語られなかった一幕ー[4]
面会室を出た廊下で、ニーカが口を開いた。
「レヴィアン様」
「何だ」
「今の面会で得た情報を——整理してもいいですか」
「ああ」
「一、マルコ・アルテシアーノはヴィットリオの親友であり、《終幕庁》の暗部を告発しようとして、ベッカーに口封じされた」
「ああ」
「二、《幕引きの栞》はマルコとヴィットリオが若い頃に発見したアーティファクトで、〝物語は終わらない〟という力を持つ」
「ああ」
「三、ベッカーは現在、王都の財務省高官であると同時に《終幕庁》の理事の一人。組織の内側にいる」
「ああ」
「四、ヴィットリオはベッカーの名を供述しなかった理由として、レヴィアン様の安全を挙げた。つまり——ベッカーはまだレヴィアン様を知らない」
「…………いや」
「え?」
「ヴィットリオはそう思っていたかもしれないが——ベッカーが俺を知らないとは限らない。考えてみろ。《破滅の芸術家》の名前は大陸中に知れ渡っている。《終幕庁》の理事なら、俺の活動報告は全て読んでいるはずだ。そしてその報告書には——《幕引きの栞》を使って呪印を解除した記録が含まれている」
「——っ」
「ベッカーは栞の存在を知っている。マルコの遺体から見つからなかった栞が、《破滅の芸術家》という暗殺者の手にある——それを知れば、俺がマルコの弟子だと気づくのは時間の問題だ」
「レヴィアン様……つまり——」
「ベッカーは、もう気づいているかもしれない。——俺が何者なのか」
廊下の空気が、冷たくなった気がした。
「レヴィアン様。すぐに安全管理体制を——」
「待て、ニーカ。焦るな」
「ですが——」
「ベッカーが俺を知っていたとしても——今すぐ動くとは限らない。俺は《終幕庁》の《一番手》だ。大陸中の英雄だ。聖者で悪霊祓いで名誉劇場長でカルチェラータ報告書の著者だ」
「いま、そういう肩書きを列挙するのは——」
「こういう時に使うんだ、肩書きは。ベッカーは俺を消したいだろうが、消せない。俺の肩書きが——盾になる」
「…………」
初めて——あの忌々しい肩書きの山が、役に立つ時が来た。聖者だの名誉劇場長だの、勝手に増えていった称号が、皮肉にも俺の身を守る鎧になる。
……手帳に書いておこう。
『肩書きが多すぎることの利点:暗殺しにくい。社会的に目立ちすぎるため、口封じのリスクが高すぎて手が出せない。——結論:肩書きは増えて損はない。……本当か? 本当かもしれない。不本意だが』
「レヴィアン様。では、どうしますか」
「……今は——動かない。ベッカーの情報を集める。奴の弱点を探る。そして——舞台を整える」
「脚本は?」
「書く。ただし——今回は俺が書く。エリザベッタには手伝ってもらうが、この作品の演出は——俺以外にはできない」
「……なぜですか」
「師匠の物語だからだ。師匠の最終幕を書くのは——弟子の仕事だ」
「…………はい」
ニーカが——俺の手をそっと握った。
「隣にいます」
「……ああ」
◇◇◇
王都の宿に戻った。
部屋に入り、コートを脱ぎ、手帳を開いた。
新しいページ。まっさらな白。
ペンを持った。
——震えている。手が。
十年間書けなかった脚本を、今から書き始める。師匠の物語の最終幕を。
「…………」
書けない。
何を書けばいい。師匠が殺された理由は分かった。犯人も分かった。だが——結末が見えない。ベッカーを倒す? 捕まえる? 殺す?
殺す——のか?
俺は今まで、標的を直接殺したことがない。全て間接的だ。自決、報復、相討ち。あるいは殺さずに保護、出頭。
だが今回は——師匠を殺した男だ。個人的な感情がある。冷静な演出ができるか。芸術家でいられるか。
……分からない。
「レヴィアン様」
ニーカが、後ろから——いや、隣から声をかけてきた。いつの間にか部屋に入っていた。この子は本当に気配がない。
「書けませんか」
「…………分かるのか」
「手帳が白紙のままです。レヴィアン様の手帳が白紙なのを見たのは——これで二度目です」
「二度目?」
「一度目は、マルチェロが死んだ夜でした」
「…………」
「あの時も——何も書けなかった。でも翌日から、レヴィアン様は書き始めた。〝次こそ誰も死なせない〟と」
「……ああ」
「今回も——書けます。今日でなくても。明日でも。明後日でも。……わたしが隣にいますから」
「…………」
ニーカの手が、俺の手に——重なった。ペンを持つ手に。
「レヴィアン様。一つだけ——わたしの我儘を聞いてもらえますか」
「我儘? お前が?」
「はい。……あの男——ベッカーを追う時。レヴィアン様が〝復讐〟に堕ちそうになったら——わたしが止めます。力ずくでも」
「…………」
「レヴィアン様の芸術を——復讐に変えさせない。それが——わたしの安全管理です」
…………安全管理。
なるほど。俺の心の安全まで管理するのか、この子は。
「……了解した。その安全管理は——受け入れよう」
「ありがとうございます」
「ただし、力ずくはやめてくれ。お前の力ずくは、俺の骨が折れる」
「善処します」
「善処じゃなく確約してほしいんだが」
「……善処します」
怖い。本当に折りそうで怖い。
だが——ありがたかった。
復讐に堕ちそうになったら止めてくれる人がいる。それは——芸術家としても、人間としても、救いだ。
手帳に——一行だけ、書いた。
『師匠の物語。最終幕。——復讐ではなく、芸術として。この一行を忘れるな。俺』
ニーカが、隣で微笑んだ。六度目。
……数えてないと言ったが、嘘だ。数えている。もう認めよう。
芸術的感動——じゃない。
ただの——
「…………」
いや。まだ言わない。今は、まだ。
師匠の物語が終わるまで。
手帳を閉じた。
明日から——最後の作品に取り掛かる。
まだ最高傑作は生まれていない。
でも——この作品が、そうなる気がしている。
根拠はない。芸術家の直感だ。




