第15話 すでに胃袋を掴まれているのかもしれない
「で、シャポー、何かあった?」
三郎がシャポーに話しかけると、シャポーは自分で鼻をかんだタオルを見つめて『あらまー』と呟いていた。とりあえず、三郎の話は聞いていなようだ。
「サブローさま、タオル汚れてしまったので、シャポーは洗ってお返ししたいと思います」
シャポーは、何か良い事を思いついたような顔で、三郎に『洗って』を強調しながら言った。気の利く女をアピールしたいようだったが、今更感は拭えない。
「ああ、うん・・・いや、そうじゃなくて」
「大丈夫です、洗って返しますね」
三郎が話を元に戻そうとするが、シャポーは笑顔で変な答えを返してくる。
シャポーは、汚したタオルを三郎に見せてアピールしていたが、その布が手元から不意に姿を消した。シャポーがきょとんとした顔で、タオルの行方を探して首をめぐらせる。すると、シャポーの背後から声がした。
「私が洗っておくから、気にしなくて大丈夫よ」
二人のやり取りを見ていたトゥームが、少しばかり呆れた様子で、シャポーから取り上げたタオルを持って立っていた。そして、誰の返事も待たず、部屋の扉近くに置いてある洗濯物を持って行く用の篭へ、汚れたタオルをポイッっと入れてしまった。
「あぁ・・・はい、すみませんです」
シャポーは、残念そうな声を上げるが、トゥームの素早い動きに、それ以上食い下がれそうも無い様子で礼を言った。
「で、シャポーは、な・・・」
「『何かあった?』じゃないのですよ!」
三郎の最初の質問の声は、しっかりシャポーに届いていた。
「シャポーは、魚屋さんのおじさんに話を聞いたのですよ。サブローさまが、英雄的行動を取られてお怪我をされたのだと」
シャポーの中で話がかなり誇張されているようだが、本当のところは大分違っていた。
現在ソルジは、数日前にあった魔獣襲来の話題で持ちきりとなっていた。シャポーは、シャポーの数少ないソルジでの知り合いである魚屋の主人から、魔獣が撃退された際に三郎が居合わせて怪我をしたらしいと、今日になって聞きつけたのである。
三郎の怪我の原因について、知っている者は殆どおらず、英雄的行動などという噂はいっさいされていない。
「え、そんな噂流れてる?英雄的って?」
三郎は、トゥームへ確認するような視線を向ける。そんな噂が流れていたら、三郎としては、嬉しいような恥ずかしいような気がしてしまうなと思っていた。
「流れてないわよ(・・・さま?)」
トゥームは少し不機嫌そうに三郎に答えた。
「ははは、だよな」
勇者ではないと言われた時と、同じくらいのガッカリ感で三郎は浅く笑った。三郎の残念そうな様子に、ラルカが愛想笑いで慰めてくれる。
「英雄的行動については、ラルカちゃんと一緒にお買い物をしながら伺ったのです」
えっへんと言わんばかりに胸をそらせて、シャポーは言う。その言葉で、三郎の混乱が増してしまった。
「ラルカと友達だった?買い物って?」
三郎の疑問をトゥームも感じたのか、二人の視線がラルカに集まる。
「夕ごはんの買い物に出たらね、教会の前でシャポーちゃんに話しかけられたんだよ」
ラルカは少し困った表情で微笑みながら、三郎とトゥームに説明し始める。
「サブローさんのお見舞いに来てくれたみたいだったから、すぐ案内しようかなって思ったんだけど、夕ごはんの買い物に行く所だって言ったら、シャポーちゃんがお手伝いしてくれるって言ってくれて、一緒に買い物に行ったんだよ」
「サブローさまのゴハンは大切です」
シャポーは、ラルカの話に合いの手を入れる。シャポーの「さま」と言う言葉に、トゥームの右眉が少し動いた。
「シャポーちゃんもサブローさんに助けられたって話でね、何だか仲良くなっちゃった」
「意気投合と言うものです」
ラルカとシャポーは、「ねー」と言いながら笑いあう。同じくらいの身長で、似たような髪色をしている二人は、さながら姉妹のようにも見えなくも無いなと、三郎は思いながら、そんな二人を眺めていた。
「ふーん・・・あの結晶の子って事ね(・・・さま・・・)」
トゥームは、小さく呟く。シャポーが見習い魔道師の印を腰に下げており、三郎に助けられたのだと言う話から、三郎が結晶を買いに行った時に関わった少女なのだと理解した。
(ちょっと変わってるけど、悪い子じゃなさそうね。顔もかわいらしい感じだし・・・ね、そうね、男だったら助けたくなる感じよね。でも、いくら助けられたからって『様』は、おおげさじゃない?サブローも、何だか普通に呼ばせてるわよね?まぁ、どうでもいいんだけど)
トゥームの観察するような視線に、シャポーは少しばかり気おされながら、観察しかえす。
(サブローさまは、こういう大人の女性がお好みなのでしょうか・・・シャポーだって、これから・・・これからすごくなるのです!)
