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第五章   暴徒

「──スーランのお師匠様、ね」


 スーランの客人が面会を求めているとセリティンから聞かされ、スーランの部屋を訪れたアルツィは、目の前に広がる光景を見て静かに口の端を持ち上げた。

 スーランの師匠というよりは、兄や父といった親しげな雰囲気を醸しており、それが余計にアルツィの心にさざ波を立てた。

 子爵の令息も気にくわなかったが、目の前にいる男はさらにその上をいく。元から、たびたびスーランの口から出てくる『お師匠様』という単語に、いい感情は抱いてなかったが、やはりそりが合いそうにもない。


「ア、アルツィさん? 目が、笑ってないよ」


 恐る恐るといった具合にエルゼンがそう言うが、彼の言葉など耳に入っていないようだった。


「男の嫉妬って、こわっ」


 エルゼンは、火の粉を避けるように体を縮めた。

 アルツィは、フェアロンに視線を定めると、感情を押し殺した声音で静かに問いかけた。


「失礼、俺を呼び出したのはあなただとお聞きしたが?」


 我が子を見守る父のような顔でスーランの食事姿を眺めていたフェアロンが、ゆっくりと視線を向けた。

 細身だが、しっかりと筋肉が付いた体躯。すらりと伸びた手足に、夜空を閉じこめたような髪と瞳が色香を漂わす、美しい男だった。アルツィも彼ほどの美貌を持つ者を宮廷でお目に掛かったことはない。もし、公の場に姿を現せば、一目で視線をさらったことだろう。


「アルツィ、エルゼン、おはよう!」


 アルツィたちが入ってきたのに気づいて、慌てたように最後の一切れであるパンを口の中に放り込んで嚥下したスーランが、元気よく朝の挨拶をした。


「スゥ、口元にジャムがついている。いい年をして、みっともない」

「んぐ…っ。ありがとう、お師匠様」


 面倒くさそうに腰を上げ、指先で汚れを拭ったフェアロンは、ごく自然にジャムのついた指を自分の口元へと運んで舐めた。アルツィを冷ややかに一瞥したのとは違い、スーランに向けるのはどこか柔らかだ。

 アルツィの笑顔が、ぴきりと固まる。

 アルツィのことなど忘れてしまったような空気がそこはかとなく漂っているようだった。

 抑え込んでいた黒い感情がふつふつと沸き起こってくる。

 師匠と呼ばれる男より、スーランと接している時間や信頼度さえ敵わないのはわかっていたが、目の前で見せつけられるとなんとも腹立たしい。

 ふふっと乾いた笑みを零しながら、うっすらと冷気をまとうアルツィに恐れをなして、エルゼンが数歩離れた。


「おはよう、スーラン。ずいぶんと楽しそうな光景だね。それに服装が、出会った頃のようだ」


 スーランのみを映し出す双眸は、いつも通り穏やかだ。ふんわりと花が咲いたように顔を綻ばせたアルツィは、市井の少年が着ているような姿のスーランを愛おしげに見つめた。


「へへっ、セリティンには怒られたけどね。綺麗なドレスもいいけど、やっぱわたしはさ、こっちのほうが落ち着くんだ。お師匠様に会ったら、なんか村のこと思い出しちゃってさ。……あ、あのね、アルツィ。この人がわたしのお師匠様だよ。ええっと、急にわたしに会いに来てくれたの。お師匠様、彼がアルツィで、あっちにいるのがエルゼン」

「そうか。私の可愛い愛弟子を勝手に連れ出した不届き者がようやく姿を見せたか」


 すっと切れ長の目を細めた男は、スーランに言った。


「もう食事はいいな? お前はあそこの剣士に外で相手してもらえ。腹ごなしには物足りないかもしれんが」

「了解。行こ? エルゼン」


 スーランがエルゼンの腕を引っ張る。

 うわっ、殺気立つ大蛇と龍が見える……。姫さんてば、この殺伐とした空気が読めてない、とぶつぶつ呟いていたエルゼンは、ハッとしたように現実にかえってくると、困ったように頬をかいた。


