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その二


 木の棒が宙を舞った。


「参った! 降参だよ、降参~」


 ピタリ、と鼻先に木刀の先端を突きつけられたエリゼンは、両手を挙げた。うっすらと額に汗をかいてはいるが、まだ余裕はありそうだった。

 片やスーランは、息一つ乱してはいなかった。

 

「エルゼン、本気出してないでしょ」

「いやいや、十分本気だって。姫さんが思いの外強くてびっくりというか……」

「だから言ったじゃない。わたしを軽くみないほうがいいって」


 スーランは不服そうに唇を尖らせた。

 腕試しを、と望んだのはスーランだ。アルツィの専属騎士であるエルゼンの実力を見てみたかったのだ。

 しかし、結果はいいとは言えない。

 勝ったとはいえ、相手はすべてを出してはいない。エルゼンの本気を引き出すことができず、悔しい思いがこみ上げた。


「それもあのお師匠様仕込みってヤツかねぇ」


 エルゼンが一本とられたことにスーランの警護にあたっていた護衛たちが「あの方が負けた? まさか」とざわめいていたが、彼は気にした様子も見せず、額の汗を手の甲で拭った。


「そうだよ。お師匠様は、わたしにいろいろ教えてくれる師匠なの。わたしは、お師匠様の一番の弟子ってわけ」

「ずいぶんと仲良さそうだったけど、いつからのつき合いなんだい?」

「ん~、物心ついたときからもういたよ。母さんの話だと、わたしが産まれたときからそばにいたって」

「産まれたときから? はぁ~、なるほどね。そんなに年には見えなかったけど、見た目はアタシらよりもちょっと上の二十七ってところかね。いったいいくつなんだい?」

「……わかんない」


 木刀をくるくると器用に操っていたスーランは、双眸を曇らせた。


「お師匠様のことなにも知らないもの」

「姫さん……」

「でもね、大丈夫。お師匠様大好きだし、お師匠様もわたしのこと大切にしてくれるから。それだけでいいんだ。お師匠様がね、昔のこと教えてくれるようになるまでずっと待つ」

「健気だねぇ……こりゃ、アルツィに勝機ないかも?」


 うわ~と頭を抱えたエルゼンは、スーランに問いかけた。アルツィのことはどう思う? と。その顔はどこか必死だ。


「ほら、好きとか、嫌いとか」

「そりゃ、好きだけど……」

「おお! お師匠様より?」


 目を輝かしたエルゼンがおかしかったのか、スーランが、吹き出した。


「家族と友達を比べたりなんかできないよ。お師匠様はね、スゥにとって兄でもあり、父でもあり、母でもある人なんだ。アルツィは……どうだろ。最初はムカツクだけだったけど、今は大切な友人だって思えるよ。アルツィなら、お父さんの後を引き継いで立派にこの国を支えていけるって思ってるし」

「はぁ~、なるほど。……どっちも恋愛感情は、なしということか。いいのか悪いのか」


 ぽつりと呟いたエルゼンは、アルツィの春はまだまだ遠いね、と嘆息した。

 しかし、すぐにぴくりと耳を澄まし、駆け寄ってきた騎士団員に視線を向けた。深紅の衣は、国王直属の緋の騎士団だろう。

 

「おい、緊急事態だっ。お前たちも手を貸せ!」


 スーランに付く護衛兵たちに目を留めた騎士団員は、怒鳴りつけるように命じた。

 しかし、突然の命令に、管轄が違う護衛兵たちは戸惑った表情を浮かべるばかりだ。彼らの任務はスーランを守ることであるため、いかなる事情があれ、警護対象の側を離れるわけにはいかなかった。


