第24話 エルート族の戦士
旅は順調に、三日目の昼を過ぎていた。
二日目に宿泊した宿の女将さんが、昼食にと噛み応えのあるパンで作ったサンドウィッチを持たせてくれていた。肉と野菜でボリュームが有り、十分に腹を満たした一行は、昼下がりの馬車の中でまったりとした時間を過ごしていた。
三郎は、御者にかりた地図をぼんやりと見ながら、現在自分たちの進んでいる位置を確認している。地図の上で街道は、ソルジから北東方向へ進むと、二日目の宿場町の先でなだらかに真北へ進路を変える。その先三つほど宿場町を越えると、北西方向へ進路が変わり中央王都へと続いていた。
ソルジから中央王都へ、直線で道を作れば二日ほど短く出来そうだと三郎は思うのだが、宿場町を結ぶ為だとか、地形の関係だとか、何か理由があるのだろうと勝手に考えながら地図を眺めるのだった。
実際、五百年前の戦争で使われた補給路が整備された為、街道が東寄りに蛇行しているのだが、クレタスの人々にとって遠い記憶となっている。
三郎は、地図上で自分たちの進んでいる場所の東側に、ギザギザとした長い印がある事に気がついた。その印は、この先長い区間で、街道と並行して描かれている。
何の印なのだろうかと思い、進行方向右手側の窓の外に目を向けた。遠目ではあったが、断崖絶壁と言って良いほどの崖が、延々と連なっているのが分かった。
「ああ、これ崖の地図記号なのか」
独り言を呟きながら、三郎は手元の地図と遠くに見える崖を交互に見比べる。もう一度、地図から外の景色に目を移した時、三郎は懐かしさを覚える物に目を奪われた。
『えっ・・・富士山?』
遠く霞んで、幻のように美しい独立峰がそびえ立っていた。夏だと言うのに山頂を白い雪が覆い、その高さを物語っている様だった。
「エルート族の聖峰ムールスですよ。天気が良いのでよく見えるのです」
三郎の様子に気がついて隣に移動してきたシャポーが、景色の中に浮かぶ山を指して言った。
「エルート族の?」
三郎は、シャポーの言葉に疑問が沸く。
「はい、聖峰ムールスはエルート族の護る『深き大森林』の奥にあるのです。あそこに見えている崖の上から向こう全てが、深き大森林なのですよ」
シャポーの言うとおり、三郎が先ほど地図と見比べていた崖の上には、深い森が広がっている様に見えた。
「あの崖の上から向こう全て?大森林って凄い広さだな」
地図に目を落として、三郎はその広さを確認する。地図上の聖峰ムールスの周囲に、広大な森が広がっているのが分かった。
「聖峰ムールスは、エルート族が特別な儀式を行ったり、エルート族に許しをもらった者が、上位の精霊と契約を交わす場所として知られてる山なのです。まぁ、クレタスの人族で上位精霊と交信できる人なんて居ないのですが。ちなみに、エルート族の案内が無ければ、聖峰ムールスには行き着けないと言われているのですよ。深き大森林には、エルート族の魔法がかかっていて、入ってもすぐに戻されてしまうのです」
シャポーは得意げに知識を披露する。
「へー、要するにエルート族の聖地って事か」
「ですです。伝説では、エルート族は聖峰の儀式で、竜と交信する事も出来ると言われているのです。エルート族自体が、半分伝説の存在になりつつあるのですが。そしてですね、ムールスは、クレタス一美しい山と言われていて―」
シャポーの話を流し聞きしながら、三郎は遠く霞む聖峰ムールスをよくよく観察していた。
山頂に向かうほどに、傾斜がきつく鋭くなっており、天を貫くかのようにそびえ立っている。独立峰である事と綺麗な雪化粧をした姿から、富士山を連想した三郎だったが、ムールスのあまりに険しい印象に(俺は、富士山のほうが好きだなぁ)などと思うのであった。
その後暫く、シャポーと三郎は、地図を肴に盛り上がっており、そんな二人の横で、トゥームは静かに本を読んでいた。
穏やかな時間が流れている矢先、突然馬車がその歩みを停めた。御者二人が、困った様子で相談している声を聞きつけ、トゥームが御者台の方へ顔を出す。脇に置いていたブロードソードを手に、引き締まった表情に変わっている。
「何かあったの?」
「トゥーム殿、エルート族らしき者が・・・」
トゥームが話しかけると、御者は前方を指差して言葉少なに小さな声で返事を返す。
トゥームが街道の先に目を向けると、離れた場所に二人のエルート族が居るのが見えた。
御者達が、対応に困ってしまうのも無理はなかった。エルート族は、森の奥にある別の世界に住んでいると言われ、高潔であるが故に人族と交流を持つ事はほとんど無い。エルート族から見れば、人族は争いの好きな種族と映るのだ。
