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第六章   四面楚歌

 スーランは、暴徒の生き残りを一時、離宮で預かることに決めた。

 中には、寝台の上で過ごさないといけない者たちも多くいて、とても薄汚い地下牢へ閉じこめるような状態ではなかったからだ。

 有能な医師たちに混じり、スーランも精力的に看病した。


「ほ~ら、スゥ特製の軟膏だよっ」

「スーラン王女さまの薬はよく効くなぁ」

「ふふんっ、スゥの愛情たっぷりだからね! 早くよくなれ~って念じながら作ってるんだから、よくならないはずないよ」

「はは、それはえらい自信だっ」

「王女さま、オレにも早くソレを塗ってくれよ!」


 最初こそ敵意を向けていたり、居心地悪そうに唇を引き結んでいた彼らも、スーランの献身的な看護によって、頑なな心を溶かしてくれた。

 今では軽い冗談も言い合えるほどだ。

 王女殿下に対して不敬な、と憤っていた警備兵や医師たちも、スーランの気にしていない様子を見て、次第に何も言わなくなった。


 だからこそ、病室となったこの中は、いつも笑い声に包まれているのだ。


(でも……)


 ふっと、スーランの双眸が翳る。

 この中は、仮初の平和に過ぎない。

 怪我の状態は日に日によくなってきているが、彼らを取り巻く状況は決していいとはいえない。

 度重なる重税にあえぎ、抗議しようと暴動を起こした事実はなくならない。

 国王の命を脅かし、武装して宮殿に押し入ろうとした罪は重い。

 スーランの嘆願で、こうして怪我を癒す時間は与えられているが、たとえ怪我が治っても彼らの辿る道は決まっている。


 ──死刑だ。


 憑き物が落ちたかのように、朗らかに笑っている彼らは、もう少し経てば生き長らえたその命を落とすことになる。


「……そんな、悲しい顔しないでくだせぇ」


 スーランの顔が曇ったのに気づいた初老の男が、ぽりつと呟いた。

 足と腕を砕かれ、寝台の上から動けない彼は、唯一自由に動く顔を動かし、仲間の楽しそうな様子を見て、穏やかな笑みを浮かべた。


「こうして、こんな穏やかに最期を過ごせるとは、思わんかった。姫さんのおかげじゃあ」

「!」


 胸が詰まって、ぐっと息を呑むスーランを見上げた初老の男は、申し訳なさそうに眉毛を下げた。 


「ワシらは、わかっていたんです。死ぬことなんざ、惜しくなかった。残してきた家族の生活が楽になりゃ、それでよかったんじゃ」

「じーちゃん……」


 彼はまさに満身創痍であの場に倒れていた。

 今、生きているのも不思議なくらいなのだ。熱にうなされ、医師でさえもう駄目だと匙を投げたのは三日前のことだった。

 けれど、なんとか持ち直して、こうして喋れるまでに回復したのだ。

 痛み止めのおかげか、その顔に苦痛の色はなかった。


「まあ、今となっちゃ、ワシらの願いは叶いそうにもないがね。……国王もあの姫サマも、ワシらの暮らしがどんに辛いかなんか考えてもないじゃろうな。明日の食べ物にも困る状況で、まだ納めたはずの年貢を催促する。ワシらは一体、なんのために働いていたのかのぉ」

「……」

「こ~んな、ぜいたくは、ワシらの貧しい暮らしの上で成り立ってるんじゃ。アンタは、知っておいておくれ。アンタだけは、ワシらの苦労を知っておいて欲しいんじゃ……」


 彼の目にうっすらと涙が浮かんだ。

 それは、紛れもなく彼の遺言であった。


 彼の想いが辛くて、悲しくて……言葉がつまって何も言えないスーランは、思わず唇を噛んだ。その唇が、指先が小さく震える。


(なんで……っ)