「緊急事態、ですか? けれど、我々はスーラン王女殿下の警護を……」

「チッ。わからないやつらだな。今、何が起こっているのか知らないのか? 一の城門付近で平民どもが暴動を起こした」

「!」

「いいか、なんとししでも侵入は阻止しなければならない。護衛ならば、そこの男で足りるだろ。おまえたちは、速やかに配置につけ」


 顔見知りなのか、エルゼンに一瞬視線をやった騎士団員は、すぐさま身を翻した。


「は、はいっ。殿下、申し訳ありませんが、」

「なにをしている、急げっ」


 叱咤され、護衛兵がもどかしげにスーランに向けて一礼すると騎士団員の後を追った。

 慌ただしく駆けていく複数の足音。

 その後に、いたる所から怒号が飛び交った。


「手が空いている者はこちらへ来い!」

「武器を持てっ」

「侵入者は排除しろっ」


 離宮周辺でさえこの騒ぎということは、城は更に混乱状態に陥っているだろう。

 守るようにスーランの真横に立ったエルゼンの顔が険しくなった。


「姫さん、部屋へ戻るよ」


 エルゼンがスーランの肩を抱き、安全な離宮へと引き返そうとするが、スーランはそこを動かなかった。呆然としたスーランの手かにら木刀が滑り落ちた。


「姫さん、ここは危ないから……」

「待って、暴動ってどういうこと?」

「どうって?」


 エルゼンの声音に苛立ちが覗く。なんとか笑みを浮かべているものの、瞳の奥は笑っていなかった。


「そんなに逼迫した状況なんて聞いてない! 民衆が、なにもなくて暴動なんて起こすはずない。理由があるはずよ」

「姫さんは知らなくていいことさ」


 エルゼンが嗤った。

 どこか突き放すような、馬鹿にしたような笑い方に、スーランはぎりっと奥歯を噛んだ。

 明確な線引きに、まるでスーランはいらないといわれているようで、苦々しさと悔しさが胸にあふれる。

 所詮、スーランは偽物。

 使い捨ての駒なのだ。

 

 けれど、と思う。


 スーランも民のひとりなのだ。

 自分はここでのうのうと暮らしていたのに、その裏では多くの民が苦しんでいたと知って、平静でいられるわけがない。


「……っ、じゃあ、自分で調べる」

「姫さん!?」


 焦るエルゼンを置いて、スーランは軽やかに走り出した。

 打ち合いをするからと、襞がいっぱいついたドレスでなく、村から持ってきた服を選んでよかった。こういうとき、足にまとわりつく煌びやかなドレスは鬱陶しい。


「…はぁ、はぁっ」


 中庭を通り抜け、目的地にようやくたどり着いたスーランは、肩で息をすると、呆然とその場に立ちつくした。

 なんという地獄図だろう。

 訓練も受けていない無力な民衆が、剣を携えた騎士に敵うはずもなかった。武力を持って制圧された暴徒の半数はすでに息絶えていた。

 跳ね橋が血に染まる。

 血だまりは、石畳の溝をなぞるように広がっていた。じわり、じわりと地面を染め変えていく真紅に、スーランの目が奪われる。


「ぐ、あぁ…っ、」

「一人残らず生かしておくな! コイツらは、陛下の命を脅かした反逆者たちだ」


 立派な軍服に身を包んだ高齢の男が、声を張り上げ指示を出していた。

 それに頼もしく応える騎士たちは、反抗する気力を失った民衆に容赦なく刃を向けた。


「……めて、」


 スーランの体が震える。


 見ていられなかった。

 なぜこうなったのかわからない。

 何も知らないで、暴徒の味方をするのは間違っているのかもしれない。


 けれど、

 けれど、これは。


 ただの暴力だ。


 一方的な虐殺は、とても正視に耐えるものではない。


「やめてよっ」

 