「いや、アタシは……」

「エルゼン、スーランを頼む」

「はいはい、アンタがそうおっしゃるならアタシは構いませんがね」


 それでも気がかりなようで、ちらりと男に視線をやってからスーランとともに部屋を出て行った。

 スーランたちがいなくなると、一気に部屋の温度が下がったかのようだった。

 がらりとまとっていた空気を変えたアルツィは、不気味な存在感を放つ男に近づいた。


「ご存じだと思うが、俺の名はアルツィ・フォーラント。あなたは?」

「──フェアロン」

「古の守護神の名か。ずいぶんとたいそうな名前ですね」


 アルツィは皮肉った。

 どちらかといえば、死や災いを運んでくる雰囲気のある男が、神の名を──しかもその昔、この国を救った神の名を使うとは。

 フェアロンという名は、王侯貴族の間でも特別な名だ。

 まだ人と神との存在が近かった頃、守護神フェアロンは、たった一人の王妃のために神の国の掟に逆らってこの国を崩壊から救ったのだから。


「なぜ、スゥを選んだ?」

「愚問ですね。あの子ほど王女に近しい者はいない。オルビアーナ王女……いや、副宰相の陰謀を暴くには、スーランを王女として仕立てるしかなかった。もちろん、悪いことをしたと思っています。スーランが偽の王女だとばれれば、ただではすまないでしょう。けれど、ほかにはもう、副宰相の暴挙を抑える手だては残されていないのです」

「いいや、貴様はほかの道を探さなかっただけだ」

「! なにを……ぐっ、」


 男が動いたと思った次の瞬間には、アルツィの体は壁へと押しつけられていた。

 彼から感じるのは、──殺気。

 ぞわりと肌が粟立った。

 その気迫だけで人を殺してしまいそうだ。


「貴様は、私が必死に守り通してきたものを壊した。もし、スゥが課せられた任を無理やり押しつけられていたのだとしたら、私は貴様の首をこの場で斬り捨てていただろう。――だが、スゥは自らやり遂げることを望んだ。ならば私は、スゥのために尽力をつくそう」

「……く、っ、…はっ、まるで、あなたは忠義を尽くす騎士のようだ。一体、あなたは何者です。ただの師匠ではないのでしょ? あなたがまとう空気は、禍々しすぎる。澄み切った光りに包まれたスーランのそばにいるのに相応しいとは、とうてい思えませんが」

「ふんっ、貴様に答える義務などない」


 手を離した男は、床へと崩れ落ちるアルツィを馬鹿にしたように見下ろした。


「その程度でスゥを守れると自負していたか? まあ、いい。しょせん、甘やかされて育った貴族の息子。芯の部分は硝子細工のようにもろすぎる。食うか食われるか、そんな殺伐とした世界を知らない貴様にできることなど限られている」

「言わせておけば、ずいぶんですね。確かに今の俺ではあなたに勝てないでしょう。いや、近衛騎士団が束になってかかっても勝てないかもしれない。けれど、宮廷では力だけでなく、敵の裏をかき、どう陥れるのか策略を巡らすことのできる知恵も必要ですよ」

「ならば見せてみろ。この状況を打開する術などないはず。その中で、どう足掻く?」

「っ、あなたには負けない! 俺がスーランを守ってみせる」


 立ち上がったアルツィは、男をきつく睨みつけた。

 しかし、男が「遅い」と冷たく切り捨てた。


「え?」

「私がこの場にいる意味を理解していないらしいな」

「それは……」


 スーランに会いに来たのでは?

 戸惑うアルツィの胸中を見透かしたように、男の眼差しに嘲る光が宿る。


「私でさえ知り得た事実をよもや貴様が知らないとはな。それでよく、スゥを守ってみせるなどと、ぬけぬけとほざけたものだ。──無知な坊やに教えてやろう。敵はもう動いている。数日後に、スーランの叔母がこの宮殿に到着するだろう」

「そ……んな、なぜ……」

「掌の上で踊らされていたのは貴様のほう。その足りない脳を使い、脱却の術を考えてみるがいい」



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