 胸が苦しかった。

 なぜ、彼らは死ななければならないのか。

 家族のために暴動を起こした彼らをスーランは、守りたいと思った。 

 でも、守れない。

 それがわかっているからこそ、苦しかった。


「……ご歓談中に申し訳ございません。スーラン王女様、宰相のご子息様があちらでお待ちでございます」


 泣きそうな顔をしているスーランに、侍女が声をかけてきた。

 ハッと扉に目を向けると、そこには顔色の冴えないアルツィの姿があった。邪魔をしてはいけないと思ったのか、彼は扉に背をもたれたままじっとスーランを見つめていた。

 どこか覇気のない双眸に、彼の言いたいことを悟り、暗澹たる思いが広がった。


「ぁ……うん、ありがとう。ちょっと行ってくるね、じーちゃん」

「ワシは、アンタに会えてよかった」


 歩き出そうとしたスーランに向かって、初老の男がそう呟いた。

 ハッと振り返ったスーランの目に、彼の力強い眼差しが映り込んだ。


「ここのみんながそう思ってる。感謝してるんじゃ、だれも口にはださんが」

「!」

「どうか、この国を変えてくれ。傾いた国を戻すには、姫さんのように、ワシらの痛みを知ってる者が必要じゃ」


 それは、心からの訴えであった。

 逸らすことは許さないとばかりの双眸がスーランをその場に縫いとめる。


「……っ」


 彼は、スーランが頷くのを望んでいる。

 けれど、スーランは何も言えなかった。


 小さな失望の光が彼の目に宿る。


 それを見て、スーランは、ごめんなさいと心の中で謝ることしかできなかった。



 





「結論から言うと、覆らない」


 人払いを済ませた藍の間へと誘ったアルツィは、そう伝えた。

 大きな窓からは、明るい陽射しが降り注ぐが、二人の間に流れる空気は重かった。


「そっか……」


 期待などしていなかった。

 それでも一縷の望みにかけてみたかった。


「議会は、三日後に彼らを絞首の刑に処することを決定した」


 三日後……。あまりに早すぎる。


「ねぇ、アルツィ……。わたしが本物の王女様だったらなんとかできたのかな……」


 先程の初老の男の言葉が耳から離れなかった。

 もし、自分が本物であったならば、父である国王に訴えただろう。

 たとえ罪を犯していようとも、スーランは助けたいと思ってしまったのだ。

 その生命を失わせたくなかったのだ。


 アルツィは、スーランの言葉を吟味するようにすっと目を細めたが、すぐに緩く首を振った。


「どうかな。今の陛下はオルビアーナ王女の言いなりだ。そして、彼女を操っているのは副宰相。たとえ君が本物だったとしても、それを証明する証拠がなければ陛下も信じないだろうし、副宰相が君を消そうと命を狙ってきただろうね」

「四面楚歌、か」

「難しい言葉をよく知っているね。……まあ、そうだね。俺が副宰相の野心を見くびっていたんだ。──スーラン。俺の頼みを聞いてくれる?」


 すっと席を立ったアルツィは、スーランの前で片膝を付くと、彼女を真剣な眼差しで見上げた。


「アルツィ?」

「フェアロンと一緒に今すぐ宮廷を去って欲しい。こうなった以上、もう、君の力はいらない。だから──、」


 スーランは人差し指をそっとアルツィの唇の上に乗せた。

 それ以上の言葉は不要だった。


「今更突き放したって遅いよ。ここまで関わったら、最後まで一緒に演じきる。だって、王女なんて体験、めったにできないよ? だから、ね。やらせてよ。わたしも一緒にいさせてよ……」


 スーランの指先が震えた。

 これから起こりえることなど容易に想像できた。

 それでもスーランは逃げ出したくなかった。

 怖い。──本当は怖い。

 けれど、恐怖よりも、アルツィを一人にしたくないという思いのほうが強かったのだ。


「ごめん……。俺が無鉄砲だったせいで、君を巻き込んでしまった……。本当なら、あの村で幸せに暮らせていたのに」


 スーランの小さな手をそっと包んだアルツィは、肩を震わせた。


「馬鹿。あんたたちがいなかったら、ガナスは死んでた。わたしは後悔なんかしてないよ。これからどうなろうと、怖く、ない」


 自らを奮い立たせるように、きっぱりと言い切った。


「スーラン……」

「謝るのはわたしのほうだ。追い詰めることができなかった。わたしが王女としてオルビアーナ王女に勝って、国王の歓心を買ってたらこんなことにはならなかった」

「そんなことないよ……君はよくやってくれた」

「嘘」

「嘘じゃない。めったに他人を褒めない父が、君をとても褒めていた。たった一人で、無力な者たちを守るために戦ったスーラン王女は、何者も恐れない鋼の心と民を慈しむ心を持っている、と。供もつけず、事情を把握せずに行動することは、思慮に欠けるけれど、その勇気は称賛に値するってね。……ねぇ、スーラン。君が、オルビアーナ王女よりも早く、王女として見いだされていたなら、きっとこの国は平穏だったのかもね……」


 アルツィが力なく微笑む。

 けれどスーランは──。


「アルツィ。偽物はね、しょせん偽物でしかないんだよ。本物にはだれも勝てない」

「スーラン……」

「でも、相手も本物じゃないなら最後まで諦めない。わたしだって守りたいんだよ。みんなを。この国を。だからアルツィ、弱気にならないで。きっと……暁の女神が道を示してくれる」



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