語られなかった一幕ー[3]
「もう一つ、聞かなければならないことがある」
俺はヴィットリオが落ち着くのを待ってから、切り出した。
「《幕引きの栞》——師匠が持っていたアーティファクト。あれは何だ」
ヴィットリオが顔を上げた。涙の跡が光っている。
「……栞を見せてもらえるか」
俺はコートの内ポケットから栞を取り出した。使い込まれた、古い栞。端が少し欠けている。
ヴィットリオの目が——大きく開いた。
「…………まだ、あったのか。これが」
「知っているのか」
「知っている。——これは、私とマルコが一緒に見つけたものだ」
「……何?」
「若い頃。二人で修行していた劇場の地下に——古い祭壇があった。そこに安置されていたアーティファクトだ。誰が、いつ作ったのかは分からない。ただ——祭壇には一行だけ、文字が刻まれていた」
「何と」
「〝物語は終わらない〟」
「…………」
「この栞を手にした者は、〝物語の区切りをつける力〟を得る。終わりかけた物語に栞を挟むことで、〝まだ終わっていない〟と宣言する。呪印も、精神操作も、強制的な打ち切りも——〝この物語はまだ続く〟という宣言で上書きする」
——だからニーカの《沈黙の呪印》を解除できたのか。〝この少女の物語はまだ終わっていない〟という上書き。
「マルコと私で、どちらがこの栞を持つか——話し合ったことがある。私は〝壮大な物語を書くために使いたい〟と言った。マルコは——〝物語を守るために使いたい〟と言った」
「守るために……」
「結局、マルコが持つことになった。私が持てば——終わらせるために使うだろうから、と。マルコは分かっていたんだ。私の本質を。〝お前は終わらせる人間だ。私は続ける人間だ〟と」
「…………」
「そしてマルコは殺され、栞は——行方不明になったはずだった。ベッカーもこの栞の存在を知っていたが、マルコの遺体からは見つからなかったと報告を受けた。マルコが——誰かに託したのだと、私は推測していた」
「……俺に」
「そうだ。マルコは弟子に託した。自分の死を悟って——物語を続ける力を、次の世代に」
……先生。あなたは——知っていたのか。自分が殺されることを。だから俺に、栞を渡した。〝いずれ分かる〟と言い残して。
「ヴィットリオ。もう一つ聞く。エリザベッタのスキル——物語を書き換える力。あれと、この栞は関係があるのか」
ヴィットリオがわずかに目を細めた。
「……エリザベッタのスキルは、彼女が生まれつき持っていたものだ。だが——あの子がまだ幼い頃、一度だけ、マルコの栞に触れたことがある。マルコが我が家を訪ねてきた時に」
「触れた?」
「あの子は栞を手に取って——笑った。まだ言葉も話せない赤ん坊だったのに。栞が光って、あの子が笑った。マルコは言ったよ。〝この子は続ける子だ。物語を終わらせない子だ〟と」
「…………」
「エリザベッタの〝書き換え〟のスキルと、マルコの栞の〝物語は終わらない〟という力は——同じ根を持っているのかもしれない。私には分からない。だが——二つが揃った時に何が起きるかは——マルコなら分かっただろうに」
マルコなら。師匠なら。
でも師匠はもういない。〝いずれ分かる〟と言い残して——いなくなった。
「……ヴィットリオ。最後に一つだけ」
「何だ」
「グスタフ・ベッカーは——今、どこにいる」
ヴィットリオの表情が硬くなった。
「ベッカーは——王都にいる。財務省の高官として。……だが」
「だが?」
「彼は財務省の高官であると同時に——《終幕庁》の理事の一人でもある」
「…………何?」
「《終幕庁》の運営は長官と副長官が行うが、資金面と制度面の監督は〝理事会〟が担っている。ベッカーは——その理事会の最古参だ。《終幕庁》の設立時から、五十年間ずっと理事を務めている」
「師匠を殺した男が——俺が所属する組織の、理事……」
「そうだ。レヴィアン。——気をつけろ。ベッカーは、お前が何者の弟子であるか——知らないはずだ。マルコに弟子がいたことを、ベッカーは把握していない。だが——お前が栞を持っていることが知れたら」
「……俺が師匠の弟子だと気づかれる。そして——師匠と同じように」
「口封じされる可能性がある。……レヴィアン。私が〝言えなかった〟理由が、これだ。供述の場で——ベッカーの名を出すことはできた。だが、マルコの名を出せば——マルコに弟子がいたことを、ベッカーが調べ始める。お前に危険が及ぶ」
「俺を……守ろうとしたのか」
「親友の弟子を——これ以上、死なせたくなかった。……身勝手な理由だ。分かっている」
…………。
この男を——どう思えばいいのか、分からない。
師匠を見殺しにした男。ニーカを道具にした男。だが——師匠の弟子を守ろうとした男。娘を俺の劇団に託した男。
白でも黒でもない。灰色の人間。
物語の中で最も厄介な登場人物だ。
「……ヴィットリオ。一つだけ言っておく」
「何だ」
「俺は——ベッカーを追う。師匠を殺した男を、そのままにはしない」
「レヴィアン。それは——」
「復讐じゃない。師匠の物語の——最終幕を書くんだ。十年間書けなかった結末を。あの人の死に——物語を与える。それが俺の仕事だ。——芸術家としての」
ヴィットリオが息を呑んだ。
「……マルコの弟子だな。本当に」
「当然だ」
面会は——ここで終わった。