 スーランはそう叫ぶと駆けだしていた。

 殺気立つ騎士たちの間を縫うように進み、ついに最前線へと躍り出た。


「なんだ、貴様はッ! 邪魔だ、退けッ」


 少年のような姿のスーランを見ても、だれも王女であることに気づかなかったようだ。


「退かない!」


 スーランは血を流して倒れている男性を殺させまいと、両手を広げて立ちふさがった。


「無抵抗の人間をこれ以上いたぶるのは、ただの人殺しだ!」

「この──……っ」


 カッと怒りに顔を染めた騎士が、血の滴る剣を振り上げた。

 しかし、彼を真正面から睨みつけたスーランは冷静であった。相手の懐に入ると、勢いよく投げ飛ばした。

 カチャン、と剣が地面に落ちる。

 それを拾ったスーランは、何事かと集まってきた騎士たちに剣先を向けた。


「これ以上、無駄な血は流させない」

「このガキ、どっから……っ」

「お前もコイツらの仲間だな!」


 気色ばむ男たち。

 スーランを取り押さえようと躍起になっているようだが、師匠の人並み外れた運動神経に慣れているスーランには、彼らの動きが鈍く感じられた。

 一人、また一人と、当て身を喰らわせて地面に沈めていく。

 それに動揺したのが騎士たちであった。間合いを取るように後じさりし始める。

 そこへ、落ち着き払った声が聞こえてきた。


「これは一体、何事だ? ラドゥワン警備守備総隊長」

「こ、これは、フォーラント宰相……」


 問いかけられた人物が、慌てたように畏まった。


「民が暴動を起こし、宮殿内へ入り込もうとしていたので、速やかに鎮圧いたしました」

「鎮圧、か」


 宰相の視線が、真っ赤に染まった石畳に向けられる。

 鋭く細められた双眸にはなんの感情も浮かんでいない。それが返って、凄みを増させるようで、隣にいた高齢の男性が体を震わせた。


「だれが指示を出した? 私の耳に入らぬとは、どういう了見か。これほどの大事、よもや貴様ひとりの判断ではあるまいな?」


 淡々と問いかけると、高齢の男性の肩が跳ね上がった。


「そ、それはもちろん」

「では、だれがこの残虐な行為に許可を与えた」

「へ、陛下並びにドゥオーラ副宰相のご命令です!」


 宰相の静かな怒気に気圧されてか、高齢の男性の声が上ずった。今にも地面に這いつくばる勢いの男から視線を外した彼の視線が、スーランを捉えた。

 驚愕に見開かれる双眸。

 宰相の登場で、一時休戦となっていたスーランは、剣を持ったまま困ったように小首を傾げた。


「──ラドゥワン警備守備総隊長。そちらにいらっしゃるお方が、何者であるかご存じか?」

「は? い、いえ……暴徒の一味かと。すばしっこく、なかなかに腕が立ち……あ、いえ、今捕らえるところでして……、」


 馬鹿者! と宰相の雷が落ちた。

 ギッと高齢の男性を睨みつけた宰相は、急いでスーランのもとに駆け寄ると、衣服が汚れるのもかまわず跪いた。


「申し訳ございません。貴女を危険な目に遭わせ……。非礼を、心よりお詫び申し上げます。この者たちの無礼をお許し下さい、──スーラン王女殿下」


 そう宰相が告げると、場の空気が固まった。

 残っていた騎士たちは剣をしまうと、宰相にならってすぐさま膝を折った。

 その顔は蒼白であった。知らなかったとはいえ、王女に剣を向け、あまつさえ殺そうとしていたのだ。その身一つの命ではすまされない大罪であろう。

 高齢の男性も大きく目を見開くと、その場で慌てたように叩頭した。

 剣を放ったスーランは、嘆息した。


「……わたしに謝るより先に、すべきことがあるでしょ?」


 スーランは、倒れている男の傷口を調べた。

 腕や足を斬りつけられたようだが、急いで処置すれば命は助かるかもしれない。


「ぼさっとしてないで、医師を呼んで来てよっ。このままじゃみんな死んじゃう! それともあなたも死なせたいの? この人たちがなにをしたっていうのよ。武器といえば、クワや粗末な棒だけじゃない……。なのに、よってたかって……っ」

「スーラン王女殿下……」


 騎士に医師を迎えに行かせた宰相は、声を落とした。

 ボロボロの服を見れば、彼らがどんなに貧しい生活を送ってきたのか見て取れたのだろう。決死の一揆は、それこそ今後の生活がかかっていたのかもしれない。

 スーランは、亡くなった人たちのことを想って静かに涙を流した。

 透明な雫が、血に染まった地面にぽたりと流れ落ちると、それを見ていた騎士たちもその顔に後悔と罪悪を滲ませた。

 たとえ王女らしからぬ格好であろうと、民のために涙するスーランは、暁の女神が舞い降りたかのような美しさと慈愛深さをまとっていた。声をかけるのも憚れる雰囲気に、宰相だけでなく、警備守備総隊長も息を呑んだ。


「これが、スーラン王女殿下……」


 呆然と呟く警備守備総隊長に、宰相も頷いた。


「心優しきお方だ。そして、雄々しくいらっしゃる。これからの時代、殿下のような方が必要なのだ」

「! それは……」


 警備守備総隊長は、声を潜めた。


「もし、この場にいらしたのがオルビアーナ様ならば、どのような采配を振るっていらしたのだろうな」


 宰相が憂えるように呟くと、警備守備総隊長は押し黙った。

 繊細なオルビアーナには、耐えられない光景だろう。気を失うか、逆賊とみなして、皆殺しにさせていたかもしれない。少なくとも、スーランのように危険を顧みず、自らを犠牲にして飛び込んだりはしないだろうことは、二人ともわかっていた。

 年老いた警備守備総隊長は、なにかを考えるようにスーランを見つめているのだった。




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