語られなかった一幕ー[2]
王都エテルナ。
前回来た時は《黒幕連》の座長を追っていた。今度は——その座長に会いに来た。立場が違えば、同じ街も違って見える。
《終幕庁》本部。地下収容施設。
面会室は質素な部屋だった。石の壁。小さなテーブル。椅子が二脚。窓はなく、天井の魔石灯だけが白い光を落としている。
——照明効果としては最悪だ。こんな光では人間の表情が読み取りにくい。面会室の設計者は照明のことを何も分かっていない。
……と、フィーネが聞いたら喜びそうなことを考えている場合ではない。
扉が開き、ヴィットリオ・フィナーレが入ってきた。
前回会った時より——老けていた。わずか二週間で。白髪は変わらないが、背筋の張りが少し失われ、目の光も弱い。七十年の人生と、五十年の罪の重さが、身体に表れている。
「やあ。レヴィアン。……来てくれたか」
「ああ。話がしたい」
「娘は——エリザベッタは、一緒ではないのかね」
「今回は俺とニーカだけだ。エリザベッタは元気にしている。心配はいらない」
「……そうか。ありがとう」
ヴィットリオがゆっくりと椅子に座った。俺も対面に座る。ニーカは俺の隣に——もう自然に、そこにいる。
「レヴィアン。君がここに来た理由は——追加の質問だろう」
「ああ」
「《終幕庁》の上層部に聞かれたことは、全て答えた。組織の構造、資金源、幹部の情報、使い捨て兵器の製造過程——全てだ。隠していることは何もない」
「…………本当に?」
ヴィットリオの目が一瞬だけぐらりと揺れた。
一瞬だけだが、俺の《万象観劇》は、その揺れを見逃さない。因果の糸に——歪みが走った。嘘をつく時の歪みではない。〝言いたいのに言えない〟時の歪みだ。
エリザベッタが言っていた。〝一つだけ、言えなかったことがあるような目をしていた〟。
「ヴィットリオ。俺は《終幕庁》の追加調査で来たわけじゃない。——個人的な質問だ」
「個人的な?」
「マルコ・アルテシアーノという名前に、覚えはあるか」
――ヴィットリオの因果の糸が、激しく振動した。表面上は表情を変えていないが、内側では嵐が起きている。
「…………」
「黙っているということは、知っているんだな」
「……どこで、その名前を」
「俺の師匠だ」
ヴィットリオの目が見開かれた。
「師匠? マルコ・アルテシアーノが——君の師匠だと?」
「ああ。小さな劇場の演出家。暗殺者ではない。スキルも持たない。ただの——物語を愛した人間だ。十年前に殺された。路地裏で。物語もなく。意味もなく」
「…………」
「エリザベッタに言われた。お前が全てを供述した後も、一つだけ言えなかったことがあるような目をしていた、と」
「…………」
「その〝一つ〟は——マルコ・アルテシアーノに関わることか」
長い沈黙。
やがてヴィットリオが、口を開いた。
「……マルコ・アルテシアーノは——私の友人だった」
「——は?」
想定外の言葉だった。敵だった、あるいは邪魔だったから殺した——そういう話を想定していた。
友人?
「私と彼は、若い頃に——同じ劇場で修行した仲間だった。私は演出を。彼も演出を。志を同じくする、親友だった」
「…………」
「二人とも演劇を愛していた。だが——道が分かれた。私は〝壮大な物語〟を求めた。もっと大きな舞台を。国を動かすほどの物語を。それが——やがて、暗殺の世界に繋がった」
「…………」
「マルコは——小さな劇場に残った。大きな舞台など要らない。一人の観客の心を動かせればいい。そう言って。……今にして思えば、正しかったのは彼の方だ」
俺の師匠が——ヴィットリオの親友。
暗殺の世界を作った男と、小さな劇場で物語を届け続けた男。同じ場所から始まって、正反対の道を歩いた二人。
「マルコは——なぜ殺されたんだ」
ヴィットリオの手が震え始めた。
「……私が《終幕庁》の制度設計に関わった時——資金面で協力した男がいた。グスタフ・ベッカー」
「ベッカー。——やはり」
「ベッカーは財務省の若手官僚だった。野心家で、暗殺制度の公認化を〝事業〟として捉えていた。私は理念を語り、ベッカーは金を集めた。——悪魔の取引だった。今にして思えば」
「ベッカーが、師匠を殺したのか」
「…………直接手を下したのはベッカーではない。ベッカーが雇った暗殺者だ。——だが、命じたのはベッカーだ」
「なぜだ。師匠が何をしたんだ」
「マルコは——《終幕庁》の制度設計の〝内容〟を知ってしまった。私が酔った勢いで話してしまったんだ。暗殺を国家公認にする計画を。使い捨ての兵器を作る構想を。……マルコは激怒した。〝お前は物語を愛していたはずだ。人の命を道具にするな〟と」
「…………」
「マルコは——告発しようとした。《終幕庁》の暗部を、世に公表しようとした。ベッカーはそれを知り——口封じに殺した」
俺の中で——何かが軋んだ。
師匠は。あの人は。〝正しいこと〟をしようとして——殺された。
物語を愛した人間が。物語のない死に方をさせられた。
「お前は——知っていたんだな。マルコが殺されることを」
「…………」
「知っていて——止めなかったんだな」
「…………その通りだ」
ヴィットリオの目から涙がこぼれた。
「ベッカーから連絡があった。〝マルコ・アルテシアーノが告発の準備をしている。排除する必要がある〟と。私は——止められなかった。止めれば、《終幕庁》の計画そのものが頓挫する。五十年の構想が。暗殺の秩序化という理念が。……友人の命と、理念を天秤にかけた。そして——理念を取った」
「…………」
「マルコが殺された後——私は壊れかけた。親友を見殺しにした罪を、五十年間背負ってきた。《黒幕連》を作ったのは——贖罪のつもりだった。暗殺の秩序を維持するために、裏社会にも制度を。表と裏で、完璧な秩序を——」
「贖罪が、さらなる罪を生んだわけか」
「……ああ。使い捨ての兵器。ニーカ。ルナ。……全て、私の罪だ。マルコを見殺しにした罪の上に——さらに罪を積み重ねた」
俺はしばらく——何も言えなかった。
隣でニーカが、静かに座っている。彼女は今、自分の人生を打ち切っ|た張本人の告白を聞いている。自分を道具にした組織の創設者の、涙を。
「……ニーカ」
「はい」
「……お前は、どう思う」
「…………」
ニーカはしばらく黙っていた。それからヴィットリオを見た。
「……あなたのことは、許せません」
ヴィットリオが目を伏せた。
「でも——あなたが今泣いていることは、信じます。レヴィアン様の師匠を見殺しにしたことへの後悔が——本物であることは、わたしにも分かります」
「…………」
「わたしの物語を打ち切ったのは、あなたです。でも——わたしの物語を書き直してくれたのは、あなたの親友の弟子です。……因果なものですね」
ヴィットリオが——崩れ落ちるように、テーブルに額をつけた。
「……すまない。本当に……すまない」