中央王都で開かれる種族間会議に、代表の者が訪れる以外は、窓口となる種族を通して互いを認識する程度の存在だった。
エルート族の一人は、道に膝を突いて、右手に持った剣をこちらへ向けている。深緑の髪に整った顔立ちの青年で、長く尖った耳からエルート族なのだと一目で分かる。表情は険しく、鋭い目は馬車の様子を必死に窺っている様だ。
硬い獣皮を使用した軽鎧を身に着け、エルート族の戦士なのだと見て取れる。だが、装備は汚れ、所々爪で引き裂いた様な跡が残り、血がにじんでいた。
そして、もう一人のエルート族は、深緑の髪の青年に抱きかかえられるように倒れており、投げ出された手足から意識が無いのは明らかだった。薄桃色の長い髪が、抱きかかえられた腕の間から地面に落ちている。
深緑の髪の青年よりも重症の様子で、地面に僅かな血溜まりが出来ており、トゥームに一刻を争う状況なのではないかと言う思いを抱かせた。
エルート族は、クレタスで誇り高い種族として知られている。その為、トゥームは、意味も無く攻撃してくる事は無いと判断し話をする事に決めた。
「私が、話をしてみるわ」
トゥームは、御者の二人にそう言うと、馬車後方から外に出る。手に持ったブロードソードは、警戒心を煽らぬようにと馬車の中へ置いていく。
そんなトゥームの様子を見て、三郎も馬車を降りた。ここ三日、旅を共にして実感した事だったが、トゥームは何でもそつなくこなす分、一人で解決しようとする節があると三郎は感じていた。
トゥームが困る事態があれば、少しばかり人生経験の長い三郎にフォロー出来る事もあるだろうと考える様になっていた。
シャポーも慌てたように二人に続く。
「エルート族の戦士とお見受けします。我々は、教会の者です。怪我をされているのではないでしょうか?」
トゥームの凜と張った声が街道に響く。エルート族との距離は、かなり離れているが、トゥームの声は人族であっても聞き取れるほどに通っていた。まして、聴力に優れたエルート族ならば、小声で話していても聞き取れる距離である。
教会は、エルート族の窓口と呼ばれるグランルート族と親交が深い。教会の伝える平和の教えは、エルート族の理解足りえる物であり、人族の中に居て一目置ける存在だと認識されている。
そして何より、五百年前の魔人族との戦争において、エルート族の協力を取り付けたのは最初の勇者その人であった。
今でこそ、エルート族は教会との直接の交流は途絶えていたが、グランルート族を通して教会の様子を伝え聞く程度には興味を持っていた。
「教会・・・の?」
エルート族の青年は、教会と聞いて微かに警戒心を解く。だが、人族は『騙す生き物だ』と言う認識がある為、完全に警戒を緩める事はできなかった。
三郎は、トゥームの横に立って、遠くに居るエルート族に向かって目を細くしていた。御者やトゥームほど目が良いわけではないので、エルート族の耳の尖り具合に気づくのに少しばかり時間がかかる。
『あ・・・エルフ』
三郎は口に手を当てると、感動のあまり思わず小声で呟いてしまった。ファンタジー好きの憧れとも言える存在がそこに居たのだから、三郎が呟いてしまっても仕方ない事だった。
三郎の呟きに反応し、エルート族の青年は大きく目を見開いた。
そして、教会一行の様子、特に三郎の様子をじっと見極めるように動きを止める。
「今、あの男、我々を『エルフ』と呼んだか・・・」
エルートの青年はそう呟くと、手にした剣を傍らに置き完全に警戒を解くのだった。
「ムリュー、我々はどうやら、命を永らえたようだよ」
薄桃色の髪のエルートを、両腕で強く抱きしめて話しかける。
ムリューと呼ばれたエルートの女性は、意識を失ったまま反応が無い。深緑の髪の青年は、エルート族の持つ特殊な視力でムリューの命の灯を見つめ、消えてしまう前で良かったと安堵の表情を浮かべた。
エルートの青年の様子を、逸早く察した友獣ワロワのクウィンスは、一声鳴くと二人の元へ歩き出す。
「あ、クウィンス、待て待て、待ってくれ」
御者が慌てて、クウィンスに制止を呼びかけるが止まらない。
「大丈夫、警戒は解かれたみたいだから」
慌てる御者にトゥームは声をかけると、先行してエルート族の二人のもとへと駆け寄った。
そして、トゥームは気づいていた、三郎の呟いた言葉が聞こえたが為に、エルート族が警戒を解く事になったのだと。
「強大な魔獣・・・教会・・・我らを『エルフ』と呼ぶ者・・・聖峰ムールスよ・・・この意味する所は何であろうか」
エルートの青年は、そびえたつ聖峰ムールスを見据え、自分の命の行く末を問うのであった。
次回投降は2月18日(日曜日)の夜に予定しています。




