(馬鹿だね、オルビアーナ王女も。彼女たちだって人間だ。ちゃんと選ぶ権利がある。使用人に見捨てられた王女なんて、国を失った国王と同じだよ)


 彼女たちから視線を後ろに移すと、お茶会に呼んでくれた令嬢たちも集まってくれたようだ。思ったより人が多いことに身を縮めていたが、スーランと視線が合うと力強く頷いてくれた。大丈夫よ、あなたは無実だからと言いたげな顔つきに、胸が温かくなる。


(ここへ来たとき、わたしには知り合いがアルツィとエルゼンしかいなかった……。でも、今はこんなにたくさんいる。なんだろ。すっごく嬉しいや……)


 掲げた正義の炎は、いつの間にか人々の心に灯り、大きくなっていったようだ。

 感極まってなにも言えずにいるスーランに、ロアナが囁いた。


「人の心は移ろいやすいもの……。こうして地の底へ突き落とされたときに、相手の真の心は見えるものだけれど、あなたは幸せ者ね。召使いがこれほどの好意をみせるなんて。いいえ、それだけではないわ。使用人だけでなく、あなたを支持する有力貴族の姿もあるわ」


 その内の幾人かは、離宮を訪れてきた者たちであった。

 アルツィと密談を交わしていた彼らは、苦しげな表情でスーランを見つめていた。

 もし、スーランの罪が確定すれば、スーランを支持していた者たちは、冷遇されるだろう。けれどそんな危険をもろともせずこうして駆けつけてくれた彼らの気持ちが、スーランにはとても嬉しかった。

 気を引き締めるように胸を張り、彼らの顔を一人一人じっと見つめたスーランは、にっこりと極上の笑みを浮かべた。


「ありがとう。あなたたちの勇気ある行動が、わたしの力になる……。わたしは、この世の正義を信じるわ。必ず、この宮殿に溜まった膿をすべて吐き出させみせる」


 虚を突かれたように息を呑む彼らに、スーランは淑やかに宮廷式のお辞儀をした。

 これまでのスーランにはなかった気品ある動作に、彼らも目を奪われたようだった。

 顔を真っ直ぐ上げたスーランは、ロアナに促され歩き出した。


(大丈夫。わたし、やれるわ。だって、一人じゃない)


 こんなにも味方はいるのだ。

 スーランは高鳴る胸にそっと手を乗せた。

 どんな結果になろうとも、足掻いてみせよう。

 そう、心に誓ったのだった。



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