二人の微妙な観察のし合いで、一瞬だが三郎の部屋に沈黙が差した。だが、ラルカが突然思い出したように声を上げた。
「あ、買い物の話で思い出した!ウェルッカ肉仕込まなきゃ」
そういうと、急いで三郎の部屋から出てゆこうとする。
「シャポーちゃんも夕ごはん一緒に食べていきなよ。ね、トゥームお姉ちゃん、いいでしょ?」
ラルカは、扉から半分出かかりながら振り返ると、トゥームとシャポーに言った。
「え、ああ、かまわないわよ」
トゥームは、急いでいる様子のラルカに返事を返す。ラルカは、トゥームの言葉を聞くと「おいしーの作るね」と全員に満面の笑顔を残して扉の向こうへ姿を消した。
「シャポーもお手伝いしますよぉ」
トゥームの視線から逃れる理由もあったのだろう、シャポーは急いでラルカを追いかけるのであった。
三郎の部屋は、嵐が通り過ぎた後の様な静けさに支配される。三郎もトゥームも、二人の出て行った扉を見つめていた。
「はは、何かすごかったな」
三郎はほっとした声で、トゥームに話しかける。
「そうね、かわいい感じの子ね。変わってるけど」
少し間をおいて、トゥームが言った。三郎はその言葉に、苦笑いする。
「だな、見た目かわいいけど、喋ると変わってるよな」
三郎は、トゥームの言葉に同意した。トゥームへ視線を向けると、扉の方を向いたままのトゥームの横顔が三郎の目に入る。
「ふーん、かわいいものね、助けたくなるわよね」
トゥームは扉に歩きだして、皮肉っぽい声色で三郎に言った。
「おいおい、助けたって、そう言う理由じゃないからな」
三郎は鼻で笑いながら、トゥームの背中に向けて答える。
トゥームは、シャポーの使ったタオル以外にも少しばかり三郎の物が入っている、洗濯物用の篭を拾い上げると扉に手をかけた。
「どうだかね」
その一言を残して、トゥームも扉の向こうへ姿を消した。
夕食の準備が出来たと、三郎をティエニとリケが呼びに来たので、連れられてダイニングに行くと、シャポーが打ちひしがれた様子で立っていた。
「シャポー?どうしたんだ?」
三郎は、何か失敗して台所を追い出されたのだろうと思い、優しく声をかける。
「シャポーは、師匠のお食事を用意してたので、お料理は苦手ではないのです」
シャポーは、打ちひしがれた様子のまま、とつとつと話し始めた。ダイニングの扉が開き、その様子を目にしたラルカが苦笑いを三郎によこす。
「でも、サブローさまが、お料理の上手すぎる女性にかこまれているのを知ってしまったのです」
三郎は、なるほどと思いながらシャポーの話に頷く。
ラルカとトゥームの料理の腕が確かなのは、一緒に暮らしている三郎には十分わかっているところだった。食材が違う、水が違う、空気が違う地に迷い込んだ三郎ですら、毎日美味いと思っているのだから、この世界に慣れ親しんでいる人ならもっと美味しいと感じるかもしれない。『味覚とは慣れである』などと言う言葉が、ふいに三郎の頭に浮かぶ。
「魚屋さんのおばさんが言っていたのです、胃袋を掴めばいいと」
突然、話の方向が良く分からなくなり、三郎は首をかしげながらも一応頷く。三郎は、胃袋を掴むなんて言葉を、久々に聞いた気がした。若い頃、一人暮らしの友人の家におしかけて来た女性がいて、料理上手だった為、胃袋を掴まれたなどと笑いながら話した事を思い出していた。
こちらの世界で、胃袋を掴む意味が同じではない可能性もあるな、とは思いながら。
三郎は、シャポーが誰かの胃袋を掴みたいのか、はたまた、自分の胃袋を掴んでくれたりするのか、などとのん気に考える。美味しいものを食べさせてくれるなら、大変結構なことだ。掴まれたとしても、年齢差的に恋愛など発展しそうもないなと、三郎は半分楽観しつつ半分残念に思うのだった。シャポーの見た目からして、元の世界に居る息子と同じくらいの年齢なのだから。
「料理は練習すれば、上手くなるから、頑張ればいいんじゃないか」
三郎は、とりあえず適当な感じでエールを送った。するとシャポーは、ちんぴらから助けた後に顧客ニーズの話をした時と同じような、尊敬の眼差しを三郎に向けてきた。
「シャポーは、お料理もがんばります!」
シャポーが何やら元気そうになったので、三郎は満足げに頷いてあげた。
いつの間にかダイニングルームへ入ってきていたトゥームが、何となく冷ややかな視線で見守っていたのは、三郎の与り知らぬところだった。
次回投降は、12月10日(日曜日)の夜に予定しております。